電脳塵芥

四方山雑記

【デマ】アジア諸国の首脳が太平洋戦争における日本の功績を認めているといういくつかの「名言」は存在しない - ネルー編


https://twitter.com/IJza1MaI3JwSIfe/status/1486809760829952002

 というツイートが少しバズっていたので、ちょっとこれらの発言について。これらの「名言集」の様なものはこのツイート以外にも氾濫しており、中には本当の発言もある事は事実でしょう。とはいえそれらが全て事実かというと……、と結論みたいな事をもう書きましたがそれぞれの発言を見ていきます。この3つの発言を全て一つの記事にするとかなり膨大になってしまうのでまずはインド初代首相ネルーの発言から見ていきます。
 なお、それぞれの発言には細かなところが違う亜種がいくつか存在するので下記に引用する発言は該当ツイートの画像の文言とは異なります。そこだけは悪しからず。
 ではまずジャワハルラール・ネルー(インド初代首相)の発言から見ていきます。

スカルノ編

発言の出典はどこか

彼ら(日本)は、謝罪を必要とすることなど、我々にはしていない。それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。 講和条約にも調印しない。(1952年日印平和条約締結)

 結論から書くとこの発言は出典、初出が見当たりません。まず現在ネット上において確認可能なおらそらく一番古い該当発言は2007/10/30におけるニコニコ動画第二次大戦 名言集 (日本編)」です。ただしこの動画は要は発言の「まとめ動画」であることから出典元はどこかにある事は確実であり、またこの動画アップロード主が創作した可能性は限りなく低いです。そしてそれ以後にネット上で確認できる同様の発言は、2007/12/13の以下のブログ記事のコメント。

最後にサンフランスシスコ講和会議でのインドのネール首相の言葉で締めたいと思います。
「彼ら(日本)は謝罪を必要とすることなど我々にはしていない、それゆえにサンフランシスコ講和会議に参加しない、講和条約にも調印しない」

講和会議にはインドは参加していないために「サンフランシスコ講和会議での~」はあり得ません。ただこの発言主はこの発言のソースを以下のように語っています。

ネ-ル首相の言葉ですが、私が最初に知ったのは確か小林よりのり(ママ)さんの書籍だったと思います。
ネット上に具体的なソースはありませんでした。
※この後に上述のニコニコ動画を貼る

ソースとして小林よしのりをあげています。氏の著作は多くある為にすべてを確認出来てはいませんが、該当部分がありそうな戦争論1~3、パール真論などを読んでも該当発言は見当たりませんでした。見逃し、また他の著作にある可能性も否定できませんが、小林よしのりが初出の可能性は微妙です。
 またこのネルー発言はパール判事と絡めてされることも幾度かあり、例えば武田邦彦のブログ(2009/9/29 )ではその傾向が見受けられます。

ネール首相は,自己の信念を曲げないパール判事に困惑し,「パール判事の意見書はあくまで一判事の個人的見解であり、インド政府としては同意できない箇所が多々ある」と言ったと言われる(本心かどうか不明).その後,1950年代になって日本が独立することになりサンフランシスコ講和条約を結ぶ段になると,インドは参加しない.その時,ネール首相は次のように言っている。(該当発言)
http://takedanet.com/archives/1013800325.html

パール判事に関しては武田氏以外にも2ch自体のコピペ書き込みで触れているものも存在。パール判事本に関しては田中正明『パール博士の日本無罪論』(その後の文庫版などでは「パール判事」)が有名であり、出典元となっている可能性があるかもと読みましたがこちらにも該当発言はありませんでした。またFacebookの書き込みでは名越二荒之助編「世界から見た大東亜戦争」に記述されているともとれる書き込みがありましたがこちらにも該当発言は存在しません。

インドの国会演説で発言か?

 現在のwikipedia(2020/2/5時点)の「インド>日本との関係」には該当発言は記述されていませんが「2008年4月21日 (月) 19:27時点における版」から該当発言が追加されています。これは「2011年9月13日 (火) 17:20時点における版」に[要出典]が追加され、やはりこの発言の出典は分らぬままだった模様で、その後に削除に至っています。なお「2009年4月1日 (水) 05:41時点における版」では以下の様な文言が追加されています。

1951年のサンフランシスコ講和条約には欠席し、これについて国会演説においてインド初代首相ネールは(以下略)

ネルーのものとされる発言は例えば今回の画像の様に「日本は、われわれに~」というバージョンもありますが、出典を探っていくと「彼ら(日本)は~」が元であることが伺えます。「彼ら(日本)」という発言を考えれば少なくとも日本の誰かに対しての発言ではなく、wikipediaにあるような国会演説における発言という線は考えられるでしょう。では、その国会とは何時でありその内容はなんであったのかは中村麗衣『日印平和条約とインド外交』で紹介されています。

ネルーは1951年8月27日のインド議会で、対日講和に対するインド政府の態度を正式に発表した。およそ10分間の短いスピーチであった。そこでネルーは、対日戦は6年前に終結した、これに引き続いて日本の軍事的占領が行われ、今日まで続いている、インドは他の諸国と同じくこの不満足な状態を平和条約によって終結させることに関心を持っている、しかしこの問題の解決法に対する見解が各国によって異なるため対日平和問題はほとんど進展を見ず、米英両国政府はこのため対日平和条約に関し主導的立場をとることになった、インド政府は米英案に対する提案を行ったが何一つ取り入れられなかったためインドは平和条約に調印すべきでなく、またサンフランシスコ平和会議にも参加すべきでないとの結論に達したと述べた。さらにこの考慮の結果、インドは日本が独立の状態に達し次第インドと日本との間の戦争状態終結を宣言し、のちに簡単な対日単独講和を締結すべきことを決定したと宣言した。

つまりここではインド側の提案が米英に受け入れられなかったために講和会議への出席を拒否するというものであり、「謝罪をする必要とすることなど、我々にはしていない」という様な趣旨の発言ではないことが理解できます。なおこの時のインド側の提案、懸念を恵原義之は以下の様にまとめています。

インドは連合国側に対して、講和条約案で「日本の主権が侵害されている」との理由で出席拒否を通告しました。特に沖縄、小笠原諸島アメリカによる信託統治に反対を表明します。また日本に対しても東側諸国の講和会議参加の障害となっているとして千島列島と南樺太ソ連への帰属を認めるようにも主張しています。もう一点注目すべきは、占領下にある日本とアメリカとの間の安全保障条約締結の合法性についてもインドは疑念を表明
日印国交60周年を考える

また日経新聞の「踏み絵の講和会議を避けたインド」などからも当時のインドの考えが伺えられ、講和条約への参加拒否は米ソ冷戦も念頭に置く必要があるでしょう。

インドの資料ではどうか

 さて、以上は日本語圏での話ですが、ここからはインド側の資料からの話。ネルーの発言などはインドにおいてもまとめられており、それは「Selected works of Jawaharlal Nehru」で確認が可能です。そして1951年8月27日の国会演説も「Vol. 16 | July 1951 - October 1951 | Part.2」のp.617-620でまとめられています。

※自動翻訳

1951年8月12日、インド政府はアメリカ政府からのコメントに対する返答を受け取った。原案には若干の変更が加えられていたが、インド政府が提示した主要な提案は何一つ受け入れら れなかった。そこで政府は慎重に検討した結果、インドは平和条約に調印せず、サンフランシスコ会議に も参加すべきではないとの結論に至った。さらに、日本が独立した後、直ちにインド政府が日印戦争状態終結宣言を行い、その後、日本との単純な二国間条約を交渉することにしたのである。

今回の発言に関わる部分で言えばここが重要となる箇所でしょう。中村が論じている様に米英案への提案が取り入れられなかっためにインドは講和会議への参加を見送ったとみて良く、つまりは「彼ら(日本)は、謝罪を必要とすることなど、我々にはしていない」からインドが講和会議をボイコットしたのではなく、単純に米英案が受け入れられないからボイコットをしたと考えるべきです。
 またこの資料内の他の参照箇所、例えば1951年8月28日に行われたプレスカンファレンスでのやり取り(p.253~259)での質疑応答では該当発言に類する言葉は見当たりません。さらに1951年6月24日の「To Thakin Nut(p.604~606)では賠償金について以下のように語っています。

※自動翻訳

日本の平和条約に関する限り、ビルマの補償または賠償の請求が非常に強いという点については、私もまったく同意見です。イギリスとアメリカから受け取った草稿に対する私たちの予備的な反応では、当然、私たち自身の観点から賠償の問題を考えていました。私たちはインドを代表してそのような賠償を要求すべきではないという結論に達しました。それは日本がインドに与えた損害が比較的小さかったからです。また,過去のヨーロッパにおける賠償の歴史を見ても,約束をしても実現することは難しいという事実がありました。第一次世界大戦後、ドイツには莫大な賠償金が課された。しかし、実際にはほとんど支払われておらず、最終的にはヒトラーがこれを破棄した。苛立ちの種にしかならなかった。 このように,賠償金を強調しても経済的には何の意味もなく,インドでは特に影響を受けなかったと思います。実際,私たちはインド北東部の人々に4万から5万ルピーの戦争賠償金を自費で支払っています。これらの損害は、一部は日本軍によって、一部は英米軍によってもたらされたものです。
そのため、イギリスとアメリカに対する平和条約に関する回答では、賠償金について強調せず、私たちに関する限り、賠償金を要求することはないと述べました。しかし、ビルマの場合は事情が異なり、ビルマは非常に大きな被害を受けたことを私は理解しています。したがって、ビルマには賠償を要求するあらゆる権利と正当性があります。

つまりはインドが賠償金を請求しないのはその被害の小ささからであり、これは件の発言の「われわれに謝罪しなけれならないことは何もしていない」という部分と矛盾しています。またこれに続く6月27日の手紙では” So far as we are concerned, we shall be happy indeed if you can get reparations from Japan. ”(p.606)とも書いている事からネルーはそれが現実的に可能や危惧がなければ日本へ賠償金を請求していた可能性はあるでしょう。長くなるので引用はここら辺で終わりにしておきますが、サンフランシスコ講和会議に対するネルーの国会での演説の前後にある各種書簡からも該当発言がない事を裏付ける発言がありますので、インド側の資料から見ても件の発言はあり得ない可能性が高いです。

日印平和条約締結

 このネルーのものとされる発言の末尾に”(1952年日印平和条約締結)”という文言が付く場合があります。この日印平和条約においてインドは日本に対して賠償を請求しない事となり、その際に当時の岡崎勝夫外相は「この条約には日本に対する友好と好意の精神が貫かれており、一切の賠償要求を放棄して、インドにある日本資産を返還するという条項は、特にその好例である」(中村論文を参照)と述べたとあり、これらの情報が流れていきネルーの真偽不明発言へと繋がっていった可能性はあるかもしれません。ただ佐藤宏が『日印戦後処理の一側面 -在印日本資産と在日インド資産の返還交渉-』で指摘するように資産、補償の話は条約締結後7年ほど経過してから解決を迎えるわけであり、額面通りに賠償請求が一切なしだったわけではないことに留意は必要です。
 以上みてきたようにネルーのものとされる発言は限りなく嘘、デマの類と言えるでしょう。ネット上の初出、というかネット上でしか現在確認できない言葉であり、その発生元は今は削除された個人HP、ブログ、掲示板の何れかであろうことが予想できます。いずれにしてももはや探る事が著しく難しい案件です。「ない」ことを証明することは難しいですが、むしろ出典が全然見当たらない現状においては「ある」ことを証明していただきたい。

おまけ

日露戦争に対する勝利への発言
 ネルーの発言として日露戦争における日本の勝利を喜んだ例を持ち出してくることがあります。例えば「記念艦「三笠」HP」のキッズページ諸外国への影響では以下のように引用。

「日本は勝ち、大国の列に加わる望みを遂げた。アジアの一国である日本の勝利は、アジア全ての国々に大きな影響をあたえた。私は少年時代(当時ネルーは17歳)どんなにそれに感激したかをおまえに良く話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年、少女、そして大人が同じ感激を経験した。ヨーロッパの一大強国は敗れた。だとすれば、アジアは、昔、たびたびそういうことがあったように、今でもヨーロッパを打ち破ることもできるはずだ。」

これはネルーの「父が子に語る世界歴史4」からの引用*1ですが、当然この後には続きがあります。それは以下の様なもの。

1932年12月30日
日本のロシアに対する勝利がどれほどアジアの植民をよろこばせ、こおどりさせたかを、われわれはみた。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたというにすぎなかった。そのにがい結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した。
(中略)
もちろん、日本はくりかえして中国の領土保全と、朝鮮の独立の尊重を宣言した。帝国主義国というものは、相手のもちものをはぎとりながら、平気で善意の保証をしたり、人殺しをしながら生命の尊厳を公言したりするやり方の常習者なのだ。
(中略)
日本は帝国としての政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった。ヴェールでつつんでごまかすこともせずに、おおっぴらに漁りまわった。
(中略)
日本はいくらかの近代的改革をもちんだが、容赦なく朝鮮人民の精神をじゅうりんした。長いあいだ独立のための抗争はつづけられ、それは、いくたびも爆発をみた。なかでも重要なのは、1919年の蜂起であった。朝鮮人民ー特に青年男女ーは、優勢な敵に抗して勇敢にたたかった。自由獲得のためにたたかう、ある朝鮮人団体が正式に独立を宣言し、日本人に反抗したばあいなどは、かれらはただちに警察に密告され、その行動を逐一通報されてしまった! かれらはこうして、かれらの理想に殉じたのだ。日本人による朝鮮人の抑圧は、歴史のなかでもまことにいたましい、暗黒の一章だ。
「父が子に語る世界歴史4」 p181-182

日露戦争への勝利に対する感情よりもその後の日本の行為に対しての文章量が圧倒的に多いです。これは1932年に書かれたことからも当時のネルーやインドの置かれた状況に対してどこに感情を移入しているかを考えれば当然と言えるでしょう。ともかく、ネルー日露戦争勝利に関する件を名言扱いみたいなことをするのは都合のよい切り取りです。

■1957年5月24日でのネルー発言について
 現在、インドネルーwikipediaには以下の様な発言が記述されています。

1957年5月24日、インドを訪問した岸信介首相を歓迎する国民大会が開催され、3万人の群衆の中、ジャワハルラール・ネルーは、日露戦争における日本の勝利がいかにインドの独立運動に深い影響を与えたかを語ったうえで、「インドは敢えてサンフランシスコ条約に参加しなかった。そして日本に対する賠償の権利を放棄した。これは、インドが金銭的要求よりも友情に重きを置くからにほかならない」と演説した。

これは出典を見ると江崎道朗『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』(2016)で、該当箇所はグーグルブックスで確認可能です。で、この発言も「Selected works of Jawaharlal Nehru」のvol.38(p.737-739)で確認可能です。実際に江崎道郎が引用した箇所に近い発言はしているので若干のニュアンスの違いはあるもののこの発言はほぼほぼ事実です。

※以下は自動翻訳による

ご存知のように、何年か前にサンフランシスコで、いくつかの国が日本と平和条約を結びました。インドは、この条約が日本の主権を抑制する傾向にあるとして、調印を拒否しました。その後、インドは日本との間で平等な条件で別の条約を結びました。そして、先の大戦後、日本がインドに支払わなければならなかった賠償金の問題がありました。インドはお金よりも友好を重んじたので、賠償金の支払いを免除しました。

日本の首相が共にいる場で表立った批判もするわけないという考えも出来ますが。なお、例えば演説中には"Japan misused this power to some extent and invaded neighbouring countries and, as you know, Japanese forces reached up to the borders of India in Assam. "という様な日本による侵略性を示す発言自体もしています。ただ、この当時のインド(というかネルー)が経済的に成功を収めてきた日本に対して所謂「親日」的態度を示している事が分かります。とはいえ、嘘ではないのでもしも名言として引用するならばこっちかなとも。
 実はここらへんが元ネタだったりする可能性も無きにしも非ずかも。



■お布施用ページ

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*1:なぜか私が印刷した該当本の記述と若干細部が異なりますが……

【デマ】帯広市において、「中国人は市営住宅を占拠してない」


https://twitter.com/jda1BekUDve1ccx/status/1479714395391688706

 北海道はデマが多く、例えば過去には「【デマ】「北海道へ中国人500万人移住計画」について - 電脳塵芥」とか書きました。それはひとまず置いておくとして。まず生活保護に関しては帯広市HPが「中国国籍の方の生活保護に関するインターネット上の情報について」というページをわざわざ作って否定しています。以下、引用。

帯広市における中国国籍の方の生活保護について、インターネット上で「帯広市に中国人が大量に流入生活保護を受けている」「帯広市で中国人が生活保護を不正受給している」などの情報が拡散されていることを確認しています。
 帯広市において中国国籍の方の生活保護の受給状況は下記に示すとおりですが、「大量に流入」という状況ではありません。また、生活保護の不正受給は認められるものではありませんので、国籍を問わず確認次第、必要な対処を行っております。

2020年6月時点で8人の生活保護者、コロナ禍の影響を考えてもそこまでの変動はないでしょう。

市営住宅について

 「生活保護」ネタ自体は残念ながらわりとありふれてるものですが、市営住宅ネタは珍しいです。これに関してはおととしに少しだけバズったツイートがあり、加藤氏のはそれらを受けてのものと推測できます。


https://twitter.com/0iZMB88ikrvxs0N/status/1326812647208017926

また2022年1月8日にもう一度この方はツイート。


https://twitter.com/0iZMB88ikrvxs0N/status/1479618026484137989

まず画像や左上の時報や右上のスーパーを見ると帯広市についてのなんかしらのテレビ放送だということが伺えます。そしてこの番組には当然続きがあり、それは以下の様なもの。

まずこのツイートは2020年11月、まとめサイトでも話題のこぐま速報ハム速も11月に記事にしている事からこの時期に拡散されたことが分かります。ただしこぐま速報のツイートを見る限りは2020年5月に話題が広まっている事がわかります。そして当時のツイートは以下のもの。


※現在削除済み。アーカイブ

またキャプチャ画像で「北海道議会議員 小野寺秀」とありますが小野寺氏は2015年の北海道議員選挙に出馬せずに引退しているために現在キャプションをつけるなら「元議員」になる事から2015年以前のものとなるはずです。そして探っていくとこの番組は2011年1月9日に放映されたフジテレビの新報道2001の特集「中国マネー襲来 日本の国土を守れ!第5弾」であることがわかり、当時の番組説明には以下の様に紹介されています。

北海道・帯広市では中国人の生活者が年々増加する中、所得税や住民税を払わない中国人が生活保護を受けており、中国人の5人に1人が市営住宅に住んでいる。

youtubeでは当時の番組がアップロードされていますのでそれをたまたま2020年に見たのか、若しくは思い出して調べたのか知りませんが、相当の時間差で該当番組のツイートを2020年にしている事が分かります。なおこのネタ自体は2021年1月にも拡散されており、2020年あたりをきっかけに一つの使えるネタと化していることが伺えます。


https://twitter.com/mishiru2013/status/1351981660623888386

上記の引用先のツイート(現在削除済み)

アーカイブ

 さて、ここで小野寺氏が番組中に言っている事ですが、帯広で生活保護を受けている人間は3%、帯広在住の中国人の生活保護率8%自体は2020年6月の調査とほぼほぼ変わりません。そして市営住宅への中国人の入居率ですが、こちらは帯広市に問い合わせをして以下の様な回答をいただきました。

帯広市からの回答(電話)】
帯広市市営住宅の総戸数は2858
・そのうち、現在の入居者数は2507
・中国国籍の方による占拠の事実はない
※数は令和3年3月31日現在

中国国籍の入居者数自体の数は教えてもらえませんでしたが、明確に「占拠」の事実は否定しています。ただ小野寺まさる氏のキャプチャ画像のホワイトボードを見る限り、2011年現在で帯広市在住の中国国籍の人間は103人、そのうち市営住宅の入居者数は20人ということが見受けられます。それをうけて「(帯広市在住の中国人の)5人に1が市営住宅在住」という発言になっているのでしょう。現在はこの頃よりも帯広市在住の中国人は減少していることが伺え、その頃の20人が依然として市営住宅に住んでいれば割合そのものは増えている可能性はありますが、とはいえ市営住宅の総戸数2848に比べればその割合は1%程度であろうし、また空き室の存在などを鑑みれば中国人が入居しても問題にはならないと考えられます。

 最後に追記的に書いておきますが、この件に関して「デマかどうかは別として」という弁護士がいました。


https://twitter.com/kitamuraharuo/status/1479965533487661060

デマなら駄目です。しかしこう言うことをツイートに書くということは北村氏はデマでもイデオロギーに沿うものならば許容するという倫理観を持っていると言われても仕方ないでしょう。なお生活保護者数に関しては帯広市には問い合わせはしていませんが、ここ1年半ほどで爆発的に増えている可能性は少ないでしょう。なぜならば2021年6月末の在留外国人統計によれば中国籍の人間は78人であり2020年時点より減っているからです。一部ツイートで中国人が1000名弱と言っている方がいますがそれは明確なデマです。

また最新データを何故公表しないかと言ったら通常国籍別に公表している自治体はあり得ず、それを随時更新はしないでしょう。
 ただここら辺の数の話をすると、例えばプー太郎さん氏や帯広市は中国人は8人しか生活保護を受けてないとしてそれを【デマ】としていますが、これに関して中国人を攻撃する人はそもそも8人ですら「大量」であり、外国人が生活保護を受けること自体に反対しているので「大量じゃない」という反論が意味をあまりなさないかもしれません。彼らはその時点で日本が侵食されていると過敏反応を起こしているのだから。

 「中国人が押し寄せる」という話について言えば、日本は相対的にこれからどんどん貧しくなっていく事が予想でき、相対的に富める国から貧しくなっていく国に大量に押し寄せる可能性は低いかと考えます。いつまでも日本が富める国、羨望の国、うまく入り込めばその富にあずかれる国という認識もそうですし、そもそも日本は外国人の人権に対しては厳しい国なんで杞憂というか、「日本」の自己認識を「お人よし」にしすぎです。残念ながら日本はそんなにお人好しな国ではない。



■お布施用ページ

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武蔵野市の外国人も投票権を持つ住民投票条例案におけるツイッターでのバッシングの流れ

 以前「【デマ】「長野五輪で5千人の中国人が集合し暴動」は北京五輪の時の長野での聖火リレーの話の伝言ゲーム」という記事を書きました。ただそもそもここら辺のうねりの発火点とかを書いておくことも重要かなと思い。忘備録、アーカイブ的な性格の記事です。

そもそも住民投票で現実的に乗っ取れるか

 まず初めに書いておきますが、今回の武蔵野市住民投票条例に対する批判の中で「大量に押し寄せた外国人に市政が乗っ取られる」というのがあります。これについて現実的に見ていくと以下の様な指摘が出来ます。

1)住民投票案の発議は「投票資格者の4分の1以上」が必要
 投票資格者である18歳以上の武蔵野市の人口は令和3年12月1日現在で約12万7000人であり、その発議には約3万人の署名が必要になります。この署名数は市長選で当選できるレベルの署名数が必要というものであり、意見要旨の中ではハードルが高いのではないかという指摘も存在します。地方自治法に基づいた市長への条例制定請求の必要署名数が有権者の50分の1以上であることを考えればこのハードルの高さがうかがえます。

2)成立には投票率50%以上が必要
 武蔵野市住民投票は過去においてあったかもよくわからないので、市議会議員、市長選を基準に考えるならば近年のその投票率は45%ほどとなります。つまりは近年の投票率レベルだとそもそも住民投票が成立しません。そして必要な投票人数は6万3500人ほど。その過半数以上で賛成を得なければなりません。

3)特定の外国人勢力が乗っ取るには数万人の移住が必要
 以上のことから外国人が「乗っ取る」といった住民投票に対しては発議に約3万人、成立にはそれ以上の数字が必要です。で、じゃあそのような提案に日本人市民が賛成するかと言うと9割9分以上が反対でしょう。となると外国人の移住が必要となりますが、まず発議するために3万人の移住……、いや3万人移住となると発議に必要な条件が多くなるために実際に発議をさせるには4万人近くの移住が必要です。また投票率50%以上要件や日本市民の反対行動を考えれば4万人よりも多い人数の移住が必要なのは確実でそれこそ5桁後半、確実にするならば6桁に及ぶ人数の移住が必要となるはずです。現在の武蔵野市の市民は約15万人、そして外国人の人口は3000人ほどでその外国人比率は2%程度であり、また投票権は3か月以上の在住が必要。それらを考えるとそれだけの移住がどれだけ非現実的かはわかりますし、このレベルの移住には住環境の供給が賄えるかは疑問で、また定住の為の外国人数の金銭や人員の調達コストが莫大。故に外国人移住で~、というのを信じるのは荒唐無稽なレベルです。反対論者の中には「反日」の日本人が賛成するからという論理も出てきましょうが、それでも6桁に近いレベルの外国人の移民が必要なのは確かでしょう。
 ちなみに基本この手のは「中国に乗っ取られる」というものでしょうが現在の武蔵野市における中国人人口は約1000人。こっから万を超える悪意ある中国人が移住という事になるでしょうが、そもそも前提としてそのレベルの特定国籍の移住が行われて住民投票署名をそれらの人々が集めてとか、その時点で日本人住民の疑念と反対攻勢が発生しますし、住民投票の正当性そのものに疑義がつくレベルで成立しないのでは。

4)投票結果に法的拘束力はない
 で、そんな苦労をしても投票結果に法的拘束力はなく、議会と市長は成立した住民投票の「結果を尊重」というものです。つまりはそんな市政を乗っ取るレベルの提案は尊重はされた後に却下されるだけがオチです。今回の住民投票案にも反対の議員がいるようにそのレベルのものは当然却下されるでしょう。

5)そもそも除外規定が存在する
 長々と書きましたが、そもそも住民投票には6つの除外規定が存在し、その中には以下のようなものがあります。

市の権限に属さない事項。ただし、住民全体の意思として表示しようとする場合は、この限りでない。
住民投票に付することが適当でないと明らかに認められる事項

これらを考慮すれば「乗っ取り」レベルの提案は除外規定に抵触して発議自体無理でしょう。

6)住民投票権の地方自治への過大評価が過ぎる
 地方選などの外国人の地方参政権はあって良いとも思いますが脇道なので今回は置いておきます。今回の住民投票に対する投票権地方参政権の一部ですが、しかし下記のツイートは過大評価が過ぎる。

15万人の武蔵野市に8万人の中国人が武蔵野市に転居したら過半数にはならない。それはともかく住民投票は選挙ではない。除外規定もある。行政、議会を住民投票で乗っ取るという事はその都度住民投票を行わなければならずにコストも莫大すぎる。実現不可能レベルの「懸念」で仲間内を煽れれば良いのでしょうけれど、それにしたって地中に潜ってしまうレベルの低レベルの懸念。煽れれば良いんでしょうけど。

7)反対運動の存在
 そもそも「案」の時点でこのレベルのバッシングが起きるわけで実際にそんな住民投票案が出てきた場合、今回以上の運動が考えられます。それも署名段階から。皮肉抜きで彼らの監視機能は高いでしょう。ヘイトクライムの懸念も出てきてはしまいますが。

 以上の様にいくつか理由をあげましたが、いわゆる「乗っ取り」関連の懸念は杞憂、というか愛国扇動の為の道具と理解した方が良いです。実現可能性があまりにも低すぎる。それと付け加えてですが、愛知リコール運動の不正署名を受けて罰則規定はないものの禁止事項も付け加えられていたりします。単純に脅迫、買収などの不正な手段で署名集めてはだめってだけの既定ではありますが、それだけ愛知リコールの不正署名は影響がでかかった。
 それとこの住民投票に対する問い合わせは武蔵野市にかなり来ているらしく、武蔵野市HPに「「武蔵野市住民投票条例案」に対するよくあるお問い合わせについて」がありますので参考にしたいかたはどうぞ。「問7:外国籍住民が大量移住し、自国に有利な市長や市議会議員を選ぶことにならないか?」、「問8:外国籍住民が大量移住し、自国に有利な政策を意図的に提案することはないか?」などでこのブログ記事に書いてある様なことはすでに書いてあります。

バッシングの発火点とその流れ

 まずパブリックコメントが令和3年2月15日(月曜日) から 3月15日(月曜日)に募集されていますが、この時に集まったパブリックコメント数は16件。この時点で「発見」されていたら桁が最低でも2つは違ったでしょう。なおこの時の意見については無作為抽出市民アンケートや意見交換会の時の意見と合わせて、こちらにあります。外国人の投票権については意見の数自体は拮抗してますが中身を見ていくと反対論として挙げられている中で同じ人間による複数意見が記述されていますので人数自体では賛成が反対を上回っていることがここからも理解できます。
 まず8月に以下のようなツイートが存在します。

この時点でかなりの拡散はされていますが、ただそれ以降はそこまでの拡散はされておらず本格的な運動は11月になってからです。で、この問題の発火点、というか運動が見られるようになってきたのは11月7日の以下のツイート。

このツイートでchange.orgにリンクを貼り署名活動をしていますが、25,000 人に対して19,368 人が賛同となり未達成。8000以上のRTで市外からも署名できることを鑑みると割と少ないと言えるかもしれません。
 そして11月11日の産経の記事。

これでこのバッシングは決定的になったと言っていいでしょう。ここからこの件に関するツイートが激増します。そして「武蔵野市」という単語を使用し、1000以上RT、この条例へ反対のアカウントを抜き出すと以下の様になります。なお、先ほどの佐藤正久氏のツイートは除く。

※RT3000ほど


※RT5000ほど


※RTは5000ほど。パブコメの期間とかはそんなもんだよ


※RTは3000ほど


※ネット右派の中には橋本徹嫌いも多い


※和田氏は続くツイートをしてるが、新聞の取材姿勢についてなので割愛


※ちなみに住民登録ができない旅行者は投票権がない。国政の結果を左右する住民投票もよくわからない。辺野古移設レベルの話が武蔵野市にあれば話は別だろうけれど。


国民主権のことを言いたいのかもしれないけどそんな憲法前文はない。実際、選挙権や被選挙権、参政権を外国人に与えるものではないし、法的拘束力もないので違反するとは思えない。


※デマ。長野五輪で暴動はおこってない。


※除外規定にあたる可能性が高く杞憂


※「元から断たないと」の意味がよくわからない


武蔵野市レベルのハードルの高い発議条件の場合、正直なところ法的拘束力がない住民投票をやるレベルの自治体ってほぼないと思う


※こういった調査には「回答数」が必ずしも重要なのではない


※後述するが無作為抽出での結果と市外やネット署名数を含む2万4千名を比べてる時点で論外。


※外国人に地方参政権まである国があるのでフィフィ氏の指摘は論外。


※RTは1700ほど

以上のような流れです。21日の本会議を控えているためにそこでのハレーションもあるでしょうが19日現在はこのようなものとなっています。こう見ていくと産経と夕刊フジというメディア、議員経験者を含む議員系、右派系のインフルエンサーの3つに大別されます。大抵の主張は武蔵野市HPのQ&Aで答えが出るものですが、ここらへんの人たちが見ても納得は絶対にしないでしょう。

署名活動について

 今回はいくつかの署名が存在しています。まずは自称高校生が「武蔵野市松下市長に抗議の声を! 緊急」というものがありました。市長のリコールのきっかけづくり、みたいなものなのですがそこでは寄付が出来、署名数8666名、寄付は1,486,300円というもの。ただし当初署名ページに書かれた寄付の用途は寄付先などの都合で取りやめられ、返金対応のほか、以下のような対応をしています。

曰く、村田春樹氏の本を買って配布とのこと。またこのアカウントは「河野談話を破棄して下さい 村山談話を破棄して下さい」で同じく寄付を募っています。今度は「新しい教科書をつくる会」に寄付するとか。ちょっと胡乱。
 そして「武蔵野市住民投票条例を考える会」による署名。これはchang.orgと市内外からの署名を郵送してもらったもので「御報告」によればネット19000、郵送は5277。1か月で自治体が以下らを合わせて2万4000が果たして多いかと考えた場合、甚だ微妙な結果かなと。深田貴美子氏のツイートを参考にすれば市内での署名者は4000名ですが、これも有権者数を考えると多いととらえられるかは微妙なところ。
 なお武蔵野市による無作為抽出による結果は以下のようなもの。

 無作為抽出で7割以上賛成を考えると、例えば今反対している方たちのなかでこの標本に対する疑念を呈している人はいれど、実態としては賛成派の方が多い可能性は高いか。

 長々となりましたが記録はとりあえずこの辺で。21日以降の動きは(めんどくさいので)たぶん記録しないですが、こういったものを記録して疑似的なアーカイブ化する事もちょっと重要かなと思ったので、そういう忘備録です。傾向としてはやっぱ特定アカウントが大きく寄与してますがここら辺は右派、左派問わずにインフルエンサーがいる場所ではそれ自体は避けられませんけれど。さらに詳細に見るために100RT以上にするともっと増えますが、そこすると流石に多くなるのも考えもの。ただ今回の大きな特徴は一部の国会議員関連の議員系が積極的に関わっていること。そして何よりも産経と夕刊フジが複数回記事にしており意図を持った報道をしていることが大きいかなと。あと今回ツイッター内で限定してますが例えばyoutubeでは青山繁晴氏が以下のような動画を。

ほかにも竹田恒泰氏や、

上念司氏、

高橋洋一氏、

そしてひろゆき

ここら辺の拡散も馬鹿にできない。むしろひろゆきの動画は30万再生を超えており、その影響力もかなり大きいと考えられます。ツイッター以上にyoutubeでは反対派の動画が多く、また反論が届きにくい傾向を考えるとこういったものの流布に適した場所と言えるかもしれません。大変に宜しくないことですが。

 今回の件は例え地方に自治においても外国人が政治への意思決定プロセスに関与するのをきらってのことでしょうけれど、今回の武蔵野市住民投票の性質を考えたら意思決定ではなく意志表明への関与が叶う程度なのですよね。それすらも許せないのでしょうが。



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【デマ】「長野五輪で5千人の中国人が集合し暴動」は北京五輪の時の長野での聖火リレーの話の伝言ゲーム

 住民投票に法的拘束力はなく、また武蔵野市について言えば住民投票案の発議案は「投票資格者の4分の1以上」で現時点でさえ約32,000件の署名が必要。つまりはそういった「乗っ取り」という悪意を持った中国人がその為の住民投票を発議するためには数万人規模の移住を武蔵野市に、それも最低でも3か月以上前から準備しなければならない。この時点で実現可能性も、そしてたとえその署名で発議を実現させたとしても住民投票過半数を上回る事を考えた場合、そんな提案に存在するのかが疑問視される「悪意」を持った中国人以外に賛成する人間なんてほぼほぼ存在しえず、過半数を狙うならばそれこそ10万単位の移住が必要となるはず。はっきり言って住民投票で中国に乗っ取られるはそれを成り立たせるための前提が荒唐無稽すぎて現実にあり得ないわけですが、あの層は排外感情(愛国心)を訴えられれば良いのでそういう部分は無視できるんでしょう。あと除外規定として「住民投票に付することが適当でないことが明らかな事項は、住民投票の対象から除外します」というのが当然ながらあるのでそんな提案、除外規定に抵触してそもそも無理だと思う。どうやって乗っ取るんですかね。
 武蔵野市住民投票については武蔵野市HPの「住民投票制度について」が詳しく、ちなみにそこでは無作為抽出によるアンケートをおこない、下記の様に賛成7割越え、反対は2割となっています。

反対派の中にも今回のネット上の反対派とほぼほぼ同じスタンスでいる人、なんとなくの違和感で反対している人も多いでしょうから何とも言えませんが、ただこう見ると反対派は無作為抽出なら2割しかいない。

中には今の反対コア層と同じ意見もありますが。反対派の意見も全て載っているので、その手のものを見てみたい方には参考になるかなと。
 ちょっと長い前振り終了。

長野五輪で5千人の中国人が集合し暴動の件

 「長野五輪で5千人の中国人が集合し暴動になったことを忘れてはならない。」ですが、ある程度の過去を覚えている人間ならばそんな事実はないことが明らかであって、そして元ネタはこちらです(あえて産経新聞ソース)。

中国人の来日目的が観光から「敢行」に変わる日 2015/3/2
中国は平和の祭典・北京五輪を前に、長野市での聖火リレーで、チベット人大虐殺に対する世界の人々の抗議を嫌い、留学生ら3000~5000人(1万人説アリ)を大動員。「聖火護衛」と抗議ムードを薄め歓迎ムードを盛り上げる「サクラ」に仕立てた。国防動員法施行前の08年でこの動員力。

この流言のネタ元は2008年04月26日に行われた北京五輪聖火リレーが長野県長野市で行われた際の事。時事通信では以下の様に紹介されています。

時事通信
聖火リレーのために、日本全国から集まってきた中国人留学生ら。チベットへの弾圧で、聖火リレーの妨害が世界的に広まったことを受け、数千人の在日中国人が沿道で五星紅旗を振った(長野県長野市)(2008年04月26日)

というようにこれ自体は異様な空気感と言えます。なお暴動、というか妨害自体はafpによれば日本人が発端ですし、朝日新聞の記事によれば日本人5人、台湾人1人が関与。

騒然長野聖火リレー 投げ込み・乱入など6人逮捕 2008年4月27日
長野県警はゴール近くなどでも3人を逮捕。リレー中の逮捕者は計6人となった。
 調べによると、同日正午ごろ、走者にトマトを投げたとして愛知県の自営業の男(63)を暴行容疑で、走者に向かって飛び出したとして東京都の会社員の男(38)を威力業務妨害容疑で、それぞれ現行犯逮捕した。また、沿道から火のついていない発煙筒と抗議ビラを投げ込んだ神奈川県の会社員の男(33)を暴行と道交法違反の容疑で逮捕した。6人はいずれも容疑を認めている。

ちなみに公安調査庁によれば「北京五輪聖火リレーをめぐり、右翼団体チベット支援団体が、「北京五輪開催反対」「チベット弾圧反対」などを主張する抗議活動を実施(長野)。」とあります。逮捕された人間がそれに属するまでかは不明ですが、この件を漁る限り、スタート地点の善光寺1日数十件の電話という情報があったり、当時の動きが垣間見えます。またこの件に関しては当時の福田首相が中国人を逮捕するなといった発言も一部で流布されていますが、胡乱すぎるので無視します。
 これら一連の動きは2022年の北京五輪と同様の論理でしょうし、中国における人権問題、チベット問題もあるのは確かです。それを発端とした小競り合いがあったことも事実でしょう*1。これが右派的なスタンスから見れば「暴動」として語られること自体に事実としてどうかはともかく違和感はありません。またこれ自体は百田尚樹と石平の対談本『「カエルの楽園」が地獄と化す日』において「長野県聖火リレー事件」として語られており、一つの懸念を示すための材料になっている事も理解できます。
 とはいえ、これが起こったのは長野五輪ではない

長野五輪で暴動がおこったという誤解

 要は伝言ゲームで、「北京五輪の世界リレーが長野市で逮捕者」がまぜこぜになって「長野五輪で暴動」へとなったわけですが。ツイッターで遡る限り2010年にはもう誤解が見られます。

元から情報が似通っていて伝言ゲーム的になりやすいとはいえ2年経過時点でもう長野五輪でのこととなっています。そしておそらく2010年7月には中国で国防動員法が施行され、その際に以下の様なメールマガジン宮崎正弘氏によって配布されます。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み(中国、本日、国防動員法を施行
7月1日より「国防動員法」が中国で施行された。 つまり国家非常事態における国民総動員を法律によって規定し「合法化」したシロモノで、外国に住む中国人も適用を受ける。百万近い在日中国人も、長野五輪紅旗動員事件のように、強制動員が可能となる

拡散というほどではないですが、これがちょっとだけ反応を得ます。この時点で最早デマですし、田母神氏のツイートに至る道が確定したと言えるかもしれません。

2013年には非公式引用スタイルとは言え、以下のツイートが少し拡散。

2013年ごろには既に「長野五輪」という認識のツイートが散見されるようになっており、根付いてきている事が分かります。そして2014年。

まとめ記事である「これは国民の命がかかる選挙である。長野五輪を五星紅旗で制圧した四千人の中国人「留学生」はどこから来たか? 東京ではないか!」が拡散。この出典は「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の2014年1月10日の西村真悟氏のコラムをまとめた記事です。そしてこの中に以下の様な記述があります。

▼首都東京から「脱戦後」へ!
 二月九日に投票が想定されている東京都知事選挙の枠組みと歴史的意義を述べておきたい。
 結論;自衛隊航空幕僚長であった田母神俊雄の立候補によって、必然的に「戦後を脱却する」か「否」かの選挙になった。

そう、この時期に都知事選があり田母神氏が立候補しています。記事内では「北京オリンピック聖火リレーが行われた長野市」と書かれているもののタイトルに「長野五輪」とも書いており、容易に誤解を生む内容。そしてこの記事は複数人がツイートしているものの、かなり拡散したというわけではないようですが以下の様な反応もあり、

田母神氏の応援層にこういった認識がある程度とはいえあったことが分かります。これらの支持者の声を受けて田母神氏が「長野五輪で暴動」という認識を得たかどうかまでは分かりませんが、かなりこのデマに近づいた時期であることだけは確かです。まあ、氏の事ですからこれがなくても自ら近づいていた可能性も否定できませんけど。
 なおその後にも拡散はさほどされずもツイートは継続的に続き、有名どころのアカウントでは以下の様なものがあり。

というようにネット右派界隈で最早事実化している人間がいることが伺えます。そして、田母神ツイートに至る、と。

 流石に何かを語るときには最低限の事実確認くらいはしよう。  

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*1:逮捕者が出るレベルのものではなかったのでしょうが、それらの人間が逮捕されないから逮捕しては駄目という話が生まれたの可能性もある。なお、youtubeで調べれな右派系の動画がヒットしますが、これはリンクしません。

「毎日新聞がカビマスクを捏造した」というデマの生成過程

 正直、いい加減にしてほしいって気持ちがあるんだけれど、この【デマ】の経緯についてちゃんと書いたことがなかったので書いておきます。

毎日新聞のカビマスクの画像の出所は厚労省

 まずですが、毎日新聞が報じた記事というのは4月21日の「虫混入、カビ付着…全戸配布用の布マスクでも不良品 政府、公表せず」であり、そして画像とは以下のもの。

さて、こちらの画像については後述しますが報じられた直後からその画像の真偽に対して疑問の声が上がりました。キャプションには「関係者提供」とあり(ちなみにこの「関係者提供」初報段階ではついておらず後から付きました)、そしてこの画像の出所が明らかでない事、そして似たようなカビマスクの報告がなかったことからなど、他の理由もあるもののそれによってこのカビマスクの画像は捏造だという声が一部で上がりました。ただ、以前にも「全戸配布用布マスク(アベノマスク)の不良品(カビ等)は毎日新聞のデマというけど、それがデマ」という記事に書きましたが、この画像の出所は厚労省です。
 まず4月18日に厚労省は「妊婦に対する布製マスク配布における不良品事例の報告について」というプレスリリースを出している様に4月14日から配布された妊婦用向けマスクに不良品事例が報告されます。そして同じく4月18日、厚労省の合同マスクチーム内部文書で以下の「国から配布している布製マスクに関する問題について」というものが作成され、その文書には以下の様な記述があります。

2.【4月調達分】全戸配布【発送前段階で検知・除去】
〇4月16日時点までに、全配布用にパッキング作業を行った布製マスク200万枚のうち、問題事例が約200件、報告された。■社から納入されたものにおいて糸くずや髪の毛の混入、■社から納入されたのにおいて、カビ、虫の混入である

というようにパッキング作業時点での布製マスクにおいてカビの混入が確認され、以下の様にその状態が例示されています。

このことからカビマスクについては以下の様にまとめられます。

【カビマスクについての時系列と状況】
・4月16日 この時点までのパッキング作業で問題のマスクが見つかる
・4月18日 厚労省が件のカビマスク画像を用いた資料を作成
・4月21日 毎日新聞が資料を手に入れて記事化する

以上の様な流れです。毎日新聞の記事を受けての反応の中には袋の中に全世帯向け配布マスク用を示すリーフレットがないことへの疑義を呈している方もいましたが、件のマスクが見つかったのはそれらのパッキング作業中であろうでリーフレットがないのは当然です。カビマスクレベルのものならばリーフレットを入れる段階で気づく不良品ですのでここで弾かれ、そして不良品事例として資料が作成されたというのはなんら不思議ではありません。そもそも厚労省に渡る前の検品で弾かれていないといけないレベルのもので、当該納入企業の検品状態がおざなりであった事が伺えます。なお厚労省はこれらの不良品を受けて納入企業に対して検品の強化を要請しています。
 それと毎日新聞の件の記事には以下の様な記述があります。

政府の対策班に配られた内部文書によると、18日時点で妊婦向け以外の全戸配布用に包装を始めた200万枚のうちでも、虫や髪の毛、糸くずの混入、カビの付着など200件の異物混入などの問題事例を確認。これについては公表しなかった。

この内部文書が「国から配布している布製マスクに関する問題について」であり、そして現時点においても公表はされていません。しかしこの記述そのものはなんら誤ってもおらず、写真も厚労省の文書内にあるものであり、「捏造」という指摘そのものがデマといえるでしょう。毎日新聞厚労省内への取材で明るみに出た記事でって、ジャーナリズムとして褒められる事があったとしても、捏造という誹りを受ける謂われだけは絶対にない事例です。

捏造というデマ生まれ、広がるに至った経緯

 ここからはツイッターまとめの様なものです。この報道に対して疑義を呈しているなかである程度拡散されているツイートを貼っていきます。
 まず毎日新聞の記事がWebに出たのは「2020/4/21 18:57」。当初の反応はその画像のインパクトなどからも単純に驚きというものでした。ただ記事の公開数時間後にちょっとした疑問「一度開け、チラシが無い」ことへの疑念が呈されます。

・4月21日 22:54

ただこの疑問に関しては記事をちゃんと読めてません。記事では「配布されたマスク」でなく「包装を始めた(マスク)」と記述されており、チラシが入っているはずはありません

・4月21日 22:56

「カビマスクが届いた人」云々という反応も見られますが、これも同様に配送前に判明した事例なので、目視レベルで分かるものは除外されています。

・4月21日 23:07

こっちは根拠不明に「デマだとしたら」とツイート。

・4月22日 2:20

そして4月22日からカビマスク捏造論に対しての論理「的」根拠が述べられていきます。

・4月22日 2:58

またデマとまで入ってはいないものの、なぜこの捏造論に拍車がかかったのかが理解しやすいツイートとしては以下のものがあります。RT数も1000を超えて記事に対しての不信が徐々に増えていっている事が分かります。またこの方は何故か記事のキャプションについて疑義を呈していますが、記事を読めば匿名の読者からの情報提供ではあり得ないことが分かります。記事を読んでいないのか、記事を読んでも理解できないのか、意図的にスルーしているのか分かりませんが、なんにせよ記事に出所が類推できるのにそれを無視して妄想をしている時点であり得ません。

・4月22日 3:58

更なる論理付けがなされていき、1800件を超えるRT。そして、

・4月22日 5:25

4月22日の午前5時の下記ツイートが1.9万RTされており、相当の拡散がなされます。この時点でカビマスク捏造論が根付いたと言えるかもしれません。

・4月22日 7:22

拡散としてはそこまでではありませんが以下の様な分かりやすいまとめツイートも現れ、4月22日にはShare News Japanが「【話題】『問題の“カビマスク”と“アベノマスク”… これ、自作自演の可能性あるべ』」というものでまとめ記事化。現在この記事は削除されていますがアーカイブで確認可能で、これまた現在削除された4月21日時点のツイートが載っています。RT状況などが分からず痛し痒しですが……。

またまとめ記事に関しては4月23日にtogetterに「出処はどこ? 毎日新聞記事のカビ付着マスク写真にフェイクを疑う声多数」というものもありますが、こちらも同じく現在は削除済み。こちらはアーカイブでも見られないのでどの様な内容であったかは不明です。また「【自作自演】アベノマスクのカビ騒動はデマだった!毎日新聞記者は逮捕の可能性も!?」という記事も。少なくともこれらのまとめ記事によって捏造認識がさらに加速したことは想像に難くありません。
 さて、ここからは日時の部分は記載なしで進めます。ほぼほぼ完全なツイッターまとめ。


※喜多野土竜氏のツイートツリーは長くなるので割愛


※引用先がないので下は割愛。RT数は100程度


※遠子先輩のツリーは長いので割愛

 ここまでが報道のあった4月21日からほぼほぼ一週間のツイートの中で毎日新聞の報道に対して疑念を呈したアカウントの一部です。数十RTレベルの拡散でさえこのレベルの量であり、それよりも少ないつぶやきを含めればかなりの量がツイートされたことは確かであり、また現在削除やアカウントの鍵付きにより不可視化されたツイートを除いてさえこの状況。見ている人間がそれなりに被っている事を鑑みたとしてもまとめ記事と併せて相当数の人間が「カビマスクは毎日新聞のデマ」という認識に触れているであろうことが分かります。またもう一つの特徴としては記事を受けての単純な反応、政権批判ツイートは1,2日で終わりますが、この「毎日新聞によるデマ」は1週間ほど続けられ、またツイートによる種々の論理付けが行われている事です。長さと事実とは異なるものの論理「的」なツイートによって捏造論が一部の人の中で事実化している事が伺えます。
 ここからは5月以降のツイートですが、勢いは衰えたもののそれでもまだ時折拡散されている事が分かります。なお、しつこくなるので数十RTレベルのものはなるべく排除しています。


※内部資料って記事に書いてある……


※記事を見れば配達前のマスクってわかるんですけどね


※長くなるので下削除。300RT程度


※長くなるので下削除。120RT程度

  


※長くなるので下削除。600RT程度

 ってな感じで今に至ります。拡散していないものを調べればもっとあるのは確実です。それと見ればわかる様に同じアカウントが複数回つぶやき、嘘を繰り返すことによって事実化しているとさえいえる行動をしています。またカビの付き方みたいな疑問はともかくとして画像の出所は記事を読めば類推可能であり、厚労省が把握している問題だというのが分かります。正直騒いでいる人間のうちどれくらいが本当に記事の内容を理解しているのかさえ不明。またこれによって配達が遅れたとありますが、該当資料にはその影響は不明とありますし、検品の強化による納入の遅れが果たしてどれくらいであったかも不明なので、この件については言及は不可能です。ただしかし、これは毎日新聞の報道前からの厚労省の作業によって明らかになった問題であり報道前に検品強化を要請している時点で仮に遅れたとしても毎日新聞の報道の影響ではなく、企業側の問題です。
 もともとこのデマは報道不信、特に朝日、毎日嫌い、左翼嫌いからくるネガティブ感情がおそらく前提にあり、そこに記事の読解力の低い事から端を発する飛躍、事実とは異なっていた論理「的」な肉付け、そして何よりもエコーチェンバーでもたこつぼでもインナーサークルでも何でもいいですが緩いながらも似通った政治傾向、問題意識を持つアカウント群による記事が明るみになった直後の短期的なカウンター的拡散と長期的投稿による問題意識の定着と普及が見受けられます。ただ何度デマを吐こうが、いくら論理的な説明をしようとしようが、根拠不明の断言をしようが、それはどこまでいってもデマだ。嘘だ。不誠実だ。



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【デマ】夫婦別姓はソ連で大失敗したという話は出典を改ざんしてる

 っていうのがあって、これだけではちょっと読みづらいので以下は貼られた文章の引用。

『ロシアにおける家族廃止の試み』 ニコラス・S・ティマシエフ(Timasheff)
1917年ロシアの共産革命によって政権を掌握した共産党・革命政府の施策は多くの抵抗に遭遇した。ソ連政府はその原因を家族にあると考え、革命を成功させる為、『家族の絆を弱める』こととした。
これにより、『夫婦別姓』が容認され、家族の結びつきは1930年頃には革命前よりは著しく弱まった。 しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。
1934年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。
①堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、“出生率が急減”した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
②家族、親子関係が弱まった結果、“少年非行が急増”した。1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
③性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
こうして、1934年には、国家はこのような“混乱”の対策に精力を消耗することに耐えられなくなった。 それは戦争に直面している国の「国力を破壊するもの」であった。これを是正するためには、社会の柱(pillar of society)である“家族を再強化”する以外に方法はなかった。

以上のテキストを簡単にまとめると「夫婦別姓」が容認されたソ連において、
 ①堕胎と離婚の濫用され、出生率が急減
 ②家族、親子関係が弱まり少年非行が急増
  愚連隊が出来、住居に侵入、略奪、抵抗者を殺戮した
 ③何百万の少女たちの生活が破壊された
というもので、夫婦別姓を導入することの恐ろしさが語られています。夫婦別姓の効果凄まじき……ですが、正直信じられないレベルの事が書いてある。偽書と思えるレベルの内容です。
 さて、このテキストはくつざわ氏の2021/5/13のブログ「入管法改正案に立憲と共産が抵抗し採決先送りに、与党は連中に配慮すんな敵なんだから」でも確認できます。しかしながら、果たしてくつざわ氏がこの引用元である『ロシアにおける家族廃止の試み』を読んでブログに書いたとはちょっと思えない。なぜならばこの『ロシアにおける家族廃止の試み』は日本語訳された書籍が恐らく存在しないからです。ではこのテキストの出典はどこか。

出典サイトからの転載時における改ざん

 ニコラス・S・ティマシエフ『ロシアにおける家族廃止の試み』の翻訳を日本で扱った書籍は1996年に発刊された八木秀次宮崎哲弥編『夫婦別姓大論破!』における小田村四郎氏が書いた部分です。そしてこの書籍をHPに引用しているサイトがあります。それによると該当部分のテキストは以下の通り。

夫婦別姓論者の真の狙いは何か
 その結果はどうなるか。かつて事実婚を公認した唯一の国家であった旧ソ連の 実験を左に紹介したい。以下は、ニコラス・S・ティマシエフ(Timasheff)の 「ロシアにおける家族廃止の試み」という論文(N.W.Bell"A Modern Instrucion to the Family"1960 N.Y.Free Prees所収)による。
 
旧ソ連の家族破壊はどう行われたか
 1917年、ロシアの共産革命によって政権を掌握した共産党及び革命政府の施策は多くの抵抗に遭遇した。ソ連政府はその原因を家族、学校、教会にあると考え、革命を成功させるため、家族の絆を弱め、教会を破壊し、学校を革命の担い手に変えることとした。「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」とされた家族に対す る攻撃は次のように行われた。
 一、従来、法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。
 二、離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。
 三、犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。
 四、堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者には中絶手術に応じなければならないことになった。
 五、子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。
 六、最後に、1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。
 この結果、一、同居、二、同一家計、三、第三者の前での結合宣言、四、相互扶助と子供の共同教育、のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみな さなければならないこととなった。
 これにより、「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻とで分け合うことになった。
 こうした反家族政策の狙いどおり、家族の結びつきは1930年頃には革命前 よりは著しく弱まった。
 しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。 1934年 頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。す なわち、
 一、堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。 それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
 二、家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ 連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に 侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、 終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、 先生は殴られ、女性たちは襲われた。
 三、性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、 弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
破壊後のゆりもどしはこう行われた
 こうして、1934年には、国家はこのような混乱の対策に精力を消耗するこ とに耐えられなくなった。それは戦争に直面している国の国力を破壊するもので あった。これを是正するためには、社会の柱(pillar of society)である家族 を再強化する以外に方法はなかった。かくして政府は次のような措置を取った。
(以下略)
ソ連の「革新」的な実験がもたらした大惨事

以上を見てもわかる様にくつざわ氏が引用したテキストとは被る部分もありますが、かなり内容が異なる事が伺えます。夫婦別姓大論破!とくつざわ氏のテキストの違いを視覚化すると以下の様になります。

まず一番重要な点は元の文章には夫婦別姓を容認」などという文章は存在しません。ニコラス・S・ティマシエフの「ロシアにおける家族廃止の試み」はソ連における家族破壊はどの様に行われたのかを述べたものですが、夫婦別姓については一切触れていません。要はくつざわ氏が紹介している部分は出典を改ざんしたデマなわけです。

夫婦別姓大論破!』での取り上げ方

 ではなぜ『夫婦別姓大論破!』においてこのソ連の家族崩壊を夫婦別姓批判の文脈で取り上げるかというと福島瑞穂氏によるソ連事実婚政策ともいえる部分への賛意を受けたものです。まず上述したサイトの引用部分と出典である『夫婦別姓大論破!』でも若干問題のある引用のされ方がされています。引用サイト上では「夫婦別姓論者の真の狙いは何か」という題目の後は「その結果はどうなるか。」と続きますが、原著の方では以下の様な流れとなります。

夫婦別姓論者の真の狙いは何か
 今回法務省が法制審議会の答申を受けて提案しようとした民法改正案は、非嫡出子の法定相続分の引き上げ、裁判上の離婚理由に破綻主義の導入、選択的夫婦別姓制の導入等、いずれも夫婦、家族の紐帯を弱めるという点で同じ方向を指向している。
 現行民法は一夫一婦制による法律婚主義を採用し、正規に届け出られた婚姻に基く家族を社会生活の最小単位として尊重している。このため家族共同体の呼称として同一の氏を称することとし、夫婦の同居相互扶助義務、守操義務等を定め、重婚及び堕胎を禁止している。
(中略。福島瑞穂、水上洋子、田島陽子の事実婚についての発言などを記述)
夫婦別姓はなぜ結婚制度廃止につながるか
 それでは、夫婦別姓はなぜ結婚制度廃止につながるのか。
 別姓制が導入されると、別姓夫婦や別姓親子が正規の夫婦・親子であるか否かは、戸籍をいちいち点検する以外に、少なくとも外見上は判定できなくなる。つまり正規の結婚と事実上の同棲や野合と容易に区別できなくなる。
(中略。法律婚のメリットは将来的に消えるとし、事実婚のメリットを挙げる)
 別姓の導入によって事実婚に対する社会的評価が一変すれば、事実婚は大手を振って急増することになる。
 その結果はどうなるか。かつて事実婚を公認した唯一の国家であった旧ソ連の実験を左に紹介したい。
夫婦別姓大論破!』 p.171~p.174

「その結果はどうなるか」は「●夫婦別姓論者の真の狙いは何か」という題目ではなく、「●夫婦別姓はなぜ結婚制度廃止につながるか」という題目でのテキストです。引用サイトが何故この様な微妙な変更をしたのかよくわかりませんが、「真の狙い」からのソ連の家族崩壊という流れを印象付けたかったのかもしれません。ただ引用部分にはないですが原著の方でもカッコつきの「革命」という単語を用いてるので、引用者と原著で思想的に大きな違いがあるとまでは言えませんが。
 そして原著における論理展開ですが、まず夫婦別姓などの当時の民法改正案は個人の権利の主張を貫くものであり、家族をばらばらの個人に解体するものとしています。つまりは夫婦別姓などを許していけばやがては法律婚をするメリットは消え去り、事実婚が増加するというある種の夫婦別姓によるドミノ理論であり、そのドミノの先にはソ連の様な家族崩壊が待っている、というものでしょう。それは以下の結論からもうかがえます。

以上が、結婚と家族を破壊しようと試みたソ連の壮大な実験の経緯と結末を紹介したティマシエフ論文の概要である。ところが、「家族」を敵視した共産主義者たちですら失敗と認めたソ連の悲惨な実験について、福島瑞穂氏は、「ロシア革命の後、様々な政策が根本から見直され、一時的であれ、事実婚主義がはっきり採用されていたとは素晴らしいことだと思う」(『結婚と家族』岩波新書)と手放しで絶讃している。別姓論者の意図が奈辺にあるかは、この一文によって察せられるであろう。
(中略。中略部分に別姓要素はなし)
 欧米のような厳格な一神教の伝統を持たないわが国にあっては、祖先祭祀を核とした 「家」の存在こそが社会秩序の基礎であった。(参照、加地伸行『沈黙の宗教- 儒教筑摩書房) 競争社会の中で唯一の憩いの場であり団欒の場である家庭が崩壊することは、社会秩序を根底から破壊する。それは国家破滅への道である。
 「ライフスタイルの自己決定権」と称して、別姓論者が事実婚を実行し、現姓に固執することは犯罪ではないから自由である。しかし、これを実定法以上の権利と主張し、別姓の法定を要求し、相続権も与えよというに至っては論外である。
 民・刑法の定める一夫一婦制度は、わが国社会秩序の基礎であって、これを破壊するような要求に法的保護を与えることは断じて許されないのである。

2chにおける拡散

 さて、くつざわ氏のテキストは元々の引用からの改ざん引用となりますが、ではこの改ざんをくつざわ氏がしたかというとそれは異なります。少なくとも2013年3月9日の2chに以下の様な書き込みが存在します。

これはくつざわ氏が投稿していたテキストとほぼほぼ同一のものです。なお、書き込みの一番下にURLが貼ってありますが、サイトURLは変わっていますが、これは上記で紹介した『夫婦別姓大論破!』を引用しているサイトであり、文章は当然ながら『夫婦別姓大論破!』となりURL先を確認すればすぐに嘘であることが分かる引用の仕方になっています。また、「夫婦別姓」とは別に以下の様なバージョンも存在します。

■結婚制度を破壊ver ※2012年12月9日

■全女性の労働参加を進めたver.1 ※2012年12月9日

■「婚外子区別」が“撤廃”ver ※2013年11月1日

■全女性の労働参加を進めたver.2 ※2014年10月27日

以上を見ればわかる様に一部で『夫婦別姓大論破!』の文章の一部を変えて使用するというコピペミーム化しています。「夫婦別姓」もその一つのバージョンに過ぎなかったものの、今回はそれをくつざわ氏が利用したことによって拡散したという所でしょう。ただこれの少しややこしい所は当時のソ連における政策において夫婦別姓の容認、女性の労働参加、婚外子区別、事実婚の政策化などは実際に行われている事でもあるということです。デマではあるけど、部分的にはあっているというのがこのコピペの厄介なところです。

ソ連における夫婦別姓について

 日本語環境ではソ連における夫婦別姓の容認についての論考は少ないのですが、数少ない論文として森下敏男『ソビエト婚姻法の生成と展開(上)』があります。まず森下によれば1926年法典における初期ソビエトの婚姻法の特徴は自由化の傾向であり、婚姻関係は大幅に私的自治の世界に委ねられ、登録婚はあったものの事実婚の成立については制約がなく、離婚も完全に自由化されます。またもう一つの特色としては弱者保護の観点や男女平等化の原則であり、特にこの男女平等原則の論理の下で夫婦別姓の容認が行われます。なお、この時期のソ連共産主義の下では経済的・政治的に自立することによる男女間の不平等が解消されるという家族消滅論(家族死滅論)や、それに伴い恋愛が自由化されるという自由恋愛論という考えがあります。それらはのちの揺り戻しを考えれば否定されるのですが、それはともかくソ連における夫婦別姓の流れは以下の様になります。
 まず1917年の民事婚等についての布告と18年法典によって結婚すると夫婦は共通性で姓は夫か妻のものとするという現行の日本と同じものが制度化され形式的には平等になりますが、これは現在の日本と同じく夫の姓が事実上多数を占めます。そこでこの時期には共通姓として結合姓(二重姓)制度も採用されます。これは例えば佐藤さんと鈴木さんが結婚した時に結合姓を選択すると「佐藤鈴木」という姓になるというものです。なおこの連結姓はドイツやフランスなどでも現在採用されいる姓の在り方の一つです。ただしこの結合姓は評判が悪く、26年法典ではその役割を早くにして終え、男女平等原則として夫婦別姓制度が導入されることになります。ちなみにここでいう姓における男女平等とは夫の姓を妻が強いられることは「妻の独立した人格の否定であり、妻が夫の一部分とみなされていることの証拠として批判」というものであり、欧米、日本でも言われている論理の一つです。
 この夫婦別姓導入の議論の際には家族は単一姓であるべきだという今の日本における反対派と同様の反対意見が存在していたり、逆に賛成意見としては経済的に独立している女性にとって改正はナンセンスだという今の日本でもよく聞く賛成、反対の議論が行われています。23年にはこの別姓案が出て、24年には26年法典よりも早く立法化。26年法典の際にも反対派の声はありましたが、立法責任者が改正を望まないものが多いのが現実であり、現実が制度の廃止を要求したとして以下の様な条文が誕生します。

「婚姻の登録に際して、夫婦は夫もしくは妻の姓を共通姓として名のるか、または各自旧姓のままでいるかについての希望を申し出ることができる」(第7条)

 なお現在日本において選択的夫婦別姓制度を求める多くの人間とは若干異なる論理もソ連は用いています。それが事実婚の存在であり、森下は以下の様に説明します。

夫婦が完全に平等となるべき社会主義の下では別姓が必然のなりゆきとみなされていたのである。また夫婦別姓制は、事実婚主義の下において、登録婚と事実婚の相違をほぼ最終的に解消するものでもあった。夫婦の共通姓は登録によってはじめて確定するのであって、それは登録婚の効果を事実婚から区別するほとんど唯一の事例であったが、二六年法典は共通姓の義務づけまでも廃止したのだからである

別姓により登録婚と事実婚の差異を消す為のものだというのは『夫婦別姓大論破!』における論理にかなり近しいものがあり、そういう意味ではあの論考自体が的外れというほどに的外れとは言えませんが、ただしそれを日本に当て嵌めてそっくりそのまま考えるべき事の妥当性があるかは疑問です。
 ちなみにニコラス・S・ティマシエフの論文の様にソ連のこの事実婚主義は失敗したと言わざるを得ず、44年には事実婚から登録婚への揺り戻しが行われ、家族の強化の必要性が指摘されます。その際の論理としては男女平等が実現したから事実婚の保護は不要になったという欺瞞的なものや、26年法典で事実婚が自由化されていても登録婚の意義は重視、登録婚と事実婚は完全平等ではなく事実婚は夫婦共同材先生と扶養義務の点での事実婚保護の強調をしていたにすぎず登録婚の強調は揺り戻しではないとする論理などが存在します。また事実婚主義に関しては西側諸国から共産主義者による家族破壊のたくらみとして理解されたとされますが、ソ連内でも事実婚主義に対する否定的な見解が登場します。マトヴェーエフによれば事実婚主義は決して婦人を保護しなかったのであり、実践が示したように家族を瓦解させ、かえって婦人を困難に陥れた、30年代以降に事実婚主義が否定されるのは歴史的役割が終了したからではなく、そもそもはじめから誤っていたとしています(森下敏男『社会主義と婚姻形態―ソビエト事実婚主義の研究』による)。
 マトヴェーエフが言うようにソ連における事実婚主義に関してはやはり問題を含むものだったと理解できるものですが、だからといって『夫婦別姓大論破!』の様に「事実婚主義」=家庭の破壊というのは短絡かと考えらえます。引用されているニコラス・S・ティマシエフでもその一端は伺えますし、該当論文を引用しているMartina Pavelková『The Characteristic of Family and (Re-)Educationin the Communist Perspective』を読む限り、当時のソ連においては共産主義教育を受けた子どもと親との間での意識の違い、失業率、子どもの預ける施設の存在の有無、浮浪児やそれを受け入れる体制の問題などが伺え、当時の国家状況も勘案する必要があります。事実婚主義やこれらの組み合わせによっての失敗はあり得ますが、事実婚主義の一つだけで家庭の破壊までは飛躍が過ぎるかと。
 ソ連事実婚主義から登録婚への揺り戻しが存在したのは確かな様ですが、その際に夫婦別姓までもが戻されたのかまでは論文にないために不明です。ただし現在のロシアにおいては夫婦別姓が一つの選択肢として認められている事から、類推となりますが事実婚からの揺り戻し期においても選択的夫婦別姓制度は変わらなかったのではないかなと。夫婦別姓が大失敗であるならば現状のロシアにおいてその制度が残っているとは考えづらく、そういう意味では「選択的夫婦別姓で大失敗」そのものは事実に反するのではないか。


【11月20日追記】
追記①
 やはりソ連では選択的夫婦別姓導入後、それが変更されてはおらずに現在のロシアまで引き継がれているという書き込みを読みました。なので選択的夫婦別姓制度そのものは「失敗」扱いされていはいない。

追記②
 ツイッターでニコラス・S・ティマシエフの論文”The Attempt to Abolish the Family in Russia”が載っている雑誌がダウンロードできる場所をお教えてくれた方がいました。なので読んでみた。今回の記事に関連する特徴を書くとするならば以下の様になります。

・(革命前の)ロシアでは妻は夫の姓を受け継ぐ。なお西洋の様に女性を「Mrs ~」と呼ぶのではなくファーストネームを使わなければならないとした

「姓」に関する話題はおそらくここだけで別姓については一切語ってないと思われます。事実婚についてこの論文を用いるならともかくとして、夫婦別姓について語るならば不適切としか言いようがない。やっぱりデマですね。



■お布施用ページ

note.com

OECDのデータで「批判的思考」を日本が育んでいないというのはちょっと微妙に思える

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 というツイートがあり、そしてそこで示されてるデータはこちら。

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たしかにこのデータを見る限りは日本は「生徒の批判的思考を促す」を育んでいない教育と読み取れるデータです。正直、異常なほどに。ちなみに「批判的思考」ですが、別名はクリティカル・シンキング。単純に巷で言われている「批判」も含みますが、ちょっと異なる概念と言えます。京都大学大学院教育学研究科教授の楠見孝氏は以下の様に批判的思考を定義しています。

第 1 に、証拠に基づく論理的で偏りのない思考である。第 2 に、自分の思考過程を意識的に吟味する省察的(リフレクティブ)で熟慮的思考である。そして、第 3 に、より良い思考を行うために目標や文脈に応じて実行される目標指向的な思考である。
https://psych.or.jp/wp-content/uploads/old/61-5-8.pdf

実際のデータや質問を見てみよう

 まずこのデータの出典はOECDTALISという調査の2018年版です。さらに日本における調査票はこちら。該当部分に関しては教師に対する質問であり、その質問は以下のようなもの。

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問31 あなたの指導において、以下のことは、どの程度できていますか。
(7) 生徒の批判的思考を促す

つまりは教師に対する自己評価として「生徒の批判的思考を促す」授業を出来ているかという問いになるかと考えます。他の外国は分かりませんが、正直日本の教師に対する「~が出来てるか」系の自己評価で高い値が出るかというとあまり期待できないという先入観がどうしてもぬぐえない。実際にこの問31に対する日本の「かなりできている」「非常によくできている」の回答率は軒並み低いと言えます。少々長いですが全13問の回答は見ていくと以下のようなもの。

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全13問全てで日本が最下位です。これからわかることはむしろ日本の教師の自己評価、TALIS上では「自己効力感」が著しく低いことであって日本で批判的思考を育む教育の問題点のデータとして語るには少々向いていない気がします。文科省もこのデータでは以下の様な結論を出しています。

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日本の小中学校教員は、高い自己効力感を持つ教員の割合が低い傾向にある。
(略)
ただし、このような結果が出た理由として、日本の教員が他国の教員に比べ、指導においてより高い水準を目指しているために自己評価が低くなっている可能性や、実際の達成度にかかわらず謙虚な自己評価を下している可能性もある。

 この結論的な部分は数値が低いことのただの言い訳にもなっていますし、それが謙虚かどうかはともかくとして。このデータで分かることは「諸外国と比較して教師の自己効力感が著しく低い」であって「諸外国と比較して(日本の学校教育が)批判的思考を育まず、無批判服従を良しとする調教を続けた」ではないでしょう。付け加えて言うとこのデータをそのまま教育のデータとして受け取るとするならば、「児童生徒を教室のきまりに従わせる」、「学級内の秩序を乱す行動を抑える」なども諸外国と比較して低く、最下位なので「無批判服従」とは少々矛盾する事になります。一つだけのデータを見ると導かれる結論がそのほかのデータと比較してみると矛盾する部分がある一例のようなものですね。
 あと、脇道ですがポルトガルとか一部の国はどの値も異常に高いんですよね。それらの国は教師の自己効力感が無茶苦茶高いのかもしれませんが、果たしてどこまでこのデータが比較に相応しいかも難しい気がします。ちなみにロシアも表に入ってたんですがこの設問は行っていないのか集計がなかったようなので表から除外してます。なので文科省には48か国平均とありますが、正しくは47か国平均かなと。なおベルギーのみ「- Flemish Comm. (Belgium)」(フランデレン地域 )が別枠で集計されていますが、こちらはややこしいので上記の表からは削除しています。

指導実践から読み取れる「批判的課題」

 批判的思考への教育を考える際にもう一つだけ参考になるデータは存在します。それが指導実践を訪ねた項目におけるもので、内容としては以下のようなもの。

問39 対象学級 における指導について、以下のことをどのくらいの頻度で行いますか。
(6) 批判的に考える必要がある課題を与える」

こちらの各国比較データは以下のようなもの。

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相変わらず日本はぶっちぎりで最下位なわけですが。ただ教師の自己効力感で測るよりも頻度を聞いているこちらの質問の答えから語る方が有益でしょう。それとほかの質問での答えについては少々横着をして文科省の日本のみのデータを拝借しますが、それによると指導実践の結果は以下の様になります。

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参加48か国平均を下回るのが基本な事はわかります。ここら辺は改善をしていかなければならない面もあると思いますが、果たして日本の教育改革が信頼できるかというと正直……、なところもあって難しそう。

 私自身も別段日本の批判的思考(クリティカルシンキング)の教育のレベルが高いとは思いませんが、元ツイートの方のデータから直結的に批判的思考教育が行われていないというのはやや早計かなと考えます。発言と実態があっていたとしても、引用するデータがその発言内容を必ずしも補強しているとは限らないものを持ってきては説得力が落ちます。なお、この記事自体が批判的思考ってやつになると思いますが、はてさてどれくらいの人がこのデータとツイートに対して批判的思考を持っていたか、とか考えるのは性格が悪いですね。OECDの統計表データ探すの、ちょっと手こずった。

令和3年版自殺対策白書に著名人の自殺の後に自殺が増える事がデータとして書かれてた

 先日、厚労省から令和3年版自殺対策白書が発表されました。2020年の自殺についての話ですが、やはり主に注目されるのはコロナ禍であったりそれによる女性の自殺の増加などは去年から話題になってました。実際にデータとしては去年の自殺数は久々の増加となっており、特に女性の自殺数の増加は特徴的と言えます。

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また去年だけではありませんが、最近の傾向を見ると19歳以下の子どもの自殺も増加傾向なのも気がかり。

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ちなみにコロナ禍なので経済問題が理由の自殺者が増えたと思いきや、経済問題はむしろ減少しており、健康問題が増え、さらに男女問題、学校問題ではそれらよりも元の数が少ないとはいえ2019年と比較して10%以上増加。どこまでコロナ禍の影響かまでは分かりませんし、自殺は複合的な要因が連鎖して起きるので「これ」が原因とだけ言うのは危険ではありますが、これらの動機が2020年の自殺増加のひとまずの原因だという事が分かります。

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著名人自殺による自殺者数への影響

 著名人などによる自殺が起き、それによる自殺報道がなされた場合、その後に自殺が増えるというウェルテル効果というものがあります。そして2020年には幾度かそういった報道があり、そして実際に増えたことについて自殺対策白書に書かれていました。詳しいデータはリンク先に書いてあるのですが、この記事でもいくつかデータを貼っておきます。

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 上記は過去5年の自殺者数をもとに予測した2020年の予測値と実測値との差ですが、自殺報道のあった7月18日に自殺者数が増え、そしてもう一つの自殺報道があった9月27日以降にかなりの増加がみられます。また例年の10月は下記の図の様に特に他の月と比較して自殺が多いという事ではない事からも報道の影響が色濃く出ていると考えて良いかなと。

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そして「報道後2週間と報道前2週間との自殺者数の比較」、「報道後2週間と前年同期との自殺者数の比較」を見ると自殺報道の自殺者数の関連は疑いようもない。

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 ただし。この自殺報道そのものがどのくらいの期間まで自殺に影響を及ぼしているかまではわかりません。7月ごろから継続的に自殺者数が予測値よりも常に上回っているような状況ですが、常識的に考えて2週間程度のタイムスパンならともかく1か月、2か月後にも強い影響を及ぼしているとは考えづらい。コロナ禍の影響が夏から徐々に出てきたとも考えられますし、自殺報道の影響をあまりにも大きく見すぎる事は宜しくない。だけれどもやはり自殺報道によって自殺が増えるという事はデータから見ても恐らく確かであり、自殺報道というものは気を付けてやらなければいけなくなってきているのかなと。

脇道。相談件数における男女の違い

 第2章「新型コロナウイルス感染症の感染拡大下の自殺対策に係るSNS相談の拡充」でちょっと興味深い事が書かれていたので脇道として置いときます。
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BONDプロジェクトは10~20代の女性が対象なのでそれを抜きにしたとしても、全体的に相談件数の男女比の割合が女性が圧倒的に多め。自殺者は男性の方が多いことを考えると、男性の男性性からの相談しづらさなどがあるのかななどと思った次第。