電脳塵芥

四方山雑記

【デマ】アジア諸国の首脳が太平洋戦争における日本の功績を認めているといういくつかの「名言」は存在しない - スカルノ編

 名言?調査スカルノ編です。ネットで流布している発言には細かなところが違う亜種がいくつか存在するので下記に引用する発言は該当ツイートの画像の文言とは異なります。そこだけは悪しからず。

ネルー編

出典はどこか

インドネシア独立戦争では、3000名の日本兵インドネシア独立の為に戦ってくれました。インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を今の日本の若い人達は、ほとんど知りません。残念でたまりません。私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事をきちんと日本で語り継いでほしいと思います。そして、インドネシアへ来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵奥城にお参りして下さい。その墓標には、みなイスラムの名前と日本人の名前が彫られています。

 まず「スカルノ」のこの発言もネルー発言と同じく書籍では見当たらない胡乱な発言です。勿論、それは私の見た書籍の範囲となりますが、少なくともこの発言が主に出回っているのは第二次世界大戦有識者の名言集やインドネシアと日本の関係について書かれた個人ブログなどが主です。ではこの発言がいつ頃出始めたのかというと2010年のブログ「本当の日本の歴史」による2010/12/12「インドネシア解放の為に戦った「日本軍神」」(現在削除済み。インターネットアーカイブより)で該当発言が書き込まれていることが分かります。ただしこの記事が初出というわけではなく2chの「★☆★世界史板雑談スレ★☆★」の2010/11/21の書き込みで同ブログの「インドネシア人からの日本への感謝の言葉」という記事?のコピペが貼られているために、現在遡れるこの発言の出どころは2010年11月ごろとなります。なお該当記事はインターネットアーカイブからも見る事ができないためにどの様な記事であったかは不明ですが、ただ少なくとも12月の記事を見る限りは出典が書いてある系統の記事ではないことが伺えます。またスカルノのこの発言は2011年ごろに複数のブログで書き込みが見られ*1、2010年下半期から2011年上半期ごろに流布したものであることが類推は可能です。

発言の元ネタ

 さて、この発言ですが元ネタが存在します。でもそれはスカルノの発言ではありません。まずネットにおけるこの元ネタ発言の初出は「クンユアム第二次大戦戦争博物館」です。このHPは元日泰平和財団理事長のタイ人チューチャイ・チョムタワット氏とそのHP管理人武田浩一によるHPであり、2004年ごろには開設していたHPです。その中に「歴史の一頁」があり、そこにはプラモード氏の発言をはじめとした各国の所謂名言集的な項目があります*2。そこに件の発言ありますが、その発言主はイドリスノ・マジットというイスラム教団特派記者であり、スカルノではありません。そしてそこに記述されている出典とは「インドネシア福祉友の会 NO.183 月報 1997年7月号 ―福祉友の会・200号「月報」抜粋集―より」です。ちなみにインターネットアーカイブで遡る限りは少なくとも2008年10月ごろにこの記事が引用されており、この発言がスカルノの発言になって流布されたのは最低でも2008年の10月以降であることがわかります。
 この「福祉友の会」という団体は戦争後にインドネシアに駐留し、敗戦後も独立戦争を戦った残留日本兵やその子孫らで組織された団体であり、元々はその団体による月報が元ネタです。その経緯からアジア解放史観との距離感が近い団体であり、月報抜粋集をみるとそれが色濃く出ています。そして件の発言の原資料は以下の様なものです。

日本はアジア解放の戦いを語り継ぐべきだ
 インドネシア独立戦争では、約3,000名の日本兵インドネシアのために戦ってくれました。その日本兵たちはインドネシアの基本をなすイスラム文化と宗教を大切にしてくれました。日本とインドネシアの間では、スカルノ前大統領の言葉のように、「ダリハティカハティ」です。「ハートツウハート」です。「心から心」です。インドネシアの独立を挟んで「心」が通ったのです。私たちはその「心」を大切にし、同じアジアの民族として伝えなければなりません。その「心」は日本とアジアばかりではなく、世界の平和にもつながるのです。
 ところが、インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を、今の日本の若い人たちはほとんど知りません。残念でたまりません。
 私たちの独立のために戦ってくれた日本兵のことを、きちんと日本で語り継いでほしいと思います。そしてインドネシアに来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵奥城(オッキ)にお詣りして下さい。その墓標には、みなイスラ ムの名前と日本人の名前が彫られています。

「独立は一民族のものならず、全人類のものなり」(1958年2月15日、東京にてスカルノ大統領、東京都港区青松寺境内の碑)
 私たちも日本訪問のときは、九段の靖国神社にお詣りいたします。
 日本の天皇陛下は世界平和と民族のため、日々お祈りを捧げていると漏れ聞いております。そのことは、本当に素晴らしいことです。私たちイスラム教徒も日々、神に世界の平和を祈っております。その祈りの心は共通しています。
 私の個人的な歴史観ですが、近代史においては、1776年(7月4日独立記念日)イギリスの植民地からのアメリカ独立戦争、1789-99年(7月14日パリ祭)のフランスで起こったブルジョア革命と共に、欧米人によるアジア・アフリカの植民 地解放を目指した今世紀の大東亜戦争が、世界史における三大戦争であることを明記すべきであると思っています。
インドネシア独立戦争に参加した「帰らなかった日本兵」、一千名の声 -福祉友の会・200号「月報」抜粋集- p.318より

太字で強調した部分がスカルノの発言だとして流用されている事が分かります。なぜこの発言を選び、それをスカルノの発言と捏造したのかまでは不明ですが、少なくとも誰だかわからない記者よりもスカルノというネームバリューで箔をつけたという所でしょう。なおスカルノの発言として扱われる際に「心」のくだりも入っている場合もあり、この様な複数バージョンの存在からもしかしたら元ネタからの改ざんは何回かされている可能性もあります。それとイドリスノ氏は3000名の日本兵インドネシアの為に戦ったと記述していますが、この著作が「一千名の声」と示す様に福祉友の会の抜粋集ではその冒頭に”軍属・民間人を含む「帰らなかった日本兵」一千名が、その独立戦争を共に戦ったのです。(抜粋集 p.vii)”とあるように3000名というのは誤っています。なお、何故かこの3000名は冒頭の画像にある様に2000名になる時もあり、よく数字がぶれる箇所です。

映画『ムルデカ17805』

 以上みてきたようにこのスカルノ発言は捏造です。そして最後に少し脇道ですが調べててこのスカルノ発言と併せて「ムルデカ17805」という映画を紹介しているブログがいくつかありました*3。ムルデカ17805とは2001年公開の日本の戦争映画でインドネシア独立戦争に関わった日本兵を描いているものです。要はスカルノほかの「名言」ととても食い合わせの良い映画であることから併せて紹介されているのでしょうが*4、実はこの映画、駐日インドネシア大使らから以下の様な苦言を呈されています。

映画「ムルデカ」にクレーム
駐日インドネシア大使「歴史に反し、国民の威信落とす」
制作者、一部シーンをカット
(中略)
シャハリ・サキディン在日インドネシア大使館参事官の話
 制作会社に手紙を送り、インドネシア人の感情を傷つけると思われる部分の削除を要請した。インドネシア上映の予定もあるので、良好な日本とインドネシアの関係にヒビが入ることを避けるためだ。
 一番の問題の箇所は、島崎武夫中尉がジャワ島に上陸する時、ジャワ人の老女が中尉の足に口づけをするシーン。ジャワでは結婚式の時、新婦が新郎の足を洗う儀式はあるが、口づけなどしない。そんな習慣はない。夫婦だったら足に口づけしてもいいが、映画では侵略者の足にインドネシア人が口づけしている。そんな歴史はない。インドネシア人はこのシーンを見て怒りを感じるだろう。だからこのシーンの削除を要請した。
両国にある繊細な問題をセンセーショナルに描き出す必要はない。ムルデカは作り手の主観の入ったロマンスでありフィクションだから、映画全体については見た人が評価すればいい。
 しかし、この映画の試写を見たインドネシア人たちは「まるで日本がインドネシアの独立を勝ち取ったみたいに描かれている。行き過ぎだ」と言っていた。映画で描かれている日本人のヒロイズムはインドネシア人には理解が難しいものだろう
じゃかるた新聞 2001年3月16日

スカルノ発言は捏造なのでそもそも論外ですが、それを置いといたとしてもアジア解放史観を対外的、そして当事者に発信することは危険であることが分かります。日本のネット上ではしゃぐ程度であっても認識をそちらに寄せると痛い目を見る可能性はありますし、気持ちよい文言ばっかり見てると歪むし、リスクですらある。



■お布施用ページ

note.com

*1:その1(2011/7/6)その2(2011/5/6)その3(2011/3/27)

*2:2018年ごろにできたであろう「歴史探訪」というHPを見るとネルーの発言をこの博物館を出典にして記述しています。しかしながら博物館HPにはネルーの発言はないために「歴史探訪」の誤り。出典HPにない発言を載せており悪質……。

*3:その1その2

*4:当然ながらこの映画にスカルノの名言は出てきません。