電脳塵芥

四方山雑記

「中澤琴/中野竹子/林田民子」とされる女性の写真は芸者「深川のお松」の写真

https://twitter.com/mokkorinight/status/1782546989827424268

 というのがバズっていた。これに対しては歌舞伎、芸者のコスプレ写真だという指摘があって投稿者自身もそう訂正しているが、ただこの情報自体にソースはない。ちなみに投稿者は写真の女性を「中澤琴」ととして紹介しているが*1、「中野竹子」と紹介されたり*2、「林田民子」と紹介されたりと*3、かなり人物はブレて紹介されている。要はこの写真の女性は「誰か」わからないのである。結論から言うと、実際にこの女性は誰であるかは分からない。ただ沼田市を拠点にしたプロジェクトのJosyu Entertainmentという「中澤琴新徴組」ではこの女性を含む写真を「※写真はイメージです」というキャプションを付けながらも使用していたりと、注釈を付けながらもちょっと危うい使用をしている。
 そしてこの写真だがまずはアメリカで広まったもので、それが日本に到達して拡散、そして上記の様に○○の写真という誤った紹介がされるに至っている状態となる。ネット上に出てきた時期はおそらく2013年初頭には確認でき、元々はオークションで”Portraits of Japanese Kabuki actors and geisha(歌舞伎役者と芸者の肖像)”と紹介されて売りに出されたのがきっかけだ。その商品説明と思われる文章は次の通り。

Unknown photographer. Portraits of Japanese Kabuki actors and geisha. 1870s. 34 albumen prints. Each circa 8,5 x 5,5 cm,5 x 9 cm and 21 x 27 cm (2). Each mounted to board (some traces of use), smaller prints 16 to a page.
Relatively early and unusual portraits of Kabuki actors and geisha. – Most smaller prints faded, especially in edges, some with light smudge marks, otherwise in good to very good condition.
(無名の写真家。日本の歌舞伎役者と芸者の肖像。1870s.34点のアルブメン・プリント。各約8,5×5,5cm、5×9cm、21×27cm(2枚)。それぞれボードにマウント(使用跡あり)、小さいプリントは1ページに16枚。
歌舞伎役者や芸者の比較的初期の珍しい肖像画。- ほとんどの小版画は色褪せ、特に縁に薄汚れ跡があるが、それ以外は良好から非常に良い状態。)
https://web.archive.org/web/20130107144421/http://194.25.171.19/bassenge/en/lose.asp?c=O&lot=4058&DET=1

上記のオークションカタログ(?)ページは見れなくなっているが、商品説明などはないもののこちらのオークションページは生きており、当然ながら同様のタイトルである事が確認できる。これが写真だけの見た目で芸者などの部分が抜けて「女武者」として扱われ(海外では2013年2月時点で「女武者」ではないという指摘がある事から、あちらでも不確かな情報が当初から広まっていることがわかる。)、今の様に歴史上の著名な人物に当てはめた紹介が行われるようになったと考えられる。女性が甲冑を着ているという「映える」写真であったために起きた現象だろうが、とりあえず写真の女性はそれらの人物ではない。


【4月28日追記】
https://twitter.com/MukashimonBunko/status/1573968427278270465

 幕末・明治期の古写真を蒐集しているというむかしもん文庫さんによればこの写真は「深川のおまつ」であるという。そしてこの「深川おまつ」について調べると以下の様な写真が見つかる。


出典:山口県文書館


出典:東京大学総合研究博物館所蔵 三宅コレクション

東京大学の方のページには”台紙裏鉛筆書「深川お松」”とある事から山口県文書館、むかしもん文庫さんの写真の裏にも「深川おまつ/お松」と書いてあるのだと思われるし、顔を見る限りは確かに類似点が見られるので写真の女性は深川の芸者おまつで良いのかなと。三宅コレクションを見ると複数の芸者の写真が見られるが、芸者の名前は大抵が記されていない。その中にあって名前が記されており、また複数の写真が残っていることから当時有名な芸者だったのではないか。


【5月1日追記】

 国会図書館などの資料からみる「深川のお松(おまつ)」についての追加情報を記しておく。


出典:潮(1973-04)

深川おまつ 明治7年ごろから和洋混乱時代 東京府が女子のザンギリ頭禁止令を出すほど〇髪がはやった。シルクハットをかぶった羽織芸者おまつは当時を代表するものだろう。
※〇は文字が見えない不明部分

上記は写真家の影山光洋が1973年の紙上で当時の芸妓についての写真で触れられている部分。左ページは木戸孝允の夫人である幾松、陸奥宗光の不振となる新橋小こすず、男殺しで毒婦として有名となった高橋お伝、明治初年に有名となった吉原太夫今柴の4人で1ページ扱いだが、おまつは一人で一ページを使用されている。現代に入ってからの簡単な検索で引っかかる彼女の人物に迫る記述は以上の様なものだが、戦前には以下の二点の様な記述が確認できる。

學鐙(1902年(明治35年)7月)
今より二十六七年前深川のお松といふ藝妓が其頃流行した男の外套、俗にヒキマハシと呼ぶ合羽を着て蝙蝠傘を翳した写真を今様姿として挿んである。封建時代の服裝ではまさかに間違へるものもあるまいが兎もかく明治の時勢粧であるから外國人は此二十六七年前の写真を以て今の風俗と思ふかもしれない。

上記は善松という人間が書いた文で、文脈としてはジョン・ラファージという人間が著した寄稿文「An Artist's Letters from Japan」の中で当時から3、4年前の著述にも拘らず二十数年前のおまつの写真が使用されているというものだ。なおこの文章はその後の1925年(大正14年)に内田魯庵がこの文章と類似の内容を「貘の舌」という書籍で書いている。

此書は明治三十年ころの著述だが、明治十一ニ年頃盛んに名を売った深川のお松という芸妓が其頃流行した男の外套、俗にヒキマワシと呼んだ雨合羽を着て蝙蝠傘を翳した写真を現代日本風俗として挿入している。

善松と内田魯庵との関係は本題ではないので置いておくが、かなり酷似した文章なのは違いない。内田魯庵は1868年の東京生まれなので明治11年1878年)ごろの風俗ならば知っている可能性はあるので何とも言えないが、善松の文章が前提にある事だけは間違いない。そして”An Artist's Letters from Japan(ある画家の日本からの手紙)”での「お松」がその恰好から次の絵と思われる。

 以上が簡単に検索した「深川のお松」に関する情報となる。当時の書誌を探せばまだわかることがあるのかもしれないし、「深川のお松」の写真自体は古本屋やオークションを探せばたまに見つかることがある。例えば魚山堂書店ではお松を含めた芸者2枚1セットの写真が売られおり、実物も確認したところ山口県文書館と同様と思われる写真が売られていた。これは当時の芸妓の写真がこの様に売られており、今風にわかりやすく言えばアイドルのプロマイド写真的な扱いだったのだろう。そして「深川のお松」は当時人気の芸妓であり、また残っている文章や写真からするとやや男性的な見た目を好んでする芸妓であり、そしてその分かりやすい例が冒頭の甲冑を着た写真であったのだろう。

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