電脳塵芥

四方山雑記

陸自幹部による靖国神社参拝についての計画資料

 事の経緯としては1月9日に陸自幹部が集団で靖国神社参拝したという報道が存在し、報道では実地計画が作成されて行政文書として保存されているという内容があった。なのでその資料を開示請求したところ、以下の二つの資料が開示された。

令和6年の年頭航空安全祈願ロジ

 以上の様な感じの実地計画がなされており、続くページでは「6 参拝要領」として記帳や本殿参拝の仕方、「7 移動」で各職務の移動方法、「8 管理事項」として服装(私服(ネクタイ着用のスーツ))、玉串料として各人2000円、「9 緊急時の対応」(この部分はすべて黒塗り)などが記載されている。そして全体の流れは次の様に記述。

計画内容に関するものは以上であり、その後の別紙として「靖国神社全般配置図」で導線の説明、「参加者一覧」(陸幕副長以外は黒塗り。凡例を見ると不参加者も存在か)、「参拝要領」として本田参拝までの流れ、署名の要領、席次、参拝手順を各1枚ずつ説明、「移動経路」が5枚、参考資料として「靖国神社の起源等」、「航空事故調査委員会組織図」(すべて黒塗り)、「自衛官の参列に関する根拠等」という構成になっている。この中で気になった資料をピックアップするが、まずは「靖国神社の起源等」。

この文面説明は靖国神社公式HPにおいてある「靖國神社の由緒」に似ているのだが、細部がほんの少し異なる(例えば資料は「靖国神社の起源は明治2年(1869)6月29日~」で始まるが、靖国HPは「靖國神社は、明治2年(1869)6月29日~」で始まり、資料には記載のない一節が入る。)。この参考資料とHPの起源の記述の差異については自衛隊の参考資料が靖国神社HPリニューアル前の文章を載せているから発生している齟齬なのだが、靖国神社のHPリニューアル自体は2018年の出来事であり、なぜそれが2024年資料に使用されたのかは不明。自衛隊内にそういう古い資料が残っていたのでそれを借用した、というのが一番合理的な考えか。そして「自衛官の参列に関する根拠等」には次のようなもの。

自衛隊靖国神社に参拝」となると問題になるのではないか、という批判を想定しての資料と思われる。これについては「③官用車の使用を控える」という部分について、当時の報道で公用車を使用しているために問題になっていたし「全般時程」にも官用車が記述されており、③の部分が計画中で守られていないよう見える。

令和6年の年頭航空安全祈願実地計画

 そして2つ目の資料は以上の様なものだが基本的には「安全祈願ロジ」と内容はほぼ変わらない。ただ資料に記述されている日にちが1月10日になっており(ちなみに黒塗り部分は「装備計画部」であることが黒塗り無しの文書を入手した共産党の穀田恵二議員により明らかにされている。)、9日の参拝は終了後となる。ただ、この資料によれば参拝の日時は以下の様に「1月10日 8時~」となっているし、全般自程も官用車から徒歩になっており、計画そのものが異なっている。

これ以降の資料は「安全祈願ロジ」と全く同一なので割愛する。この日時の違いが何故発生したのかは朝日新聞によれば能登半島地震の対応で参拝が前倒しなったからとなる。

この集団での参拝は、私人としての航空安全祈願として、事故調で同省勤務の1佐以上を中心とした41人に案内を出し、参加したのが22人だった。行政文書の「実施計画」に参拝を定めていたが、幹部を含む参加者の所在を省内で共有するためだったという。当初は10日朝に参拝する予定だったが、能登半島地震の対応で早朝の会議が連日入ることから9日午後に変更。小林氏は移動手段をタクシーから公用車に切り替えたとされる。
陸自幹部が集団で靖国参拝は「部隊参拝ではない」 防衛省が調査結果

なので資料的には「1月10日」と書かれた資料が古く、「1月9日」と書かれた資料の方が新しいものだと考えられる。

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