電脳塵芥

四方山雑記

エポック社のボードゲーム『朝鮮戦争』は少なくとも回収騒ぎにはなってないと思うよ

https://twitter.com/tekidanhei/status/1670107127162241024

 ってなツイートを掘ります。この「エポック社朝鮮戦争を題材にしたボードゲーム」に関する話は過去からチラホラとされていて、それは取りも直さず実際に抗議自体は存在しており、また朝日新聞による新聞記事そのものが存在していることからこういうツイートへと繋がるわけです。ただまず言っておきますが「回収」は確認されていませんし、上記以外のアカウントによるツイートでは「国会で問題視された」的なものまであります*1。さらに議論だけにとどまらずに国会で共産党の議員が使用した末に禁止された*2、発表段階で議員界隈が話題にして発売後に問題になり再販が禁止された*3などまであります。本題に行く前に片づけますがこの「国会で議論された」は国会会議録検索システムで「ボードゲーム」「朝鮮戦争 エポック社」などで検索すればわかる様にそんな議論は存在しません。明確にその後の尾ひれです。
 なお脇道ですが、擲弾兵氏は過去数度この話題をしていますが、


https://twitter.com/search?q=from%3Atekidanhei%20%E3%82%A8%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF%E7%A4%BE&src=recent_search_click&f=live

2016年:国家として抗議した
2018年:朝日新聞が主導した
2023年:総連が社会党が抗議した

とツイートするたびに相手がブレてて一貫性がない。対象が朝日や総連、社会党なあたりに一貫性があるとも言えますが。

当時の朝日新聞記事

無神経「朝鮮戦争ゲーム」 大韓弁護士会 商標登録不許可を申請
 【ソウル十二日=共同】韓国の弁理士の全国組織「大韓弁理士会」(任石宰会長)はこのほど、日本のおもちゃメーカーがことし春に製造、国内販売した「朝鮮戦争ゲーム」について「同じ民族間の戦争をおもちゃの対象にしていることは許せない」として、日本の特許庁に対して商標登録を認めないよう求める異議申請書を提出した。
 大韓弁理士会によると、このメーカーは「エポック社」(本社東京都台東区)で、「朝鮮戦争ゲーム」は1メートル四方の板に朝鮮半島の地形を描き、戦車・戦闘機・歩兵などのコマを動かして遊ぶもの。説明書には「金日成ライン」「仁川上陸作戦」などの用語が登場する、という。同社はこのゲームを1セット3,800円で、今年3月から販売し、これまでに6000セットを製造したという。
 大韓弁理士会は「我々が忘れてしまいたい韓国動乱(朝鮮戦争)を無神経にゲームの題材にすることは、単なる遊びといっても許せない。このようなことが認められるとすれば、日韓間の友好関係を損なう恐れがある」と警告している。
 エポック社の話 朝鮮戦争ゲームは、当時の状況をもとにしたシミュレーションゲーム。説明書も歴史書と同様、詳しく記述してあり、不幸な戦争を正しく認識してもらうためのもので、単なるおもちゃではない。しかし一部からでも好ましくないとの声があれば、商標登録について異議に抗弁する意思もない。ゲームは既に製造は中止している。 (共同)
朝日新聞 1984.11.13 朝刊

 問題にされている朝日新聞の記事は以上の様なものです。なおこのボードゲーム朝鮮戦争」の話題において新聞記事はこの1つのみです。故に朝日新聞が記事にしたという事は事実ですし、関係者にとっては新聞記事になったという認識そのものは正しいでしょうが、「朝日新聞が主導した」という認識そのものは誤りと言えるでしょう。そもそも記事になっている11月時点でゲームは製造中止になっていますから事後報道であり、論説でもありません。細かい事を言えば朝日新聞掲載記事ですが「共同」とあるように記事を配信したのは共同通信でしょう。読売、毎日、産経がこの件についての記事を出していないことから朝日新聞はこれを紙面記事にするレベルの話と判断した、ということは言えるでしょうが、「朝日新聞が主導」的な話は誤りと考えて良いかなと。ちなみに朝日新聞ボードゲームですが、「本邦ウォーゲーム黎明期の朝日新聞記事」というページに記事の見出しと概要が書かれており、朝日新聞自体はウォーゲームに批判調な部分がある記事もあるけれど、キャンペーン的なものとは言えません。今回の件で言えば84年8月の「ウォーゲーム 現代戦争症候群(いまふういくさもよう) 8・15を前に」という記事は今回との繋がりを見出そうとすれば出来る程度。
 そしてその他の新聞ですが、既述した様に読売と毎日は記事にはしていません。そして発売年である1984年3月から12月までの民団機関誌の民団新聞、総連系の朝鮮新報、統一新報、また社会党の月刊社会党や社会新報を確認しましたが、小さい記事などならば見逃しの可能性はありますが、朝日レベルの記事の大きさの記事は存在しないことを確認しています。では他にこのことについて当時記述された雑誌などがあるかと言えば、1985年の『近代企業リサーチ 1985年1月10日号』に以下の様な記述があります。

「無神経だ!!」と言われた玩具メーカーの困惑
 「デリケートな問題ですからねえ、出願人との間で最善の方法を採っていきたいと思います」(特許庁商標課)
 韓国の弁理士委の全国組織、大韓弁理士会から日本の特許庁に対し、「朝鮮戦争ゲーム」の商標登録を認めないよう求める異議申請書が出され、波紋を呼んでいる。「同じ民族間の戦争をおもちゃの対象にしている」点が無神経だというのが大韓弁理士会の主張だ。
 この「朝鮮戦争ゲーム」を販売していたのは、玩具メーカーエポック社(東京都台東区)。業界関係者によれば、昨年三月に販売を開始、これまでに六千セットを出荷しているという。
 エポック社は、「商品自体がマニア向けで、ロット数も少なく、すでに発売は終わっています。けして朝鮮戦争を歪めたわけではないんですが……」と困惑している。

基本は朝日新聞記事と同様の内容と言えますが、関係者の発言を読む限りは「回収」までには至っていません。ところで当時のウォー・ゲームの盛況具合ですが詳しい数字などはわかないものの例えばホビージャパンから『タクテクス』という専門誌が刊行されていたり、『週刊現代』(1984.10.16)の「大流行「男のゲーム」」という特集において短いもののウォー・ゲームが扱われており、特集を組むほどにはウォー・ゲームが流行していたことがわかります。


【6月25日追記】
韓国側の情報について追記します。

韓国側での報道

 韓国圏のネットを漁るといくつか情報があり、特に役に立つのが以下のニュース記事です。

[10月19日 大韓弁理社会、日本の「朝鮮戦争」商標に異議申請] (https://kpaanews-or-kr.translate.goog/news/view.html?section=91&category=112&no=3689&x_tr_sch=http&x_tr_sl=ko&x_tr_tl=ja&x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp) 1984年10月19日、大韓弁理士が日本特許庁に出願された「朝鮮戦争」商標に対して異議申請書を提出した。
これに先立ち、弁理士会の会員であるキム・ミョンシンは日本訪問の際に「朝鮮戦争」という商標が付いたおもちゃを発見し、帰国後緊急理事会を招集した。
理事会ではすぐに異議申請を決定し、3日後の10月19日日本特許庁に「朝鮮戦争」商標に対する異議申請書を提出したのだ。
異議申請の主な内容は「正式外交関係が樹立された善友友国の内戦をおもちゃや娯楽の対象とするなら、これは公共の秩序と善良な風俗を損なうこと」であり、「特定国の旧国号を娯楽機構の表示とするのは外交面でも親善関係を害する恐れがある」ということだった。
6.25戦争が終わってから30年が過ぎた時点だったが、いつも敏感な問題であるしかない戦争を素材にしたのは容認しにくいことだった。
これに該当玩具を発売した日本の株式会社エポクサは1984年11月14日付でこの製品の製造・販売を中断し、出願された「朝鮮戦争」商標も自ら取り下げた。
日本の旭日旗が戦犯旗であるという認識なしに、世界各地でデザイン要素として活用されている今日、その迅速な措置は、貴重なものだ。
※自動翻訳による

これは大韓弁理士会が運営するサイトにある当時を振り返る「歴史の中のその日」というもので、大韓弁理士会自身による貴重な情報です。この記事によれば弁理士会の会員が10月16日に日本に来た際に「朝鮮戦争」を発見したのが事の発端であり、その3日後の10月19日に日本側へ異議申請をしたという日本側にはない情報であり、またかなり迅速な対応を行ったと言えます。また別のニュース記事によれば85年1月にはエポック社が商標出願を取り下げたという記事も存在します*4。以上のことから、やはり抗議主体は大韓弁理士会であり、韓国の方でも当時少しばかりの新聞記事にもなった事が理解できます。ただし、この部分に「国家」が介入した可能性は一つも書かれていないので胡乱であり、あくまでも韓国側の組織が中心だったと考えられます。

当時の専門誌における広告の変化

 当時の専門誌としてホビージャパンによる『タクテクス』(当時は隔月発行)がありますが、この雑誌に当時の広告があったのでこれも載せておきます。まず『朝鮮戦争』はワールドウォーゲームシリーズというシリーズの一部であり、これはそのシリーズの広告です。まず1枚目は1984年11月1日発行号における広告。

No.13に朝鮮戦争とある様に11月刊行号にはその存在が確認できます。それが次号となる1985年1月11日発行号においては……、

朝鮮戦争の存在が消えています。つまりこれは販売/再販中止といえるでしょう。そしてこのことから問題が発生し、対処したのは11月以降ということが分かります。その期間に発生した問題はとりもなおさず大韓弁理士会による抗議としか考えられません。これに対しエポック社は表立っては特に抗弁せずに初回(?)製造分だけで終わらせたということでしょう。

以上、追記終わり。


開発者である鈴木銀一郎氏による証言

 次に『朝鮮戦争』の開発者である鈴木銀一郎氏による振り返りが『ゲーム的人生ろん』(1996.2.1)で語られています*5

(鈴木氏の会社に『朝鮮戦争』の企画を提出したものの難色を示したので)
それなら、自分たちでやるしかない。ゲームが完成すると、玩具メーカーの中からE社を選び、(略)しかし、そう簡単に事が運ぶはずがなかった。『朝鮮戦争』と、『北海道侵攻』(引用者注:鈴木氏とは別の黒田氏によるソ連による北海道侵攻を題材としたゲーム)というテーマに、会社の上層部が拒否反応を起こしたからだった。子ども向けのゲームメーカーとしては、お母さん方のひんしゅくを買うようなゲームを出すはずがなかった。
 『朝鮮戦争』は後に市販されたが、やはり新聞で問題になった。隣国の不幸をゲームにするのはけしからんというわけである。(略)しかし、(当然のことだが)非難する人々はゲームの内容を調べもせずに、タイトルだけで判断した。結局、E社はこのゲームの発売を中止し、在庫は処分された。

鈴木氏の証言は朝日新聞の記事と思われる記事についての記述がありますが、発売から8か月ほど過ぎた時点の記事になるために少し影響を過大評価している表現とも取れます。

エポック社の『朝鮮戦争』発売中止までの時系列】 ※改訂版
1984
3月 発売
10月16日 韓国の弁理士会員がボードゲームを見つける
10月19日 大韓弁理士会が日本の特許庁に異議申請書を提出
11月13日 朝日新聞による韓国の弁理士会の抗議記事
      この時点でエポック社は販売中止
1985年
1月 エポック社は商標取り下げ

以上の様な流れになります。このボードゲームは社会的に問題として扱われた時点で製造は中止しており出荷も済んでいる状態での為に既存市場に与えたインパクトは不明です。ただその後に追加生産の芽はなくなり、シリーズから消されたという影響は確認できます。ただ鈴木氏が言うところの「在庫が処分」は『近代企業リサーチ』を信じるならば出荷済みで在庫はほぼなさそうで、どの程度の「処分」があったかまでは不明。

ブログやツイッターなどによる証言

 さて、ここからは情報精度がやや落ちますが、例えば総連からの抗議について以下の様な証言。


https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1670735074285977600

赤城氏が鈴木氏に直接訪ね、総連からの抗議は事実無根であると言っていたそうです。これは鈴木氏の著作にも「総連」という言葉がないことからある程度の説得力はあります。ただ新聞の批判は取りも直さず「大韓弁理士会」からの抗議ではあるので総連ではないですが当たらずも遠からずなところはあります。


https://twitter.com/kw20200222/status/1670733858248224769

さらには以上の様な話も。『朝鮮戦争』のゲーム時期が「1950年6月25日から10月15日*6」とのことなので、韓国が負けている時期ではあります。内部的にはそうなのかもしれませんが、これが主要因だったとしても表に出てくる話ではない。そして2005年の『歴史戦史研究ちはら会』の「第11回ちはら会レポート~朝鮮戦争(EP/SS)」のコメント欄には関係者と思しき人間が以下の様なコメントを記述しています。

dora 2005年10月31日 22:37
当時のことだけど、上に述べたような非難は無かったと記憶してます。実際にあったのは、北朝鮮を「北鮮」と表記したこと。当時右翼の人たちが蔑視感を込めて使ってた言葉です。反対方向からの文句もあって、「これはどうやっても北が勝つじゃないか、けしからん。」というものでした。テストプレイレベルでは、常に北朝鮮惜敗くらいだったんですけど。
(やり取りなど略)
ちなみに「北鮮」という言葉が一番まずかったです。当時、朝鮮総連のお偉いさんに呼ばれて話して、単なるゲームではなく、シミュレーションだ、という点は納得してくれたみたいだけど(シミュレーションの前提がどうのこうのというのは別問題として) 「北鮮」という言葉に関しては申し開きできませんでした。

総連の話が出てくるのはこのコメント欄だけで、これに対する真実性までは不明です。ただ(再版の方の)プレイブログを読み限りは「北鮮」記述はある様にも見受けられ*7、「北鮮」という呼称は70年代中盤ごろから徐々に差別語であるという認識が膾炙していったので84年時点で「北鮮」を表記していたならば問題視した可能性自体はあり得ます。とはいえこれが事実だとしても水面下の話であり、朝鮮新報などで表に出てくるほどの話題ではなかったようです。この証言は鈴木氏の証言と矛盾することとはなりますが、エポック社としてだけの対応が発生したのみで鈴木氏までは話が行かなかったくらいの話、ならば矛盾はないとは言えます。またこの抗議自体が事実だとしても大韓弁理士会による抗議記事を受けての対応と考えられ、抗議の主体としての総連の存在感はかなり薄いと判断して間違いはないかと。

 以上の事をまとめるならば確定できるのは、

・主要紙では朝日新聞のみが共同記事を掲載した(1回)
※地方紙レベルは不明
・抗議の主体は韓国の団体である大韓弁理士
・抗議時点で出荷済み、以降は販売中止

くらいかなと。抗議時点でエポック社の企業としての販売は終わっており、あとは個別の店舗で対応があったかどうかですが……、謎ですね。そして可能性レベルの話としては、

・総連からの「北鮮」呼称への抗議
・ゲーム期間やバランスへの問題視

くらいのもの。逆に否定ないし、誇張しすぎな点は、

・回収はされていない
朝日新聞が「主導」した
・国会で議論された
・国家(韓国、北朝鮮)として抗議した
・政党が抗議した

らへんかなと。ここでは「国家」として抗議したという話は扱ってませんでしたが「国家」レベルでの抗議ならばそれこそ新聞その他でもっと情報が残って良そうなものの、全く見当たらない事から論ずるに値しないかなと。また政党に関しても少なくとも記事レベルでの動きがありません。

 もっと詳細に調べるならば韓国側、もしくは在日コリアン側に「問題視」されたのがいつなのかが必要なのかもしれませんし、店頭レベルではどうであったのかが必要でしょうが、あまりにも情報がなさ過ぎて難しいというか無理。新聞もボードゲーム好きには記憶に残っている様なものの、それ以外の周囲が当時にどのような反応を示したのかも不明。それこそさらに掘るなら複数の関係者にインタビューであったりエポック社に尋ねるなどが考えられますが……、さすがにそこまで来ると手に負えないので、これでおしまいです。



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