電脳塵芥

四方山雑記

韓国のベトナムへの「謝罪」について

 ツイッター上でライダイハンの話題が出た時に「韓国はベトナムに謝罪した」とおっしゃっている方がいたので、その「謝罪」について少し突っ込んだ話をば。

 

 この「韓国からベトナムへの謝罪」は金大中大統領の言葉のことだと考えられる。それはこれが初めての公式の謝罪発言となるからです。ちなみに、「ライダイハン」についてではなくベトナム戦争そのものへの謝罪ですので、ライダイハンについての謝罪というのはミスリード的なものになっている。

 

◆韓国にとってのベトナム戦争

 まず第一に韓国の国家にとってのベトナム戦争の立ち位置ですが、「共産主義」との戦いであるという側面がまだあると考えられる*1。少なくとも私が見た翻訳された韓国の歴史(国史)教科書ではその括りに近い書き方で書かれていた。これは「北ベトナム南ベトナム」を「北朝鮮と韓国」に当てはめれば、そこまで理解は難しくない心情ではある。

 

 韓国政府はベトナムからの撤退を考える際、「正義の戦争」を掲げて参戦、「敵の殲滅」を唱えていた状況での撤退は派兵の名分に反するとして、

「凱旋派越南軍将兵に送る感謝決議」を採択、韓国軍の「自由守護」、「国威の宣揚」、「名誉ある凱旋」を称えた(K大韓民国国会事務処、1973.3.17:31-32)。また、李世鎬・司令官は国会報告で、いかに韓国軍が「国威を発揚」し、いかに「自由越南」を助けたかを強調した(K大韓民国国会事務処、1973.5.21:29-36)。

金 栄鎬:韓国のベトナム戦争の「記憶」 : 加害の忘却・想起の変容とナショナリズム

 という様に撤収名分に「凱旋」を作り出していく。これがどこまで尾を引いているかは分からないが、少なくともその「凱旋」の意識が後にも残っている可能性、特に参戦兵士にはそういう自負があるだろう。そして、サイゴン陥落によりベトナム戦争北ベトナムが勝利し、南ベトナムは併合されるにいたる。これは韓国にとっては強い危機感を抱くにのは想像に難くない。実際、朴正煕が大統領緊急措置によって言論・集会・結社の自由の禁止、流言飛語の処罰対象などなどの対応をしているなど反応は顕著だ。そこに「加害」としての記憶が入る余地はなかっただろう。

 以上は主に国家としての記憶だが、在野の記憶の方でも「加害」の記憶は強いものではない。金大中を始めた民主化運動家においてもベトナム戦争の例をとって南ベトナムの様にならない様に、要は「反共」イデオロギーを政府と同様に保有しており、そこに「加害者として韓国」の歴史が入り込む余地はほぼなかったと考えられる。

 

 ひとまず基本的な認識として、ベトナム戦争に対する「加害」としての戦争記憶は当時はほぼほぼなかったものとして捉えて良いかと。

 

◆加害の記憶の掘り起こしと謝罪

 韓国とベトナムの国交が実現*2する1992年12月22日の前日の歓迎会では以下のようなやり取りが行われている。

 この時、カム外相は韓国のベトナム参戦と関連して「政府としては過去を白紙化するために努力している」が、「ベトナム国民に損失を負わせ、特に南部ベトナムの一部地域の国民が韓国への反感を持っている」ことを指摘した。李相玉外相は「不幸な関係」は「冷静構造の中で起きたこと」であり、「未来志向の協力関係」の中で理解と信頼を増進させることが重要と答えた

(金 栄鎬) 

以上のやり取りはのちにベトナム首相との間でも繰り返されたが、これは謝罪の部類には入らない言葉だろう。その数年後にあった金泳三大統領の言葉も以上の言葉とほぼほぼ同じ部類言葉であり、加害についての言葉はそこに伴っているとは言い難い。98年の金大中大統領の訪越でも「過去の一時期、不幸な時期があったことを遺憾に思う」と言っており、ここでもまだ謝罪とは言いづらい内容に落ち着いている。

 

 

 99年、ク・スジョンのレポートがのったハンギョレ21によるキャンペーンによって韓国社会に「加害」としての記憶が呼び起され、とうとう韓国社会の中で議論を伴う大きな潮流が発生する。当然、賛否両論が発生して、やがては暴力を伴う事件も発生したりもしたが、この加害の掘り起こしによって謝罪活動へとつながっていく。

 例えば、「健康社会のための歯科医師会」による「和解と平和のためのベトナム診療団」、「ナワウリ」による現地での癒しの活動などなどNGOが謝罪活動に参加。募金を集めての学校設立(紆余曲折を経て平和公園となる)、ベトナムでの平和博物館の建設(ベトナムでの建設がかなわず韓国で建設)などの募金活動による謝罪運動も存在する。また、NGO7団体による「ベトナム戦韓国軍良民虐殺真相究明委員会*3」が政府に真相調査と公式謝罪を求めるなど、かなり強い潮流がここに生まれるに至っている。

 

 そして2001年、ベトナムのチャン・ドク・ルオン国家主席が韓国を訪問した際、金大中大統領がベトナム派兵に対して、

「私たちは不幸な戦争に参加し、本意ではなくベトナム国民に苦痛を与えたことに対し、申し訳なく思い、慰めの言葉を申し上げます」と謝罪した。また「一度の謝罪で終わることではない」とも発言した。そして「『雨降って地固まる』という韓国のことわざがあるように、過去の不幸があったことで、私たち韓国はベトナムにさらに深い関心をもって理解と協力を行っていくつもり」とも発言した。同時に事項で述べるように、政府開発援助(ODA)による病院建設計画を明らかにした。

(伊藤正子 『戦争記憶の政治学―― 韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』)

以上のような謝罪発言が行われる。この謝罪発言は「日本の様に曖昧にしないことを外交的に誇示したという点で称賛に値する」という評価をする人間もいた(伊藤正子)。金大中はこの3年前に「遺憾」と述べるの留まることを考えれば、市民運動の影響をこの発言に見るのは別に何らおかしいことではないだろう。なお、この大統領の謝罪発言は保守派の強い反発(妄言、主体思想派の論理だなどなど)を呼び、朴槿恵などは相当に強い言葉で批判しているし、参戦軍人の反発を受けている。

 

 金大中の謝罪発言はどのような苦痛が与えられているかが定かではない。この点は「日本の様に曖昧にしない~」と評価した人間も苦言を呈している部分だ。この謝罪の言葉の評価は人それぞれだろうが、この言葉をもってだけで「韓国はベトナムに謝罪した」と強く言えるかは正直なところ、私は微妙だと思う。この謝罪事態に価値そのものはあるが、詳しい言及はなく、「賠償」はなく「政府開発援助」であり、そこに当事者の救済が行われるわけではない。また、真相を究明するといった今後の表明もない。

 韓国で2005年「真実・和解のための過去事整理基本法」が成立され歴史の再評価を行った際、日本植民地下や軍事政権時の弾圧について細かい調査が行われたが、「真実・和解のための過去史整理委員会」のホームページにはベトナム戦争は触れられていない(伊藤正子)*4。ライダイハンへの救済措置として民間NGOによる職業訓練校などがあるが、この場合支援の対象もライダイハン(子供)であって、親側への救援策ではない。ライダイハンの国籍取得に関する政府の体系もいまだない。

 

 最近でいえば、文大統領も謝罪はしている。 

文大統領は11日、ベトナムホーチミン市で開かれた「ホーチミン・慶州(キョンジュ)世界文化エキスポ2017」の開幕式に寄せた映像による祝電の中で、「韓国はベトナムに『心の借り』を負っている」とし、「しかしながら今や、ベトナムと韓国は互いにとって最も重要な経済パートナーであり友人になった」と述べた。

この「心の借り」という表現が、ベトナム戦争への韓国軍派兵で発生した現地民間人の虐殺などに対する謝罪の意味を込めたものだといい、文氏や大統領府、外交部などが議論の末、今回の「謝罪」の表現・形式がこうしてまとまり実現したものだった。

韓国日報によれば、映像には英語・ベトナム語の字幕が付けられ、特に「心の借り」の意味についてはエキスポ組織委関係者からベトナム政府に事前に説明するなど、最もふさわしいベトナム語の表現を選ぶべく慎重なやりとりを重ねたという。また「非公式には、『心の借り』との表現についてベトナム政府から(組織委に)謝意が伝えられた」そうだ。

韓国・文在寅大統領の“謝罪”をベトナム国民はスルー?現地報...|レコードチャイナ

※ちなみにこの記事でベトナムメディアがスルーとあるが、これはベトナム政府が事を荒立てなくない為だと思われる。ベトナム政府は韓国メディアがベトナムメディアを招待しようとしたのを中止させたりなど、「過去に蓋」をするためにそういう介入をする。

また、文政権はこれ以降にも謝罪発言をしている。

ベトナム国賓訪問中の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が23日(現地時間)「我々の心に残っている両国間の不幸な歴史について遺憾の意を表する」と明らかにした。韓国軍のベトナム戦参戦と民間人虐殺に対する包括的な謝罪の意味を盛り込んだものと見られる。ベトナム戦争と関連し、韓国大統領が遺憾を表明したのは金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領に続き、文大統領が3番目だ。

文大統領「不幸な歴史について遺憾の意を表する」ベトナム民間人虐殺を謝罪 : 政治•社会 : hankyoreh japan

 しかし、これは「公式謝罪」ではない

 文大統領は当初、今回のベトナム訪問で民間人虐殺について公開かつ明確な謝罪を行う意向を示したという。しかし、ベトナム政府が民族内部の戦争という問題が浮き彫りになることを懸念し、難色を示したため、謝罪のレベルが大幅に調整されたという。大統領府関係者は「公式謝罪といえば、政府レベルの真相調査と賠償などが伴わなければならないが、その意味で、今回は公式謝罪ではない」とし、「前回と同じレベルの遺憾表明」だと話した。

 (同)

大統領府関係者が「真相調査」と「賠償」は伴っていないという認識を持っていることの証左だ。これはベトナム政府が賠償を声高に言うどころか、そのまったくの逆だからという要素も大きいだろう。ベトナムが賠償と真相究明を口にする政府ならば、展開はかなり違ったものだったのは火を見るより明らかだ。

 ちなみに政府(国防部)の姿勢としては、

ベトナム戦当時「韓国軍の民間人虐殺はなかった」という国防部側の答弁書だという。国防部は最初からこうした立場を一貫して維持してきた。被害を主張する側の証言を聴取したり、現地調査を行ったことは一度もない。

「ベトナム虐殺」大韓民国が被告席に座るか : 政治•社会 : hankyoreh japan

 以上のようなものがある。上記記事は2016年時点であるし、文大統領の謝罪発言を鑑みればある程度は認識変化はしているだろうが、こういった思考が傍らである事の認識も必要だろう。参戦兵士はク・スジョンの調査を捏造と主張したりと、歴史修正主義的傾向はあちらでも存在する。

 韓国政府はベトナムの対応の上に胡坐をかいている状態といっても言い過ぎではないだろう。なお、日本もその対応の上に胡坐をかいている。最大200万人の餓死者を出したという大戦末期の出来事を知っている日本人は少ないだけに、余計ひどいかもしれないが。

 

 ◆最近での民間の動き

 手短に民間での動きについて。なお、ハンギョレからの記事なので進歩派且つこの問題を掘り起こしたメディアです。この問題によく突っ込んでいますが、それはバイアスでもあるのでここの姿勢を韓国一般にするのは誤認をよぶかと思います。 

ベトナム民間人虐殺関連情報を公開せよ」という裁判所の判決が、国家情報院の上告放棄により確定した。国家情報院は関連情報を直ちに公開しなければならないという声が上がっている。

「ベトナム虐殺参戦軍の調査文書目録を公開せよ」判決…国家情報院の上告放棄で確定 : 政治•社会 : hankyoreh japan 

 以上の記事は2018年12月の記事。その後に調査文書が公開されたという記事は見当たらないが、少なくとも遠からず虐殺事件の一つの調査文書が公開される可能性は高いと考えて間違いはないかと。ちなみにこの訴訟を起こしたのは「民主社会のための弁護士会ベトナム戦民間人虐殺真相究明TF」であり、2018年4月には市民法廷を開いている

  その他にも曹溪宗という仏教が政府に真相調査と謝罪を要求したり、ベトナムピエタ*5が作られたりしており、民間からの動きはかなり力強く存在する

 

 ◆余談

 韓国教科書でのベトナム戦争の記述についてをおまけとして。

韓国のベトナム参戦については、中学校社会2教科書では9冊中7冊、高等学校世界史教科書にいたっては3冊中全3冊で全く触れられていない。しかもそのうち中学校の2冊の教科書ではベトナム戦争自体を全く記述していないのである。そして、このようなベトナム戦争の影の薄さは中学校・高等学校の国史教科書にもみることができる。

大平晃久 宇田川みさ 韓国の世界史教科書にみるベトナム戦争の記述

以上の様に加害の歴史どころか、そもそもベトナム参戦もかなり軽い扱いとなっています。とはいえ、

高等学校の新しい科目である韓国近・現代史については、ベトナムにおける韓国軍の加害記述を含んだ金星出版社の教科書が出版されて50%を超える採択率をあげていること、またベトナムの記述を含むこの教科書の示す歴史観が議論を読んでいることが紹介されている。

(同)

のような教科書*6があるようです。今後、これが変遷して行く可能性がうかがい知れるかなと。

 

  ◆余談その2

 ハンギョレの記事などでも散見されるが、この韓国とベトナムとの話を追っていくと「日本」との比較で語られる面が結構ある。「ベトナムに謝罪しなければ日本に謝罪を要求できない」、「日本と違って我々は謝罪、究明しよう」の様な比較。謝罪が他者に謝罪をさせるための手段化は如何なものかと思うし、日本と違って系はそこに民族主義を強く感じる。ベトナム虐殺の真相調査をしていないという事を踏まえれば、日本は慰安婦に関して河野談話及びその際に政府による調査やアジア女性基金が行われている(その後の蒸し返しや基金の問題性がある事はここでは置いておきます)。それらを無視して、安倍首相の「資料には強制連行はなかった」に着目して比較している記事などは比較の非対称性が見えて、割と辟易する。謝罪のダシに他者を使うのはやめた方がいいと思うんだけど、そこはどうなんでしょうかね。

 

 「韓国はベトナムに謝罪した」。これは真実ではあるものの十分といえる謝罪かといえば、言えないと考える。同様の「謝罪」を日本が韓国にした、と考えれば、この不十分さは認識できるだろう。たとえ相手政府の問題があるとはいえ。

 日本政府に謝罪の倫理的な問題を問うならば、韓国政府のそれにも同等の倫理でもって考えるべきだろう。

*1:当時の軍首脳らは「反共・自由十字軍」を、参戦兵士は「血を売った戦争」を想起するという。後者は共産主義との戦いという記憶ではないが、ただし兵士らに反共思想が多かったのは想像に難くない。1950年に朝鮮戦争を体験しているのだから。

*2:国交を起点として、映画、新聞、公募作品(ちなみにライダイハンを描いた作品)、ベトナム進出韓国企業の問題の記事化、枯葉剤被害者軍人の戦友会の誕生など、「ベトナムの記憶」が思い起こされる潮流が生まれ始める。そこには日本の対韓謝罪に照らして、ベトナムへの責任と謝罪をという言葉も当然ながら出てくる。

*3:良民=非共産主義者、非ベトコン。今では共産主義者なら殺していいのかという考えのもと、民間人という様になっている。この委員会ものちに名前を変更する。

*4:ハングルは読めないので自動翻訳で見てみたが、やはり見当たらない。

*5:なお、ベトナムピエタ像に関しては参戦兵士からの否定論も存在する。必ずしも一枚岩の動きではないことには注意が必要。

*6:なお、この出版社かは不明だが民間人虐殺に触れた教科書の代表筆者が勤める大学に保守団体の会員たちが押しかける事件が発生した模様。[寄稿]韓国軍のベトナム派兵 : 政治•社会 : hankyoreh japan