電脳塵芥

四方山雑記

関東大震災周辺時期の新聞記事 朝日新聞 1923.9.12朝刊 「小言」

関東大震災関連記事リンク - 電脳塵芥



朝日新聞(東京) 1923.9.12朝刊」のコラム的なコーナーからの記事。

※一部旧字体を直し、読みやすくするために一部に読点を挿入しています。

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小言
◇今回の大震災に際し、最も遺憾な出来事の一つは、朝鮮人に対して面白くない流説が宣布せられこれら同胞に対して種々な意味における不愉快を興へたらうことである。
◇狂人走れば不狂人走る、こういう大災難大混雑に際しては多少の間違いを生ずるのも免れ得ない事である。日本人の仲間に不心得者があったから朝鮮人にも不逞の行為があったかも知れない。
◇併し多少の不貞行為があったとて、すべての朝鮮人を敵視し、罪人視し迫害するが如きは実に言語道断である。吾人は所謂朝鮮人に対する流言が何処から出たかを知らない。しかも如何なる流言にせよ、ウカとそれに乗って狂人と共に走る如きは、偶々以て如何に国民的訓練の乏しきかを語るものと言わねばならぬ。
◇市民はよも朝鮮人が吾人と同じ同胞であることを忘れはすまい。四年前の万歳騒ぎを忘れはすまい。今日朝鮮人を迫害する如きは、たとえそれが一人の朝鮮人であってもわが朝野十五年の朝鮮に対する苦心を一日にして滅ぼすものであることを記さねばならぬ。
◇さるにても、今回の震災の結果、新聞紙の位置はますます確かめられた。朝鮮人に対する流布されたものも、半ば新聞紙が全滅し正確な報道が行われなかった結果である。
◇本社はかかる大切の時期にあたり、震災類焼の結果とはいいながら、号外以外しばらく十分の報道を為し得なかったことを最も遺憾とする。しかも今や諸般の準備が成った。日と共に装いを新たにして、庶幾くは読者平生の眷顧に副い得ることを信じる。

 記事を読むと当時の植民地民(同胞)としての朝鮮人というまなざしが大いに見え、その点については当然ながら反省の弁がなかったり、また最後には新聞がなかったから流言がはびこったという一つの結論は果たしてどうなのかとか、「朝鮮人にも不逞の行為があったかもしれない」という様なこういった記事では不要であろう憶測もあり、現在的目線では甚だ問題点もある記事ではあります。が、やはりこの時点で朝鮮人虐殺やそれに類することを思わせる書きぶりであり、それが社会的に咎められるべき行為であったという社会認識はかろうじてあったことはうかがえます。批判という面では甚だ弱い言葉ではありますが。



証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人 (ちくま文庫)

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  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
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関東大震災周辺時期の新聞記事 朝日新聞 1923.9.21朝刊 「警視庁の矛盾した報告」

関東大震災関連記事リンク - 電脳塵芥



 何となくではあり、どこまで続けるかは分かりませんが関東大震災周辺時期の新聞記事でもアップロードしようかなと。
 ってなことでまずは初回は「朝日新聞(大阪) 1923.9.21朝刊」の1ページの記事から。

※一部旧字体を直し、読みやすくするために一部に読点を挿入しています。

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警視庁の矛盾した報告
 二十日午後一時開会の東京府地震災救済実行委員協議会において馬場刑事部長、緒方消防部長、正力官房主事は今回の震災に対し放火及び鮮人社会主義者の暴行は絶無であるという警視庁側の調査の結果を報告し、これに対し委員側から震災当初警視庁から鮮人の暴行放火の事実を厳重に取り締まる命令を発したると大いなる矛盾を来す点を指摘し、種々押問答があった。

 関東大震災後の9月21日時点で朝鮮人による放火暴行は絶無であったというのが当時の警視庁側の報告です。現在でも朝鮮人による蜂起があった云々という方がネット上では見受けられますが、当時すでに否定されたデマ、流言飛語です。



TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち

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インドネシアの教科書における太平洋戦争期の対日描写について

nou-yunyun.hatenablog.com

   って記事を書いたので、そのインドネシア版です。今回使用するのは『インドネシア高校歴史教科書 インドネシアの歴史』(明石書房)から。翻訳されたインドネシア教科書自体は2000年に書かれたものであり、20年近く前のものになり些か教科書としては古いですが、そこら辺は留意してください。

 本題に入る前に少しだけインドネシアの教育制度について。
 「文教大学 教育研究所」によれば「学校教育は幼児教育(4~6歳)、基礎教育(7~15歳 ※義務教育期間)、中等教育(16歳~18歳)があり、その後、高等教育へと続」くとのこと。また学校はスコラ(一般学校)系統とマドラサ(宗教学校)の二系統に分かれており学校管轄省庁も異なるといいます。詳しくはリンク先を参照お願いします。

 さて、では本題。
 この教科書は全8章立てとなっており太平洋戦争期~独立については「第6章 日本占領とインドネシア独立準備」という章立てで始まります。そこで6章にある各項目をかいつまんで書いていく形式とします。


A.日本がインドネシアを支配した背景

【章序文】(1ページ)
 第6章は日本が太平洋戦争に至るまでの道のりの理解の為か日本の説明に対してそれなりに説明を割いており、序文では江戸時代の鎖国についての説明から始まっています。序文なので江戸時代そのものの特に詳しい描写はありませんが、要は鎖国して近代化には遅れていたという文脈が存在します。

日本がインドネシアを支配した背景】(4ページ)
 ペリー来航からの条約の話から始まり、反外国人運動の激化、薩摩藩士による外国人殺害などに触れ、権力が将軍から天皇に遷移していった事を説明、明治維新による日本の近代化が記述されています。日本の近代化のみで4ページにわたる説明で外国の教科書というのを踏まえればかなり詳細な記述と受け取れます。記述内容そのものには明治天皇以外の人物名がほぼほぼなく天皇がすべての実権を握った国家であることを印象付ける様な記述で少し違和感はありますが、とはいえ重大な誤解などは見受けられません。この項目では近代化と共に「天皇制」を強調しており、

1871年に文部省が設置された。6歳から14歳までの児童を対象として義務教育制度度が発布され、日本は非識字者をなくした世界最初の国となった。学校教育を通して祖国と天皇を愛する心が植え付けられた。日本の天皇制が今日に至るまで変わることなく栄えている理由はここにある
P.240

という様に現在の日本における天皇制の存在がどういったものかの説明も兼ねています。なお天皇制に対する批判的描写は特にみられません。明治天皇の家族写真も記載されており天皇制国家というのを印象付けられます。

【日本の近代化及び帝国主義政策の結果】(2.5ページ)
 近代化を果たした日本が植民地獲得競争に参戦したことを記述、日清戦争日露戦争の記述、対華21カ条要求、満州国の誕生まで触れられています。なお日露戦争において日本がロシアに勝利したことを踏まえ、

一方アジアも、アジア民族が西洋諸民族に力で対抗できた事実によって、ナショナリズムに目覚めるという大きな影響を受けた。
p.242

という様にある程度好意的な書き方がなされています。とはいえその後すぐに

日本はアジアに広い植民地を持ちたいと考えるようになった。1927年田中男爵が日本の首相になったとき、彼はその願望を達成するために、東アジアを支配し、アジア大陸へ日本の勢力を拡張させる計画を提案した。田中首相はアジアを支配するためには中国、満州そしてモンゴルを支配せねばならないと考えた。日本がこれらの地域を支配できれば、南アジアの地域は自動的に日本に追随するであろう。
p.242

以上の様に日本の帝国主義政策について触れられ、さらにはその将来に南アジアへの侵略をにおわせる書き方がされています。

【アジア太平洋における日本近代化の影響】(2ページ)
 日本の近代化がアジア地域に及ぼした政治、軍事、経済の面の影響が記述されています。日露戦争の日本勝利の影響としてインドネシアベトナム、インド、フィリピンでの民族運動の影響が書かれ、

なかでもインド、フィリピンでは、日本の近代化の後民族運動がいっそう活発になった。太陽の国が、いまだ闇の中にいたアジアに明るい光を与えたのである。
 日本は八紘一宇(Hakko Ichiu)の御旗の下、世界支配に向けていっそう精を出した。彼らは神道に従って他の民族を指導する神聖な任務を帯びていると考えており、自らをアジア民族の兄貴分とみなし、弟たち、すなわち他のアジア諸民族を指導する義務があると主張した。また、日本の支配地においては日本化が広く行われたが、これはアジアにおいて西洋帝国主義の地位にとって代わろうとするためであった。
p243

という様に「太陽の国が、いまだ闇の中にいたアジアに明るい光を与えたのである。」とかなりの賛辞と受け取れる記述が見受けられます。ただしそのすぐ後に日本への肯定的価値観に対する強烈なカウンターを置いてあり、日本も所詮は帝国主義者である事を明確に記述しています。また軍事面での影響では「日本が原因となって太平洋戦争が勃発」し、ABCD包囲網などがあったものの「東南アジアにおける日本の膨張を止めることはできなかった」と記述しています。
 また経済面での影響では「日本はダンピング政策で工業製品の市場を奪おうとした」として東南アジアの市場が狙われ、現地の購買力は低くはあったがメイドインジャパン製品が市場を獲得したこと。大東亜共栄圏となった東南アジア地域は日本への供給地区として扱われた事などが記述されています。

B.インドネシアにおける日本占領時代

インドネシア地域への日本の侵入】(2ページちょい)
 

日本はアジアのファシズム軍事国家として協力であったので、インドネシアの民族運動家たちは不安を抱いていた。
p.244

 という記述からこの項目は始まります。日本の「ファシズム国家」というのはフィリピンなどの他国の教科書でも見たのでこの時期の日本が冠する文句としては割とポピュラーなものです。なおインドネシア人の政治運等は「北から迫りつつあるファシズムには、はっきりと反対し拒否する姿勢」を示し、インドネシア政治連合もその姿勢であったといいます。つまりは日本を脅威として捉えていたことがうかがえます。
 ちなみにこの姿勢はジャワだけは多少異なり、

一方ジャワでは、ジャワはあるとき黄色人種によって支配されるがとの支配期間は「とうもろこしの寿命」にすぎない、そして黄色人種の植民地支配が終わるとインドネシアの独立が実現する、というジョヨボヨの予言が現れた。ジャワの人々が信じていたこの予言を日本はうまく利用した。そのため日本がインドネシアに進駐したことは、ごく当然なことであると人々はみなした。
p.255

ジョボヨボは12世紀前半の王国の王ですが、その予言に従いジャワに限って言えば対抗姿勢というものはそこまでなかったようです。
 上記のような記述の後にオランダのアクションとその敗北を記述、そして日本が短期間で東南アジア地域を支配したことが記述、日本軍の攻撃を年代順に並べて各地域が占領されたことを記述しています。これらの記述の際には人的被害などの記述はなく占領された地域を羅列していく非常に簡素なものとなり、それらの記述(シンガポールなどの他国陥落の記述もあり)を続け、最終的に「インドネシア全域が日本の植民地支配の一部となった」と記述しています。

インドネシアにおける日本植民地支配時代】(1ページ)
 日本軍政監が軍事権限とオランダ支配時代の総督が握っていた権限を握ることになった旨が記述されています。統治システムを遂行する上で陸軍と海軍がインドネシアを三分割し、陸軍と海軍が占領地の人心を掴もうと競っていたと記述。この項目では批判的なことは特に描かれていません。なお、写真があり、

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日本の存在は多くの点で350年間植民地支配下にあったインドネシア人民に新しい希望と楽観主義をもたらした。写真に「兄貴」とみなされた日本の占領を歓迎する学校の子どもたちが見える。
p.247

とのキャプションがつくようにここだけ見ると日本にかなり好意的な記述がなされています。写真のこの雑誌自体がプロパカンダ雑誌なのか、もしくは自発的な雑誌なのかの記述もなくこの雑誌の性質の判断は難しいですが、少なくとも「オランダ支配からの解放」を祝している事は多分に受け取れます。

【日本占領に対するインドネシア国民の反応】(3ぺージ)
 インドネシア国民の反応をいくつかの項目に分けて説明しています。

・3A運動

標語がアジアの光日本、アジアの護り日本、アジアの指導者日本というものであったので3A運動とよばれた。この運動はシャムスディンがリーダーシップをとったが人民の共感や関心を引くことがなく、1943年に解散しプートラに取って代わられた。
p.248

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 3A運動の宣伝ポスターは以上のようなもの。この項目は引用部分だけで終わっており、具体的にどのような運動であったかは教科書からは読み取れません。


・プートラ(民衆総力結集運動)
 スカルノをはじめとした「4人組」の指導下で結成された日本への戦争協力を目的にした運動です。目的自体は日本への戦争協力ではありましたが、

しかし、日本製であるこのプートラ運動は日本に対しブーメラン効果をもたらすこととなった。プートラのメンバーたちが高い民族意識を持つ原因となったからである。
p.248

とある様にのちに反帝国主義につながり、日本のインドネシア駐留反対へとつながっている様な記述が見受けられます。
 なお、この項目では日本占領時代の肯定的側面としてインドネシア語公用語化、政府高官のインドネシア人に担当されたことなどがあげられています。


・ペタ(郷土防衛義勇軍
 若者をメンバーとしたこれまた日本製の組織です。このペタによってインドネシアの若者が日本軍から教育と軍事訓練を受け、その後の民族と国の独立闘争の大黒柱となったと記述されています。このペタ自体は日本が連合国軍との戦争に必要な兵力を満たすものであったと書かれていますが、インドネシア人はペタによって武力による戦いと独立という関連、民族的性格を持つようになったとあります。なお、このペタ指導者がのちにインドネシア軍の重要人物になったことまで記述されています。
 また1944年のジャワ奉公会(これは日本製)、さまざまな事件や出来事でインドネシア人指導者の日本への信頼失墜しペタなどの組織が独立運動の母体になっていった事、またスカルノらは秘密裏に反ファシズム、都市知識階級、海軍などなどのグループと連絡を取っており、独立への機運が醸成されていた雰囲気が記述されています。なお、これらの動きに対して日本は、

これらの諸グループの間にも、非常に限られたものであったが、協力関係が生まれていた。この協力関係は、取り巻く状況が日本の秘密警察(憲兵隊)とその手先によって恐怖に満ちていたために密かに行われ、その抵抗活動においての、残酷かつ凶暴な行動に出る敵に気づかれないようにカモフラージュを多用した
p.250

 という様に日本がこれらの独立派グループに対してはかなり強圧的な態度を取っていたことが明記されています。

【日本占領時代に起きた反乱】(2ページ)

娯楽の一つで盛んになったのは芝居で、最初は日本の宣伝道具であったが、やがてそれだけではなく、パリンドラ〔大インドネシア党〕のメンバーであるチャック・ドゥラシムが日本の傍若無人の振る舞いを非難したように、人々の精神と肉体の苦しみを声に足ていう勇気を持つようになった。スラバヤではルドゥルックという大衆劇が、演目「ハト小屋さえも日本のためにますます酷くなった」を演じて大変人気があった。このルドゥルックは深い政治的・社会的批判を内包しており、。明らかに日本政府に反抗していた。そのため、演技者たちは逮捕され死に至るまで拷問を受けた
p.250~251

 という様に日本によるインドネシアでの弾圧の状況が垣間見えます。文学作品でも祖国愛をテーマにする作品が書かれ、民衆は生活の苦しさから抵抗運動を起こしたことが記述されています。記述されている抵抗運動は全部で4つ、「残酷に鎮圧」という記述や、スカマナの反乱では「日本は常識外の報復を行い民衆の大量殺害を行った」という記述がなされています。またブリタールでのペタの反乱では「ブリタールにいた日本人が全滅した」と記し、これを「英雄的な反乱」と扱っています。このブリタールの反乱は日本が降伏さえすれば安全は保障するとの奸計によって反乱メンバーは降伏、そして幾人かは死刑、拷問の目にあった記述されています。
 また端的にインドネシアの日本占領時代の歴史観が現れている部分を引用します。

一般的に日本のインドネシア占領は受け入れられなかった。日本は西カリマンタン地区でも知識人たちに対して大量の殺人を犯している。その地区では少なくとも2万人が日本軍の獰猛さの犠牲になっている。避難してジャワ島に逃げることができたのはほんのわずかな人たちであった。
p.252

インドネシア国民にとっての日本占領の影響】(1.5ページ)
 各項目に分かれて説明しているので、かいつまんで記述します。

政治:
 日本の占領によって政治的組織は活動不能。社会、経済、宗教的性格の各組織活動を廃止、日本製の組織に替えた。抵抗を続けた組織もあるが、その時代の政治活動は日本政府によってコントロールされていた。

経済:
 日本がインドネシアに進駐した背景には経済問題。工業製品の原材料を算出する土地を探し、工業製品を売る市場を探していた。

教育:
 オランダ領東インドの占領時代と比較して教育面での急速な進展。日本占領政府が建てた学校での教育の機会を与えた。インドネシア語を仲介語として利用、インドネシア化された名称が使われた。これら教育の目的は日本に対する好感情育成と太平洋戦争で敵と対決するためのインドネシア人の協力を得るため。

文化:
 ファシストの国として常に日本文化を植え付けようとした。その一つは太陽が昇る方向を敬う習慣、つまりは太陽神の子孫である天皇を敬うための日本の伝統。

社会:
 日本占領時代、社会生活は不安に満ちていた。労務者(強制労働)になった人たちは特に苦しんだ。多くの人が空腹と病気のために犠牲者となった。

行政:
 統治システムは軍の精度に基づいて整えられた。

軍事:
 ペタの組織を通じて軍事教育を与えられていた。この参加者がちの独立を求める闘争活動の核となった。


 この後に「C.インドネシア独立の歩み」へと続きますが、独立の話に遷移しますので残りは割愛しておきます。なおここの項目では1944年に小磯首相が独立の約束をしたこと、1945年の独立準備調査会について触れていますが、これらは日本が追い詰められていったという前提を記述しており、なぜ日本が独立の約束をしたのかの背景が伺えるような形となっています。

 全体的に淡々と記述してあったり日露戦争時代の好評価、日本支配による肯定的側面、日本製組織がのちの独立闘争組織の核になったことなどに触れています。また強制労働や飢餓などの記述についてはほぼほぼ説明はなされておらず、日本による残虐行為の記述もあっさりしたものが多めです。ただし、それでも全体的に見ればやはり日本占領時代を良きものとしての記述は一切なされておらず、インドネシアにおいても当時の日本は「アジアの解放者」ではなく「侵略者」でしかないでしょう。

韓国の給食事情について

 っていうツイートがあったので、韓国の給食事情についてでも書いてみた。

 とりあえず、Cooper(✌️'ω'✌️ )氏の給食写真は話題の発火点であろう名古屋給食を除けば、おそらく日本の給食とそこまで大差ないかなと(?)。ただ給食は自治体、世代間格差が大きいので何ともですが……。ただ耳目を集める感じなのはそれへのリプライなので、まずはその写真の出所でも


・1,2枚目:ソウル蚕室高校
3년 더 학교 다니고 싶게 만드는 잠실고 ‘급식’ 수준

 ここで紹介されている蚕室高校という学校の給食。この給食自体、韓国のネットで話題になった豪華な給食という扱いであり、韓国一般というよりもこの学校の特色の一つかとうかがえます。ちなみに、蚕室高校のHPでは毎日の給食献立が写真付きで確認可能です。おいしそう。

・3枚目:韓国文科省の「学生健康増進分野」の有功者に選ばれた栄養士の人のSNSor記事から?
<급식>행복한 음식,급식-김민지 영양사 교육부표창 : 네이버 블로그

 韓国で「供給(給食のこと)食べ転校していきたい」(自動翻訳)という流行語を生みだすほどに有名になったキム・ミンジ栄養士による給食の一つです。この栄養士の人は本を出しており、自動翻訳ですが説明文には”「名品供給」、「皇帝の供給」、「ホテルの供給」など最高の修飾語をつけてSNSを熱くした話題の供給がある。”という様に賛辞と共にこの給食自体が韓国ではかなり異色の出来であることがうかがえます。ほんとおいしそうな写真ばかりですが、多分一般化してはダメな奴です。

・4枚目:梨花メディア高校
[급식자랑] 이화미디어고등학교 급식 / 영란여자중학교 급식 / 이미고급식 / 영란여중급식 : 네이버 블로그

 ブログを読む限りはこの高校も給食を自慢できる学校という事らしく、そういう強みを活かしてのSNS上でアップされたものっぽいです。youtubeで給食紹介っぽいのをしてますし、そういう強みを持った学校なのかなと。


 という様に4枚とも韓国ではそれなりに豪華、少なくとも上位の給食として扱われていると思われる写真であり、この給食を一般化するのは早計かなと思う次第です。また3枚目の栄養士は分かりませんが「高校の給食」であり、もしも名古屋の小学校の給食と比べるのは比較としてはやや適していないかなと。


 ただ韓国でも給食に関しては問題になった事もあり、例えば2016年には


단무지에 김치 한 조각…한 초등학교의 '처참한 급식' - 노컷뉴스

 という様に今回の日本の様な粗末と言える給食があったりします。この件に限って言えばこちらの記事ビフォーアフターがあります。なおこの件だけに限らず、ナムウィキを見てますと、2007年に給食の質が悪いなどで一部学校で給食費返還デモ的なもの、2013年にSNSで給食への不満の報道、2014年にも給食写真のSNS投稿により炎上など、要はネット社会となり定期的に給食関連で記事になっている模様で、逆にだからこそ豪華な給食というウケが良いといえるのかもしれません。なお、これは完全に余談ですがナムウィキにあった伝説的(?)な給食写真はこんな感じらしいです。

流石にここまでのレベルはもはやないとは思いますが。ただこういうの写真がネタとして残ってるってことは韓国における給食の認識にこういった側面があるくらいの印象があるのかもなと。
 あとこれまた余談ですが、韓国では給食室的なものがあって教室で食べるという形式ではない模様。それと韓国給食の器が一枚のプレートになっているのは、器を持ち上げずに食べるという韓国の食習慣を学ぶためのものらしいです。

 最後にGoogle画像検索「給食」の比較でも

【日本】

【韓国】

 これが必ずしも一般的だ、と言えるわけでもありませんが、なんとなく両国の特色が見えるかなと。ただ今回の該当ツイートで提示された写真は隣の特に青い芝生を見ている状態かなと。


この件で他に参考になりそうな文献
坂本 千科絵、李 温九『日本と韓国における学校給食制度と献立内容の比較研究
康 薔薇, Jung-ae Kang, 山口 光枝, 山本 由喜子『日本と韓国の小学校における給食内容の比較
渡部 昭男『韓国における無償給食 : 学術Weeks2016 シンポジウム企画の要点
藤澤 宏樹『韓国における無償給食の現状と課題

給食の歴史 (岩波新書)

給食の歴史 (岩波新書)

一昔前(1985年辺り)の「ジャパンライフ」について

 桜を見る会きっかけでジャパンライフの名前が結構出てきてるので、今現在問題になっているジャパンライフは2014年の行政指導を皮切りにして様々な問題が出てきて、最終的に破産だったり、被害弁護団が生まれるに至るわけですが、そこら辺はジャパンライフ - Wikipediaを参照してください。この記事ではジャパンライフが問題になり、国会でも質疑がされることのあった一昔前の1985年近辺の記事からの発掘をばをば。

「まるでアリ地獄だ」。マルチまがいの商法で羽毛ふとんや時期マットを販売してきた「ジャパンライフ」社(略)に対する批判が高まり、(12月)十日、国会で初の参考人意見陳述が行われた。同社は先月下旬、創始者山口隆祥氏(43)の会長辞任、販売方式の改革を打ち出したが、大量の在庫を抱えて悲鳴を上げている販売員たちをどうするのか、新しい販売方式はうまくいくのか―など先行きには不透明な部分が多い。
読売新聞1985.12.11 事件簿85

 国会ですが当時から「ジャパンライフ被害者の会」の代表が国会(衆議院 商工委員会流通問題小委員会 昭和60年12月10日)に出たりと、当時かなり問題化していることがうかがえます。新聞記事も同様です。当時からして種々問題だったわけです。ちなみにジャパンライフ会長の山口隆祥ですが、アップした新聞記事にある様にマルチで国会追及された経験もある方です。

 さらにジャパンライフは1991年頃には韓国でも同様の問題を起こしており、

和田静夫「韓国の新聞の報道をもとにしてでありますが、ジャパンライフの韓国の合弁会社である山隆産業の磁気寝具販売が韓国経済企画院公正去来委員会にマルチ商法と認定されて是正命令を受けた。この販売方法は日本側から持ち込まれた疑いが強いと報じられていますが、こういう韓国当局の動きというのを御存じでしょうか。(中略)それから、山隆産業は韓国側五一%、日本側四九%出資の合弁会社ですっそうすると、韓国での報道によりますと、韓国側の株主は名義を貸しただけで、実は韓国側の出資金も山口隆祥会長が持ち込んだのではないかという疑いが持たれている。この場合に、虚偽合弁会社設立として韓国の外為法違反などに当たる可能性があるように思われますが、これは事実関係を把握をされていますか。日本の国内法との関係では、これはどういうふうになりましょうか。」
衆議院 予算委員会 平成03年08月21日

国会では以上の様な質疑がなされています。毎日新聞あたりでは複数の記事が確認できます。


 あと献金については最近のでも問題になりましたが、当時から政治家に献金しており、

という様に元警視総監に献金したり、

  

当時の中曽根首相にも献金していたりします。ちなみにこの記事の最後は少し面白くって、

(中曽根首相の政治団体への)献金からほどなく同社が出資した公益法人「ライフサイエンス振興財団」が、科技庁から設立認可を受けている。このほかにも(昭和)五十九年九月には、同社の山口隆祥会長(当時)が、ニューヨークで国連会議に出席中の安倍外相を表敬訪問している
毎日新聞1986.2.10

 安倍晋三首相は1982年から安倍晋太郎の秘書官を務めていたらしいので、想像力を豊かにすればその頃に会っていたのかもな、と。

韓国への「飲料、アルコール」などの最近の輸出額推移について

www3.nhk.or.jp

日本から韓国向けの先月のビールの輸出額がゼロになったことが財務省の統計で分かりました。韓国への食品や飲料の輸出の減少に歯止めがかからない状況が続いていて、日本製品不買運動が影響しているものとみられます。

 ってなニュースを受けて、暇ネタついでに韓国向けへの「ビール」と同じ分類の「第22類 飲料、アルコール及び食酢」の輸出状況でも。情報はe-statの普通貿易統計から。

 で、さっそく抜き出したデータをグラフ化したのを。なお分量が多いので2つに分割、そのために縦軸の値がグラフ間で異なるので、そこは勘弁してね。

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 「第22類 飲料、アルコール及び食酢」に限って言えばビールが圧倒的にシュアがあり、その他には「清酒」がそれなり、という感じでしたが、その清酒の輸出額も減少傾向で10月の輸出額は250万円です。清酒も結構風前の灯です。「ウィスキー」が少しだけ上がっていますし、ビールと清酒以外は元から少ないというはのはありますが、総じて減少傾向なのは違いなさそうです。

 ちなみに韓国で日本ビールが売れない理由(不買要素)ですが、微々たる影響かもだけどこういうのもあったり。

日本の右派論客竹田恒泰が「日本のビールの輸入を切断する3日以内に韓国食堂は商売にならないと大騒ぎである」という発言をしたことが、国内のインターネットに流布されたことも不買運動に影響を与えたものと思われる。
日本不買運動 ナムウィキ

その他にも不買運動前から輸入ビールの市場での日本シュアが落ちていたり(これは他国企業参入による競争の激化というものです)してます。

 あとビールに限らずですが、全国のスーパーマーケット2万カ所と卸売物流センターを代表する「韓国スーパーマーケット協同組合連合会」も不買運動に参加しています。

これらは、 "単に日本製品を買わない運動を超え販売中止を開始する」とし「すでにいくつかの中小商人と自営業者はマイルドセブンなどのタバコとアサヒ、キリンなどビール、コーヒー類を全量返品し、販売中止に出た」と主張した。
続いて「韓国マート協会会員企業200カ所が自主的に返品や発注中止をしたし、コンビニエンスストアやスーパーマーケット業界で販売中止キャンペーンが拡大している」と付け加えた。
中小商人続いスーパーマーケット団体参加... 「日製品の販売を停止する」

以上のニュースは7月と少し古いので今の状況は不明ですが、多分変わらないでしょう。なんで、消費者個人の不買運動という状況でもなく店でそもそもビールが売ってなさそうな状況です。仮に買いたい人間がいたとしても買えないのが今の韓国市場じゃないかなと。それを日本側は打破しようと、納品価格を下げるというニュースが流れていたりしますが、現状だと厳しいでしょうね。

 貿易統計を見ると不買運動どこ吹く風、みたいな品目も多数あるのも事実ですが、いずれにしたって韓国での一部日本商品の市場が日本のフッ化水素らの輸出規制によって壊滅したというのもまた事実でしょうねー。

「悪書はこうして出来る -無責任出版の世界-」

 悪書関連の記事はこれでひとまず終了しておきますが、最後に『鋭角』にあった「悪書はこうして出来る -無責任出版の世界-」の紹介でも。バイアスも感じられますが当時の出版状態が知れる貴重な証言かと。なお、一つだけ注意は出版界にとっての「悪書」であり、必ずしもこれらの悪書が追放対象であったわけではありません。
※誤字脱字ご容赦

悪書はこうして出来る -無責任出版の世界- 西田 稔
悪書とはとんな出版物を言うのか
 悪書から子どもを守る運動は、これまで各方面から起され、これは改良向上するための、または追放するための会合討議も、たびたび重ねられて来ているが、こうした運動が完全に目的を達成させるということはなかなか困難である。今日の現状を見ても、悪書追放の正論が高められていながら、いわゆる悪書といわれている出版物が、ぞくぞく生産されていることがそれを証明していおう。
 こうした運動は、うっかりすると理想に傾きすぎたり、対策討議が「子どものため」から、いつの間にか子供の存在を忘れてしまった「大人同士の論議」になってしまい、その蔭には、大人自身の利害的感情のかげすらただよっているように、感じられたりすることもある。
 したがって、悪書の実態(正体)をつかむ努力が不足してしまう。悪書と言われている出版物の内容はもちろんのこと、どこでどのようにして生産され、どんな販路で広められているか、これにたずさわっている人々の生活態度とか、社会観などを掴まないうちに、運動を開始するという盲点が生じるわけである。
(中略)
無責任出版物の現状と温床
 無責任出版物は、世にいう俗悪な絵本と低級な漫画本に分けられ、主として赤本屋と呼ばれている出版社から売り出されている。ところが、児童雑誌の内容や付録が問題視される席上でも、赤本屋の出版物が論議の焦点にされるようなことはないようである。これは、今日の児童雑誌が、種類、発行部数ともに多くて、赤本屋の出版物がこの蔭にかくれているせいもあるが、赤本屋の組織や出版物の失態が掴まれていないということに大きな原因がある。
 赤本屋と呼ばれている出版社は東京、名古屋、大阪に固まっているが、名古屋で出版されているものが最も低級粗悪であり書店、(小さな)以外の駄菓子屋とか玩具屋へまで販路を広げている。
(中略)
 このほか、識者たちや取締り関係から見落とされているものに、宮城広場とか、靖国神社とか、上野や浅草などで、みやげ品として立売りされている「クズ本」がある。これは、十五円絵本の出版社から親分格の業者が刷りヤレ(クズ)を買い集めて、表紙だけ絵本らしくつくった内容のつぎはぎな絵本である。(例えば、上半身が牛で下半身が馬になったりしている)ビニール袋入り十五冊百円の絵本は、表紙を三十円の絵本にして、あとはこのクズ絵本を入れてあるよく売れているものに問題化されないのは、安かろう悪かろうだとあきらめて、世に訴えられないからであろう。
 現在の漫画本は、百二十円のものが多く出版されていて、百四十種類ほどある。つぎが百円のもので百二十種類ほど、六十円のものは児童雑誌の付録に押されて少なくなったが百種類(一時は二百四十七、八種類あった)、十円豆漫画*1が九十五、六種類で、つぎが百五十円のものが六十種類あまりという順になっている。(豆漫画は一般の漫画本四分の一の大きさである)
 ほとんどの漫画本が、定価より安く売られているのは(定価六十円のものが二十円から三十円売)卸掛の安い赤本出版物の特徴である。絵本は売れない時期があっても(七月、八月)があっても、漫画本の売れない時期というものはない。これらの出版物は、紙質も印刷も粗悪なものが多くて、内容は、冒険探検、活劇探偵、時代劇、少女歌手や女優の出世物語、ラジオや映画で子供たちの人気を拍したものであったが、最近は宇宙を舞台にしたものや、柔道モノや、時代ものが多く出回っている。
 こうした無責任出版物がつぎつぎ出版されているのは、金儲け主義のもぐり出版物や、資金繰り目的に別社名で無責任なものを出版している出版社が後を絶たず、あくどい色彩や俗悪な内容でも定価が安いためによく売れているからである。また、この種の絵本や漫画本は買切制度で、出版界の常識になっている返品がないから、その点が出版社側にとって強味であり、無責任出版物が根絶えぬ原因ともなっている。最近になってこうした出版社から、児童向の辞典類や少年少女読物が出版されはじめているが、いかがわしい辞典類が定価の安いために売れていることを恐れる。なお、以上の出版物は一流店の出版配給会社では扱っていない。
(中略)
分類と業者たちと選ぶコツ
 現在出版されている絵本と漫画本を分類すると、A類-一流出版社からだされているもの、B類-赤本屋と呼ばれている出版社から出されているもの、C類-ある出版社から資金繰りが目的で別社名で出されているもの、D類-住所も社名もデタラメなもぐり出版社から出されているもの、と四種類に分けられる。
 俗悪なえほにゃ漫画本がつぎつぎちに出版される第一の理由は、編集や出版技術がたやすく、しかも生産費が安くてすむからである。絵本の場合に、絵を一流画家に依頼すると、文も一流の作家に書いてもらわなければならない。漫画本の場合も編集技術が必要なるので、いきおい生産費がかさんで出版されるものの定価がたかくなる。ところが、無責任出版物に属する絵本や漫画は、原画と用紙さえあれば、あとは製版屋と印刷やまかせにするので簡単にすむ
 このような出版業者は、儲け主義の非文化人なので、利潤のみ考えて紙質を落とし粗悪な印刷インキを使用する。一般に定価二十円から四十円の絵本は、原画と製版(写真製版)料だけで十五、六万円かけているが、定価十五円の絵本は、原画と製版(描版)料は三万円前後ですませてしまう。
 無責任出版物は、出版配給会社では取扱わないので、特殊な卸問屋や仲次から小売業者(書籍店)、露店業者、立売人などへ卸されている。この卸問屋の中には、昨日までパチンコ屋などやっていたものもいて、戦後に闇物資を扱っていたものも多い。また高利貸で儲けて副業にやってきた者もいる。
 児童文化などは字でも見たことがない、という業者が多いのである。この業者たちは、赤い表紙でないと売れない。という考えを一様に強く持っている。出版社側はそれを意識して色彩を毒々しくしてるわけである。卸問屋や仲次の多くが、儲け主義で教養も低く自分の好みに沿わない絵本や漫画本は取扱わないので、毒々しい色彩の絵本や、漫画本がハンランしてしまう。業者が商品に対する良心とか研究心を全く持ち合わせていないこと、アクドイ色彩でないと信じ込んでいることは問題である。
 こうした業者のほかに、セドリ屋といって店舗を持たない仲次がいる。やはり卸問屋や仲次と同じ程度か、それ以下の社会観念で無責任出版物を売りさばいている。
 したがって、俗悪絵本や漫画本を改良するためには、まずこうした配給網の改革と、卸問屋や仲次などに反省してもらうことが、先決問題である。つぎにC類とD類の出版物を発行している出版社にも反省してもらわなければならない。B類の出版物を発行している出版社も同じである。
 良いといわれている画家や作家は、赤本出版社など見向きもしない。画料や稿料が安いからである出版物が粗悪だからである。美しい花園には誰もが良く手入れをする。ているする甲斐もあるからであろうが、ゴミ捨て場を、進んで清掃しようという人は少ない。俗悪絵本や漫画本の改良されてない原因がここにもある。
 では、どうして悪書が出来るのか、売れるからである。これには経済事情も含まれているように考えられる。安い絵本や漫画本にに満足しなくとも、親と子がそれで我慢しなければならない厳しい現実が考えられる。
 そこで安い絵本や漫画本の中から、比較的無難のものを選ぶコツが必要となる。
①絵と文の作者名が表紙に印刷されてあるもの。
②裏表紙の奥附に電話番号の入れてあるもの。
③文に誤字がなく、背を綴じている針金がしっかりしているもの。
 但し、表紙絵と題名だけをかえたり、内容の前半分だけかえて新しく装ったり、旧本の一部を合本して新刊らしく見せているものもあるから、内容にも注意することが必要である。
『鋭角』1958.6.25
※元々は「教育じほう」に掲載されたものが鋭角に著者承諾の下に転載された記事です。

 今となってはこれらの「悪書」を見ることは叶わぬのだろうけど、むしろ読んでみたいなーっと。当然っちゃ当然ですが、時代的には現在以上に悪質な業者や即興書き手が多かったのは事実でしょうね。

*1:豆漫画が悪書扱いされたという話がありますが、どこまで普通の漫画と比べてなのかは不明。

悪書追放運動期のマンガ業界におけるパクリの話

 1955年周辺期の悪書追放運動期のマンガ業界についてのパクリ関連の話を少しだけ。マンガ業界の誕生期というか、当時の著作権感覚がうかがえる話を2つほどピックアップします。
 ともに日本児童雑誌編集者会機関誌『鋭角』からの引用となります。

◆マンガの丸パクリ案件

侵害された漫画の著作権  現在の児童雑誌から漫画を除いては成立たぬ-といってもいいくらい、児童漫画の黄金時代である。この現象を将来したものは、戦後あらわれた少数の優れた児童漫画化の、卓抜な作品に負うといつよいだろう(ママ)。
 だがその反面、比較的才能に恵まれぬ技術未熟の新人級までが現状のように馬車馬的に描かされていては、いきおいアイデアに詰まるという破目におちいりつつあることも見のがせない。
 あらゆる講談本や名作読物のたぐいは、すでに何回か繰返して漫画の材料に焼き直され、いまやストリイ漫画の素材は、地を払ったかに見える。
 そこで苦しまぎれに、他人のウケている作品の模造品をデッチあげたり、チャンバラ映画や探偵活劇映画、さては武道映画等から、ストリーを頂戴したり、剣豪小説からアイデアを拝借したりするようなことが、しばしば見受けられるようになった。
 これは原作者または版権所有者の許可を得ない限り、その転用のいかんによって、著作権侵害となるから、戒心すべきことである。
 児童漫画に関する著作権の尊重と確立とが要望される折も折最近、次のような事件が発生して、関係方面の注意を喚起している。
 少年雑誌に長期連載されて好評を博している時代漫画を、構図は勿論のことフキダシのセリフまで、全く同一の漫画が題名と人物の名を変えただけで漫画本専門といってもいい某単行本出版社から、堂々と発行されたことである。
 そこで、作品を剽窃された原作者と雑誌社側は、盗作本の執筆者と出版社に対して、厳重に抗議した。この出版社では「不注意から剽窃作品であるのを知らずに出したものである」として、在庫品前部と、印刷原版の一切ならびに原稿を破棄して、陳謝の意を表した。また当の剽窃者某は、謝罪状を出したうえ、十二月上旬謝罪広告を出すことを約して、この事件は一応落着した。
(中略)
 一般に「悪い漫画」が非難されるとき、いつも矢表に立たされるのは雑誌であるが、いわゆる「悪い漫画本」は、他人の作品を盗んで恬として恥じぬような、目的のためには手段をえらばぬ悪徳似而非漫画家と、内容はどうでも原稿料を安く上げようとする非良心的出版社によって作られるといってもよい。貸本屋ゾッキ本として街に流布するものの中には、これが多いのである。
(以下略) 『鋭角』1958.11.25

 当時にも、というか当時の方が現代よりももっと露骨なパクリがあった模様で、同様に手塚治虫の「ロストワールド」がパクられたという類似案件が存在します。児童雑誌の編集者機関紙『鋭角』の記事だけあって幾度か繰返される業界の自己批判性もあって、悪書の例として挙げられるマンガ本も大抵はこれです。

◆デッチ本

デッチあげる漫画本
 一がいに漫画家といってもピンからキリまでで、その中で雑誌に名の出るような連中は一人前といってよかろう。その一人前の漫画家の下働き(助手)から、漫画本専門にいわゆる略画物語の作者までいれると、およそ五百人を超える驚くべき数だという。
 著名な漫画家は、とても一人ではやりきれぬくらい仕事があるので、黒く塗りつぶしたり、簡単な色付けは助手にやらせる。ひと頃編集者が助手の役をしたこともあるが、編集者会から槍が出て、今ではそんなことはなくなった。
 ゾッキ本といわれる漫画本は、雑誌にかいているような画家は描かない。一冊かいても、いいところ三万円ぐらいだから引き合わない。漫画本の出版社でも、高い原稿料は払えないし、子供向のものはそれほどネームヴァリューが必要でないので、器用にかける人だったら、誰でもいいというわけである。ここに盲点があるのだ。
 絵の学校も出ていないし、師について修業をしたこともない者がいっぱしの漫画家(いや、略画かき)として通ることにある。だから、学生や失業者のアルバイトもある。このことは、太宰治の「人間失格」の中にも出てくる。
 器用なくらいでは、雑誌には通用しないが、漫画本には結構通用する。漫画本の出版社の多くは、忙しい漫画家相手では仕事にならないので、器用なものに、何冊かの売れそうな見本を示してなるべく刺激を強くデッチあげさせる。これを称して「デッチ本」という
 亡くなった福井英一が、柔道漫画をはじゆて描いて、たいへん子供に受けた。主人公のカツと見開いた目が特徴だったが、この手法はたちまち模倣され、今では一つの流行になっている。
 単なる模倣程度なら、子供には実害はないが、デッチ本などが悪どく刺激的にするから、世の非難を受けることにもなるのだ。
『鋭角』1958.11.25

 要はスキルのない人間に売れ線をパクらせたマンガのことであって、上記のパクリとほぼほぼ同じかなと。ちなみにこの時代には出版社が書かれていないマンガ本や出版社を訪ねると誰もいなかったという様な出版社不明のマンガもそれなりにあったらしく、商売を行う側の倫理は当然ながら現代以上に低かった模様です。

 『鋭角』は編者者による機関紙なだけに顕著ですが、こういったマンガ本は業界の質を下げる悪書として問題視されています。それ自体は当然の判断ではありますが。なので悪書追放期に悪書とされたマンガの中には倫理の低い出版社(実際、「会社」なのかも不明)が少なからずあったという認識や、現代には情報すら残っていないマンガの山があったのかもなと。そこらのマンガになると読む術すらもうないかもですね。


余談
 マルパクリやデッチ本ではないですが、当時少し批判されたマンガなら下記で読めるそうです。杉浦茂マンガ館収録の「アンパン放射能」がチクリといわれました。当時のマンガを読めるという意味でもなかなか貴重かも。

杉浦茂マンガ館 (第3巻)

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杉浦茂の摩訶不思議世界 へんなの…

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