「朝日新聞(東京) 1923.9.12朝刊」のコラム的なコーナーからの記事。
※一部旧字体を直し、読みやすくするために一部に読点を挿入しています。
小言
◇今回の大震災に際し、最も遺憾な出来事の一つは、朝鮮人に対して面白くない流説が宣布せられこれら同胞に対して種々な意味における不愉快を興へたらうことである。
◇狂人走れば不狂人走る、こういう大災難大混雑に際しては多少の間違いを生ずるのも免れ得ない事である。日本人の仲間に不心得者があったから朝鮮人にも不逞の行為があったかも知れない。
◇併し多少の不貞行為があったとて、すべての朝鮮人を敵視し、罪人視し迫害するが如きは実に言語道断である。吾人は所謂朝鮮人に対する流言が何処から出たかを知らない。しかも如何なる流言にせよ、ウカとそれに乗って狂人と共に走る如きは、偶々以て如何に国民的訓練の乏しきかを語るものと言わねばならぬ。
◇市民はよも朝鮮人が吾人と同じ同胞であることを忘れはすまい。四年前の万歳騒ぎを忘れはすまい。今日朝鮮人を迫害する如きは、たとえそれが一人の朝鮮人であってもわが朝野十五年の朝鮮に対する苦心を一日にして滅ぼすものであることを記さねばならぬ。
◇さるにても、今回の震災の結果、新聞紙の位置はますます確かめられた。朝鮮人に対する流布されたものも、半ば新聞紙が全滅し正確な報道が行われなかった結果である。
◇本社はかかる大切の時期にあたり、震災類焼の結果とはいいながら、号外以外しばらく十分の報道を為し得なかったことを最も遺憾とする。しかも今や諸般の準備が成った。日と共に装いを新たにして、庶幾くは読者平生の眷顧に副い得ることを信じる。
記事を読むと当時の植民地民(同胞)としての朝鮮人というまなざしが大いに見え、その点については当然ながら反省の弁がなかったり、また最後には新聞がなかったから流言がはびこったという一つの結論は果たしてどうなのかとか、「朝鮮人にも不逞の行為があったかもしれない」という様なこういった記事では不要であろう憶測もあり、現在的目線では甚だ問題点もある記事ではあります。が、やはりこの時点で朝鮮人虐殺やそれに類することを思わせる書きぶりであり、それが社会的に咎められるべき行為であったという社会認識はかろうじてあったことはうかがえます。批判という面では甚だ弱い言葉ではありますが。
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- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2018/08/08
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