電脳塵芥

四方山雑記

フィリピンの太平洋戦争における日本観について - 主にフィリピンの教科書から

フィリピンの歴史教科書から見た日本

フィリピンの歴史教科書から見た日本



 ってな本を図書館で借りてきたのでこの本を媒介しながらフィリピンでの太平洋戦争、特に日本へのまなざしについての話をば。ただ本題に行く前に一つだけ注意があって、この本の発売年は1997年となり、さらにフィリピンの教科書を参照するという書籍の為に中で紹介されている各教科書は1997年よりも古いです。2019年現在からすると20年以上前の記述であること。またフィリピンはこの間に義務教育が「6-4制」から「1-6-4-2制」へと変化して教育内容に変化が生じている可能性があります。しかしながら歴史教育アメリカならともかく日本への歴史観の記述がこの本から大幅に変わっている可能性は少ないでしょうから、この本の内容を信頼して記事を書いています。
 以上、注意終わり。

 あとそもそもの前提なのですが、太平洋戦争はある界隈においてはアジアを列強諸国からの植民地解放の為に戦ったというアジア解放史観の様なものが存在します。フィリピンは確かにアメリカの植民地ではありましたが、そもそも日本が来る前に紆余曲折あるものの独立は認めてます。日本が来なくても解放されてました。解放予定の植民地に行って戦闘おっぱじめて、インフレさせて、飢餓させて、マニラで虐殺起こしてなどなど。そしてアメリカに負けてフィリピンは日本から解放されて。これでフィリピン解放したってなると、解放したのアメリカじゃん、ってなるのが普通じゃないかなと。
 以上、前提終わり。

 で、本題。
 『フィリピンの歴史教科書から見た日本』では合計6冊の教科書が翻訳されています。小学校用が1冊、ハイスクール用が5冊です。ですので、一番最初に紹介する本以外は全てハイスクール用の教科書となります。なおフィリピンの教科書制度ですが、日本の教科書検定制度の様なものがあり、公立学校は検定を受けた教科書で学びますが、私立はこの限りではないとの事です。それでは、これからは各教科書の要点を記述していきます。


1)フィリピン - 過去と現在

日本への言及ページ数:2/275

日本人の後押しによる共和国またはカイライ政府
日本は、(中略)アメリカとの戦争を始めました。フィリピンはアメリカの植民地であったため、戦争に巻き込まれ、日本軍は1941年12月の終わりにリンガエンに上陸しました。マニラは1942年1月2日、日本の軍隊に占領されました。21日後、フィリピン総司令部はフィリピン行政委員会を設置するように命じました。
(中略)
国家を治める法律は委員会がつくったものではなく、日本最高司令部によって指示されたものでした。国を本当に支配しているのは日本最高司令部でした。そして、日本人のやっていることが正しいことをフィリピン人に信じさせるために、日本人はフィリピンに独立を与えることを約束しました。フィリピン独立準備委員会が設置され、各委員は当時存在したただ一つの政党であるカリバピ(KARIBAPI)に属していました。委員会は憲法を作成し終え、これはカリバピによって承認されました。
(中略)
政府の形態は共和制でしたが、国民には真の権限がありませんでした。(中略)憲法にうたわれた国民の権利は、権利ではなく義務だと言われました。
 日本がフィリピンを占領している間、コモンウェルス亡命政府は、アメリカ合衆国ワシントンで正式に承認されました。


 小学校用の為に全体的にあっさりしていますが、好意的な書き方はされていません。基本は侵略者と描かれており独立にも触れていますが、その独立も好意的な捉え方ではありません。最後に現在のフィリピン政府の前身となるコモンウェルス亡命政府をアメリカが承認したという文章で終わっており、とても示唆的な終わり方をしています。


2)フィリピン人とアジアの国々の歴史

日本への言及ページ数:2/258

第二次世界大戦勃発
アジアでは、日本が大帝国を築く準備をしていました。(中略。ドイツについての記述)侵略行為、つまりある国が他の国を正当な理由なく攻撃することは、止められませんでした。
(中略)
 真珠湾攻撃の後、日本人はフィリピンを接収しました。続く数カ月のあいだ、日本人は東南アジアのほとんどを接収するために侵攻を続けました。(中略)多数の太平洋上の島々も日本によって接収されました。そしてオーストラリアやインドは、その軍事力によって脅かされました。
(以下略)

 全体的にこの教科書ではフィリピンの事についてはあまり触れておらず、第二次世界大戦での日本の侵略行為を簡易的に記述しています。残虐行為などの記述もなく非常にそっけなく淡々とした文章が続きますが、しかし日本が侵略国家であることだけは印象付けられます。ただ章の最後の方には原爆によって多数の被害が出たことも記述しており、原爆の非人道性には触れられています。独立についての記述、解放史観的なものはありません。


3)アジア諸国の歴史

日本への言及ページ数:11/266

◆日本のその他の側面
 平和を勝ち取り、経済力では畏怖されているものの、第二次世界大戦時の日本人の残虐行為による醜悪な記憶と、多くの日本人によるごう慢なやり方と態度は、「新しい日本」のイメージの腐敗を一様に浮きあがらせています。
 1980年代に日本の文部省は、新しい教科書を国内の各学校に配給しましたが、そこには、第二次世界大戦中の日本の不正な侵略と残虐行為に関する真実は語られていません。フィリピンを含むアジア諸国の多くは、日本の検閲機関に異議を申し立てました。
(以下略。従軍慰安問題などの戦後問題の他、日本人のワーカーホリックなどを含めた社会問題が語られる)


日本とフィリピン
○国民的英雄であるホセ・リサール氏は、自国の自由獲得を求めてやまないことを日本に訴えかけました。
○1896年のフィリピン革命は、日本の援助のもとに行われました。
第二次世界大戦まで、フィリピン人は裕福で、日本人を庭師や農夫、あひる飼いとして雇って いました。
第二次世界大戦中、キリスト教徒であった日本人兵士神保中佐はマヌエル・ロハスの命を救いました。後にロハスは、1946年の独立後、初代大統領となったのでした。
※書籍ではもう少し項目がありますが、引用では省略しています。

 この教科書では「第7章 日本、アジアの工業大国」と章立てされており、日本の地理、民族由来、宗教、神話、歴史、近現代の政治状況、新天皇(昭和⇒平成時)など多岐にわたって日本についての記述が見受けられます。日本人からすると「”文明の父”聖徳太子」などの引っかかる記述はいくつかありますが、全体的にコンパクトにおさまっています。歴史については明治以降から記述が濃くなっていき、日清戦争から始まる各戦争が記述されるようになり第二次世界大戦も記述されますが、フィリピンが体験した残虐行為、独立の話などには特に触れず、基本的にはフィリピンからみた「日本の歴史」という様なものです。あえて日本に釘を刺す様な記述といえば、引用した1980年代の教科書問題がメインといえます。
 特徴としては章立ての「工業大国」とある様に、よく言われるような戦後の日本観にある日本の経済復活神話が語られています。引用した「日本とフィリピン」という短いコラム的なものと併せて、親和的というほどではないですが好印象を与える様な記述もいくつかみられるかなと。


4)フィリピン史

日本への言及ページ数:19/238

 この教科書では、

 第24章 フィリピンと第二次世界大戦
 第25章 日本による占領と第二フィリピン共和国
 第26章 解放と第三フィリピン共和国の誕生

以上の3つの章立てによって第二次世界大戦中のフィリピンについて記述しています。19ページと長いですが本ブログ記事の主旨にかなう為、全見出し、それと印象的な箇所を引用します。

第24章 フィリピンと第二次世界大戦
【見出し】 ◆ヨーロッパでの第二次世界大戦勃発◆戦争準備の遅延/◆日本による初空襲/◆日本軍、侵入開始す/◆バタアンへの撤退/◆第二次連邦大統領就任/◆日本軍のマニラ占領/◆バタアンでの戦闘開始◆ケソンとセイヤーの脱出/◆「アイ・シャル・リターン」/◆バタアン陥落/◆死の行進/◆フィリピンの陥落
【内容引用】
◆死の行進
(中略)日本軍は文明時代の戦争行為に関するあらゆるルールを踏みにじって、無力な捕虜を家畜の様に群集させ、そして貴重品を略奪しました。間もなく文明社会に衝撃を与えた悪名高い「死の行進」が訪れました。飢え、渇き、病み、疲労しきった捕虜たちはバタアン州のマリベレスからパンパンガ州のサン・フェルナンドまで無理やり行進させられました。彼らには食糧も水も与えられませんでした。(中略)残酷な日本の警備兵に、無慈悲にも銃剣で刺されたり殴打されたりしました。(以下略)
◆フィリピンの陥落
(中略)駐フィリピン米国軍に関する限り、戦争は終わりましたが、フィリピン人にとって戦争はまだ続いていました。(中略)日本侵略軍に対して仮借ないゲリラ戦術を展開しました。


第25章 日本による占領と第二フィリピン共和国
【見出し】
◆日本軍政部/◆フィリピン行政委員会/◆東条首相とフィリピンの独立/◆憲法の枠組み/◆日本首唱の共和国憲法/◆日本首唱の共和国誕生/◆共和国の対外関係/◆日本の宣伝工作/◆その他の宣伝機関/◆ゲリラ戦術/◆フィリピン人、民主主義を掲げて信義を貫く
【内容引用】
◆東条首相とフィリピンの独立
 フィリピン占領のごく初期から日本は次のように表明、フィリピン国民を納得させようとしました。すなわち、日本は「東亜の抑圧人種の解放者」たる使命を持ち、日本の主導のもと「大東亜共栄圏」を設立し、以て全東洋国家の幸福と繁栄の実現を目的とすると。(中略)フィリピンが「大東亜共栄圏」の建設に協力する限り、日本はフィリピンに対し「独立の名誉」を与えるだろうと声明しました。(中略)フィリピン国民は日本が真の独立を与えるとは信じられないとして、この約束に冷淡な立場を貫きました
憲法の枠組み
(中略)フィリピン側の人々は憲法草案の作成には熱が入りません。実のところ人々は「フィリピン独立準備委員会」の頭文字である「PCPI」を皮肉ってもじり”Please Cansel Philippine Independence”(どうぞフィリピン独立を撤回していただきたい)と読み替えてからかいました。(以下略)
◆フィリピン人、民主主義を掲げて信義を貫く
 三年以上にわたり、フィリピン国民は日本軍の鉄のかかとの下で苦しみました。愛する祖国は残酷な征服者により荒廃しました。敵が祖国の産物をもって生活しているために飢えに苦しみ、祖国で生産された繊維製品はすべて日本に出荷されるためのボロをまとい、嫌悪すべき憲兵隊(日本軍の警察)の脅威にさらされていました。
 日本による占領期間を通じ、フィリピン人の精神は、口に言い表せないほどの苦難にくじけず、救いを求めて神に祈り、来るべき夜明けー解放の夜明けーが来ることを願いました。


第26章 解放と第三フィリピン共和国の誕生
【見出し】
アメリカによる初の空からの攻撃/◆マッカーサーの帰還/◆日本による占領の最後の日々/◆アメリカ軍、マニラに入る/◆マニラの戦い/◆フィリピン解放/◆戦争の終結/◆コモンウェルスの回復/◆オスメーニャ大統領の政権(以下略)
【内容引用】
アメリカ軍、マニラに入る
(中略)戦車を先頭に第一機甲部隊が来たからマニラに入りました。市民は目に涙をため、心から喜びながら彼らの解放者を歓迎しました。彼らは戦車やジープが駆け抜けるたびに踊り歌い、そして「勝利だ、ジョー!」とVサインを送りながら泣きました。(以下略)
◆マニラの戦い
(中略)日本軍は狂信的な勇気をもって戦い、絶望的な状況にまるで狂ったような彼らは、パコ、エルミタ、マラテ、イントラムーロスに突入して、うんざりするほどの流血と破壊と残虐の限りをつくしました。彼らは無力な市民に対して、言語に絶する残虐行為を犯しました。住宅、政府の建物、美しい大学、書類、家具、美術品を焼きました。男、女、子どもを問わず何百人もの無力な市民を虐殺し、誰をも容赦しませんでした。
 1945年2月23日、アメリカ軍の勝利で血にまみれた戦いは終わりました。

 長々と引用しましたが、この教科書は日本を明確な侵略者として扱われており、逆にアメリカが解放者として扱われています。部分的には過度に物語的な記述や、アメリカの持ち上げがノイズな気がしなくもないですが。原子爆弾に対してはその破壊力を書き「おぞましい爆発」などの形容を使う等、原子爆弾の正当化はしていません。あと第26章の最後の方は共和国の誕生と「独立」が書かれていますが、その際にはアメリカが当然の様に登場している事や西側的価値観をかなり強調するなど、イデオロギー色がかなりうかがえます。  この「フィリピン史」の流れを見ると顕著なのですが、そもそもの話、現フィリピン政府は大日本帝国がつくった第二共和国の延長線上ではなく、大日本帝国からの解放後の延長線上としての第三フィリピン共和国です。日本がアジアを解放したなどという教育をするわけないんですよね。教育だけでなく、虐殺などを受けた人々の経験上からも。

5)フィリピンの歴史

日本への言及ページ数:16/286
 この教科書もページが多いので引用は絞ります。こちらでは「フィリピン史」ではなかった生徒への質問項目(実質的な章立て)が書かれていますので、それを引用します。

第18章 第二次世界大戦とフィリピン
この章では、皆さんは次の質問に対する答えを見つける事でしょう。
1 アメリカはどのようにして第二次世界大戦に引き込まれましたか。
2 フィリピンはどのようにして戦争に巻き込まれましたか。
3 戦争はフィリピンでどのように続けられたか述べなさい。
4 日本人はどのようにして3年間の占領時代にフィリピンを支配しましたか。
5 占領時代のフィリピン人の政治、経済、社会文化生活を説明しなさい。
6 敵国による暗黒の占領時代に、フィリピン人は民主主義とアメリカへの誓いを守りましたかそれはどのようにですか。
7 どのよにしてフィリピンは日本人から解放されましたか
8 どのようにしてコモンウェルス政府がフィリピンの地に復活したか述べなさい。

 「フィリピンの歴史」においても「フィリピン史」の様に日本は侵略者として描かれています。解放者ではありません。「フィリピン史」ほど物語的ではありせんが、"フィリピン人は、日本人を極度に激しく嫌うことになりました。"という記述があるように日本に対する強い記述が伺えます。また「フィリピン史」には無かったインフレの話にも触れており、その結果として貧困、飢え、栄養失調などによりフィリピン人が死亡した事にも触れています。また対ゲリラ活動では以下の様な記述があります。

ゲリラ活動に対抗するために、日本人は「ゾナ」制度を設けました。そこでは、ゲリア活動の容疑を受けた街や現場の男の住民はすべて、教会や建物に集められました。そして誰か1人が反日活動に加わったことをしゃべるか認めるまで、彼らは食物や少しの水も与えられずに、何日間もそこに閉じ込められました。ときどき彼らは拷問を受け、あるいは虐殺されることさえありました。


6)フィリピン史への招待

日本への言及ページ数:10/308
「フィリピン史」、「フィリピンの歴史」よりも当時のフィリピンについての経済、社会状況などが目立ちます。というよりも前二者は第二次世界大戦前のフィリピンの詳しい状況が少なくとも本書上で記述がないという事なのですが。
 この教科書の特徴は初代大統領であるケソンとコモンウェルス政府を中心に記述を勧め、社会、経済状況についての記述が行われています。アメリカの植民地であったことも記述しながら独立に向けて動き出している事も記述、さらに「タイディングス・マクダフィー法(フィリピン独立法)」に対して即独立派の反乱を記述するなど、当時の状況がよく描かれています。史実を列挙していくタイプなので、教科書としては読みやすいです。
 日本に対しての記述は「フィリピン史」、「フィリピンの歴史」よりも淡々と記述しており、残虐性の記述なども薄めです。では日本占領後の独立(第二共和国)の部分はどうだったかというと、

◆第二の共和国
フィリピン人の共感を得るために、日本の日本人当局は、フィリピンに独立を与えることを決定しました。日本人の真の意図は、わずか1年かそこらの短い期間でフィリピン人に独立を与えるという意味で、日本人はアメリカ人よりも良いということを、フィリピン人に示すことでした。
(中略)
 ラウレル(注:第二共和国大統領)や政府の高官の偉大な努力にもかかわらず、商品、特に食料の価格は日ごとに上昇し、ほとんどのフィリピン人が、日に三度食べることが不可能になりました。(中略)マニラや食料の不足していた地区で、何千人もの人々が飢えて死にました。

餓死の直接的な原因を日本だと指弾してはおらず、また他の教科書と比較すれば穏当な記述ですが、日本がフィリピンに独立をもたらしたという出だしの結果としての餓死で終わるという構成をしており、それが意図する所は考えるまでもないでしょう。また、その後の見出し「ゲリラ戦」の記述では”ほんのわずかな例外を除いて、フィリピン人は反日的でした。”という記述から始まっており、この教科書が特別日本に甘いという事ではありません。


◆終わりに

 以上の様に見てきた限り、基本的にはフィリピンの歴史教科書の第二次世界大戦周りの記述は「日本による厳しい困難 ⇒ 解放」という記述が一般的でしょう。20年以上経過し現在でもそれが変わるとは考えにくい、というか今後も相当な転換点がなければ起きえないでしょう。あと教科書ごとに記述や感情の濃淡が現れるくらいの違いしかないかなと。
 いずれにしたって「日本がフィリピンを解放した」という史観は一笑に付して良い言説ではないかと。それをフィリピン人に言ったりしたら怒られても仕方ないほどのダメなものかなと。


 最後に、該当書籍ではないですが早瀬晋三戦争認識のすれ違い : 日本人学生とフィリピン人学生』を読んでの印象的な部分を引用して終わりにします。これは早瀬晋三が講義のために著した書籍をフィリピン人学生に読んでもらい、その感想のアンケートを取った際のフィリピン人学生の批判的な感想です。 その教科書は東南アジア 6 ヶ国の戦争遺跡、博物館などをめぐり対日観がどの様なものかというのを書いた書籍との事です。ただし、日本の戦争加害に対する記述は日本学生に配慮して薄めです。それでも「先生は反日ですか」と言われたそうですが。それはおいといて、引用。

 正直言って、この種の議論をすると、ひじょうに不愉快になる。東南アジアのあちこちでおこった憂鬱なことを読むと、感情的になってしまう。日本占領については、悪い印象しかない。小さいころから、過去におこった話をたくさん聞いてきた。親しくしている親戚から、人間として扱われなかったことを聞いて、そのことを忘れないことが重要なのだと思った。悲しいことに、あなたの本は、あらゆる意味で、歴史と言えば、わたしの気持ちを暗くすることを再確認させてしまった。
(中略)
わたしの祖父母は、フィリピンにおける日本の占領の影響を直接受けた。わたしが1940年代におこったことを訊くと、いつも興奮し、話を止めることができなかった。
(中略)
わたしに父は、父の父の話をしてくれた。夜中に起きると、ベッドから飛び起き、「奴らが来る。隠れろ!」と叫び、妻と子どもの顔を見つめた、と。


加害を詭弁で欺くなんて、恥を知れって。