電脳塵芥

四方山雑記

500ウォン硬貨は旧500円硬貨をパクったという言説について

 note版の転載。noteに試験的に移ってみたけどどうにもnoteだと脚注が使えなかったり、細かい部分で私的に痛かい部分があったので、こっちに出戻り。なので転載。


 旧500円硬貨と500ウォン硬貨について2019年に上記のブログ記事を書きましたが、正直今見直すと甘さが多々見られるのでこちらで改訂版という形で記しとく。

90年代末の変造500ウォン硬貨事件について

 そもそも事の発端としては80年代にも一応確認は出来るものの、1997年ごろから激増していった変造500ウォン硬貨による旧500円硬貨の偽造問題があります。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/gskaigi/kaikaku/wg/dai1/siryou3_zouhei2.pdf

この問題というのは旧500円硬貨と500ウォン硬貨の大きさが同じであり、重さはちょっと重い程度なので穴をあけて軽くする事によって自販機に「変造500ウォン硬貨=500円硬貨」という誤認識をさせ、その後に払い戻しをすると500円硬貨が出てくるという事を利用した犯罪行為です。また貨幣価値が当時10倍程度の差があったことからそれに目を付けた集団や、また報道を受けてそれを知った集団が同様の犯罪を起こし、以下の様に認知件数だけで当時かなりありました。

出典:上記と変造硬貨と同様

この問題の解決として、新500円硬貨や自販機の改修などが行われたのであり、社会を動かすレベルの問題だったと言えます。ただこの変造500円硬貨問題自体はその後の対応によって終わった問題ではあります。 ただ、これと同種の問題として「支払われた500円硬貨を見たら実は500ウォン硬貨だった」というツイートは時折見られ、実際に読売新聞の2022/09/16の記事に「コンビニの外国人従業員に韓国硬貨見せ「昔の日本の硬貨で使える」…ギフトカードだましとる」という事件が書かれていることから現在においてもこの種の事件は時折発生していると言えます。つまり未だにこの問題はくすぶっている。特にネットで。それはコミケなどの時期が近付くと「500円硬貨と500ウォン硬貨は似てる」という注意喚起がされる事がほぼ恒例化し、その中の話の派生として「500ウォン硬貨は500円硬貨をパクった」的なデマレベルの話が流布していることが証左。

旧500円硬貨と500ウォン硬貨の成立の時系列

 この時系列については韓国の中央銀行である韓国銀行のHPで「日本の500円より先に作られた韓国500ウォン」という記事を紹介しており、それによれば以下の様な時系列だと述べています。

【日本と韓国の各硬貨の発行決定日(韓国銀行による)】
日本:1981年6月30日
韓国:1981年1月8日

確かにこれが事実ならば韓国の方が発行決定日の方が半年近く早いことになり、500ウォン硬貨は500円硬貨をパクったは成立しません。上記HPは1999年に記述されたものであり、また1997年の中央日報の記事においても同様の主張があることから変造硬貨問題があった当時からの主張と言えます。ところで、この「発行決定日」とは何でしょうか。政府発表日? 法案採決日? 閣議決定日? デザイン発表日? 後述しますが「デザイン発表日」を基準にした場合、500ウォン硬貨は旧500円硬貨よりも後です。「パクった」というからにはデザイン発表日を基準にするのが普通であり、韓国銀行の主張は実際のところあまり意味のない指摘と考えられます。なお念のため書きますが、だから韓国側パクった、という話はしていません。資料がない為に不明ですが、先ほどの韓国銀行の主張には下記の様に数年前から図案選定などの作業が非公開で推進された記録があるとも言っていますしね。それを同記事に付けてくれれば話はもっと早かったんですが……。

政府承認日の数年前から図案選定などの作業が非公開で推進された記録がその事実を証明しているからだ
https://www.joongang.co.kr/article/3549366#home

【500円硬貨の成立過程】
 まず日本側から500円硬貨が出来るまでの簡易的な時系列を記していきます。政府的な対応の話に移る前に噂レベルであれば朝日新聞の1976年1月15日朝刊において以下の様な記事が書かれます。

500円 札から玉へ 大蔵省 52年度にも発行の方針(発行理由などについては略。札よりも硬貨の方が耐用年数があるなどが記述)一方、硬貨の製造工場である大蔵省造幣局でも大蔵省の発行決定に備えて、500円玉の材質、大きさ、デザインなどの技術的な問題について51年度から本格的な検討を始めることにしている。
朝日新聞 1976年1月15日朝刊

上記記事では昭和52年、つまり1977年に500円硬貨が発行されるということになり、未来視点では外れの記事ではあります。また週刊読売1976.1.31号には「500円硬貨発行説の真相とそのデザイン 」という記事が確認でき、そこでは臨時通貨法の改正が必要など500円硬貨を作ることのハードルが記されています。この様に500円札から500円硬貨へという流れは70年代中盤辺りから水面下では動いていたであろう事は想像に難くありません。
 これが政治的に表に出たのがここから4年後の1980年11月28日です。これは当時の渡辺美智雄蔵省が発表したものであり、発行の理由は以下の様なものです。

57年までに発行 自販機の普及に対応自動販売機が普及し百円玉だけでは不便だから、というのが、発行の理由。(中略)最近では酒類や切符300-700円の金額の多い販売機も、全国で四百二十万台(昨年十二月末現在)に達している。
朝日新聞 1976年11月29日朝刊

また、記事では昭和50年8月に行われた内閣府の調査である「硬貨(コイン)に関する世論調査」でも500円硬貨があると便利が7割以上であることも伝えています。ちなみにこの記事ではこの11月28日時点で500円硬貨が百円硬貨と同一の白銅(銅75%ニッケル25%)であり、大きさは百円硬貨よりも大きくなると明言しています。そしてこの発言の翌年に新貨幣発行に必要な臨時通貨法を1981年に改正します。この改正が国会の衆参で可決されたのが5月であり、公布されたのが5月15日。この法改正により政令を出せば500円硬貨の発行が可能となり、6月30日に「五百円の臨時補助貨幣の形式等に関する政令」が閣議決定、7月3日に政令が公布、そして翌年の1982年1月から流通が開始されることになります。この6月30日の閣議決定が韓国銀行がいうところの「発行決定日」となるわけですが、デザインについては6月16日から開かれた臨時補助貨幣懇談会で話し合われます。

朝日新聞 1981年6月17日朝刊

上記の様に第一回目の懇談会では図柄や大きさについて難航した模様が窺えるのですが、そのすぐ2日後に開かれた懇談会ではデザインが決まり、発表されています。

朝日新聞 1981年6月19日朝刊

以上の事から、500円硬貨のデザインが決定/公表されたのは6月18日です。大きさなどがどの様に決まったかの過程までは不明ですが、ここが世間的に公表された日付であることは間違いないでしょう。

【500ウォン硬貨の成立過程】

 これを書いている人が日本語話者の韓国語疎い人間というのもあり、韓国語圏の調査能力は劣ることが前提となります。まず500ウォン硬貨の話はNAVERの新聞記事アーカイブを検索する限り、1980年8月21日の東亜日報に記事が見受けられます。

https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1980082100209202010 ※画像はNAVERではなく東亜日報の日本版から

NAVERの新聞記事アーカイブ中央日報朝鮮日報がないことからこれ以前に500ウォン硬貨の話自体は合った可能性は存在しますが、とはいえ韓国銀行のいうところの81年1月以前に500ウォン硬貨の話自体は動いていた可能性は指摘できます。では、韓国銀行の言う1981年1月8日はというと……、これが何を指すのかはNAVERの新聞アーカイブ、および中央日報(日本版)でも1月8日周辺の記事を確認しましたが、それっぽい記事は見受けられませんでした。中央日報(日本版)の方はハングルが読めないことから見逃している可能性はあり得ますが、とにもかくにもこの1月8日の決定はよくわからないのが正直なところです。日本における6月30日の閣議決定も新聞記事他にはない情報であることから、この1月8日も日本の閣議決定的な報じられるほどではない政府決定であったと考えるのが自然でしょう。では、デザイン公表日はいつかですが、それは確定できます。それが1982年1月21日です

朝鮮日報(日本版)1982年1月22日

上記は朝鮮日報ですが、NAVERの新聞アーカイブでも東亜日報で同様の記事がWEB上で確認できます。それによれば韓国銀行が1月21日に金融通貨運営委員会の議決で規格を決めたとあります。韓国銀行は99年の主張で政府承認日の数年前から云々と言っていますが、その際に大きさなどまでが数年前から決まっていたかまでは不明。ただ朝鮮日報の1983年1月16日の記事を読む限り図案の構想は1981年2月には始まり「国際社会で飛躍する韓国を象徴し、飛ぶ鶴を図案に決めた」(これがいつかは不明)とあります。まあ、500円硬貨は「桐」で500ウォン硬貨は「鶴」であり、この硬貨の数字面でない方の図案って別に似ても似つかない部分なんですが。「パクった」言説だと無視される部分。
 で、以上の情報をまとめると硬貨発行までの時系列は以下のようになります。

【日本と韓国の500円/ウォン硬貨発行までの時系列】
          日本    韓国
政府承認日  :81年6月30日 81年1月8日
デザイン公表日:81年6月18日 82年1月21日
流通日    :82年4月1日   82年6月12日

日本は政府承認日の前にデザイン公表があります。これは日本における財布承認日を「最終決定日」と言える日にしているからでありますが、実際の流れを考えた場合は1980年11月28日が日本政府が500円硬貨の発行を決定した日だといってもそうは誤りではないと言えます。逆に韓国は韓国銀行によると1月8日を決定日としており、その後にデザイン公表日までの空白期間を考えるならば1月8日が表向きになった初の発行決定日だと考えられます。こう考えると韓国銀行の日付による比較は不適当であるかなとも言えますが、それは脇道なので置いておきます。 とりあえず以上の様にデザイン公表自体は日本が半年ほど先なわけですが、じゃあこの半年間を利用して韓国は発行を計画していた500ウォン硬貨を日本の500円硬貨に合わせた、という結論になるのは常識的に考えてないでしょう。新聞紙やそのほかの周知のためのパンフレット的なものはあったでしょうが、それらを見てデザイン、大きさ、白銅にしようと決める意味も不明ですし。


はてな用追記】
 朝鮮日報で気になる記事があったので追記しておきます。
 チョ・ビョンス(自動翻訳による)という当時のデザインに関わった方が「우리나라 기념주화(韓国記念コイン)」という書籍を2006年に刊行したらしく、その宣伝含む記事なのですが、そこに気になる事例が記述されています。

また、500ウォン硬貨は同時期に日本の500円と同じサイズで製作され、500ウォン硬貨が日本に流出し、自動販売機などに大量に使用される問題が発生したことと関連し、チョ元教授は「当時、日本の硬貨と同じ規格にするのは正しくないと強く主張したが、韓銀の中間決裁過程でこのような主張が受け入れられなかった」と明らかにした。
朝鮮日報 2006.9.21 「"유통 중인 화폐 디자인은 역대 가장 졸작"
※自動翻訳による

以上の様にチョ・ビョンスによれば当時韓国側としては規格(この場合は「大きさ」でしょう)が同一であることに気付き変更する様に主張したということになります。時系列で示したように日本のデザインは81年6月の公表、韓国側は82年1月の公表の為に韓国側は日本のデザインを知ってから公表する立場にいたわけで、そこで規格が同一ならば避けようとするのは専門家としては当然の主張とも言え、そこまで不思議な主張ではありません。ただこの主張は当時責任者が軍出身であり専門家(チョ・ビョンス)の意見が反映されなかったとしており、そういう意味では恨みつらみやその後の偽造事件を受けた証言ではあろうものであること想像できますが、ただ重要な指摘であると言えます。この記事が必ずも正確であるかは当時の議事録でもない限りは立証は困難でしょう(ちなみに韓銀はこのほかを含めて「個人の主張で勧銀の立場とは無関係とのコメント」)。ただこの意見を採用した場合においても「パクり」言説は否定されうるもので、そこでの問題性は同一規格であることを事前に分かっていたのにも関わらずそのデザインでいこうという事への問題です。果たしてこの同一規格であることに気付いたのか何時であるかまでは不明ですが、日本のデザイン発表後の半年後に韓国が発表したことを考えれば「規格」を変更してまでの変更が現実的だったかは微妙かもしれません。


韓国は70年代から硬貨輸出国

 ところで、この500ウォン硬貨の話について「当時韓国には造幣技術がなく、日本から払い下げられた機械を使ったから500ウォン硬貨は500円硬貨に類似している」、というデマがあります。この情報の初出は2013年の5chまとめブログにおける「韓国が500円玉そっくりの500ウォン硬貨を簡単に鋳造できた理由が判明」という記事が原因だと思われ、変造硬貨問題時にはなかった割と新しいデマの類と言えます。ただこの話は上記のほぼ同時期に動いていた時系列的を見るだけでもあり得ません。またこの点に関しては以前、造幣局に問い合わせて以下の様な返事をもらっています。

造幣局からの返信メール

「鋳造機」を払い下げたという情報は確認できない、また当時偽造対策を日本政府は韓国に要請したのかという問いに対しては密輸出の取り締まり強化と情報提供要請は確認できたが偽造対策は要請していないというものです。デマと確定できる話です。
 ここまでは以前のブログ記事などでも触れたのですが……、韓国は50年代などではアメリカで作られた硬貨を輸入していた硬貨輸入国でしたが、70年代からの韓国は硬貨の輸出国であり、造幣技術を持っている国家です。輸出している「硬貨」とは、技術がない国に対して額面や押印がされていないまっさらな硬貨を輸出しているという事であり日常的に使用される「硬貨」ではなく硬貨の土台と言えるものですが、豊山(?)というメーカーが70年代から各国に輸出しています。つまり81年当時に鋳造技術が韓国には存在したという事です。なのでこの話に関して、当時の韓国には造幣技術がなかったという類の言説は明確に誤りと言えます。あと脇道だけど、日本の80年代当時の貨幣製造工程において圧印機はアメリカ製製造段階は「溶解~熱間圧延・冷間圧延~圧穿(コインの形を作る)~圧縁(縁を作る)~圧印(模様をつける)で見た目の重要部分)だったりします。韓国はどの国の機械を使用していたかまでは不明ですが、技術という意味では日本も他国の技術を使っていたとも言えます。

硬貨の材質や大きさとか

 500円硬貨と500ウォン硬貨が似てるという話ですけど、図案が「桐」と「鶴」で全然似てない部分があります。また規格そのものにも差異は存在します。

【旧500円硬貨と500ウォン硬貨の規格】
  旧500円硬貨 500ウォン硬貨
材質  白銅      白銅
直径  26.5㎜      26.5㎜
厚さ  1.85㎜      2.0㎜
重さ  7.2g       7.7 g

旧500円/500ウォン硬貨

ちゃんとみるとそこまで似てない。だのに何故似てると感じるかというと白銅という素材の同一性による色の類似、「500」という数字表示による目につく見た目の類似性、「26.5㎜」という大きさの共通性などからくるものです。このうち「500」という数字の書いてある面が似るのは避けえないといるでしょう。では、材質や大きさはどうか。これらについてはその規格が決まった話が公開されているわけではないので類推の話にはなりますが、次のような類推は可能です。
 まず材質の「白銅」ですが、造幣局の貨幣Q&Aである以下の部分から何故白銅が使用されたのかが窺えます。

経済成長に加え、自動販売機の普及などによる100円銀貨の急激な需要増加の一方で、電子工業などの工業分野での著しい銀の需要増加により銀不足が世界的な傾向となったことから、昭和42(1967)年に、100円銀貨と50円ニッケル貨について、安定して供給が可能な白銅に素材が変更されることとなりました。
造幣局 貨幣Q&Aより

また「造幣局の歩み」によれば白銅は外国で高額貨幣で使用されている材質であった事から選ばれたとあります。つまり日本において白銅が使用されている理由は「銀不足による代替素材の必要」、「安定供給可能」、「外国で高額貨幣に使用されていた」からだと言えます。なお韓国についていえばウォンに切り替わる前の「ファン」という硬貨の単位の1959年時点で100ファン硬貨の素材は白銅です。この韓国で高額硬貨に白銅使用という側面だけを考えれば韓国の方が早かったと言えます。これが後に韓国の硬貨単位がウォンに変更された後も高額貨幣は白銅という認識が継続されたと思われます。時系列的には日本をパクったというのが成立するとは思われず、高額貨幣は銀色でそれなら素材は白銅、といったものと類推できます。
 次に「26.5㎜」という大きさについて。これは白銅以上にその経緯がわからないものです。日本も韓国も。ただいずれにも言える事として一番の高額貨幣故に貨幣の中では一番大きな規格にしたことは確かでしょう。80年の渡辺蔵省の発言が100円硬貨よりも大きくするとも言っていますし。日本は例外はあるものの基本的に高額貨幣の方がサイズが大きくなり、韓国においてもそれは同様です。とはいえmm単位で同じ大きさとなる理由はないはず……、とはいえ26.5㎜という大きさは日本も韓国も先行していた外国の高額貨幣と同じ大きさです。それが1ドル硬貨(アンソニー・ダラー)です。この硬貨は1979年から1981年という短い間に発行された硬貨ですが、大きさは26.5㎜。実際に日韓が1ドル硬貨の大きさを模倣した、と考えるのは微妙な線ですが一応は双方の前に同じ大きさの硬貨の実例は存在しているとはいえます。ただパクった言説についていえば、韓国側のデザイン公表時には500円硬貨の実物は存在せず、故に新聞報道などを見て500ウォン硬貨の大きさを26.5㎜にしたという話になってしまいますが、流石にそれは考えられないでしょう。
 以上のように見ていくと材質、直径の同一性については偶然と考える方が自然でしょう。発行されていない段階の隣国の高額貨幣をパクって自国の高額貨幣に適用しよう、というのはもはや陰謀論的とも言えなくもなく、正直あり得ないでしょう。偶然の一致である点と点を結んで生まれた若干の説得力が生まれてしまったデマでしょう。

韓国銀行がNHKなどのメディアがこの言説を広めたというけれど

 最後に脇道ですが、韓国銀行の説明HPには疑問符が付きます。

このような一連の情況を把握した日本のNHK放送などは、「問題の根源は、韓国が500円硬貨を作った当時、日本の500円硬貨を真似て作ったもの」という推測のもと、韓国銀行に真相究明を要請した。※自動翻訳
日本500円より先に作られた韓国500ウォン

上記は変造硬貨問題が盛んな1999年時点で書かれたであろう話なので2023年時点の振り返りよりも説得力はなくはないのですが……、ただ当時ですら少し調べれば時系列的に無理があると言える話で、それをNHKレベルのメディアが報道したというのはにわかには信じがたいです。またNHKが実際に報道していた場合、この話を調べる過程でNHKで報道されたという話の記述は見受けられず、国会図書館のデジタルコレクション上で検索する限りも見受けられない。また2018年に韓国銀行が「コインストーリー - 500ウォン、韓国が先に作った」という99年の焼き直しをアップした際にこのNHK部分が削除されていることもまたうさん臭さがちょっと拭えないところ。この部分は正直かなり胡乱かなと。

 ってことで長々書いたけど、いろいろな状況を見てもやっぱ500ウォン硬貨は旧500円硬貨をパクった話は時系列的に考えて無理がある。技術がない云々も誤り。この話がいつ生まれたかまでは不明で、とはいえ問題が発生した97年ごろから生まれた可能性は高い。さすがにデマの初発やNHK報道を調べる気まではないですが、いずれにしても信じるに値しないデマである事はかわらない。



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