電脳塵芥

四方山雑記

悪書追放運動で選挙期間中に悪書が「燃やされた」という話について

悪書追放運動(1955年)で『鉄腕アトム』は燃やされたのか? - 電脳塵芥

手塚治虫関連はこちらの記事に


 というツイートがあって、これと同文の情報はツイッター上でいくらか見つかります。鍵かっこでくくられている事から何らかの出典はあるはずで……、で、ネット上で最も近い文は『同人用語の基礎知識』の基礎知識。

過激な反コミックパフォーマンスも登場
 前後して、1955年2月27日投票 第27回衆議院選挙、1956年7月8日投票 第4回参議院選挙 の選挙戦では、一部の女性らが小学校の校庭にマンガ本を積み上げ、手塚治虫らの漫画本に火をつけて燃やすパフォーマンスを展開、焚書だとして大きな社会問題になります。
悪書追放運動/同人用語の基礎知識

最後の締めくくり以外は同じであり、では『同時用語の基礎知識』の出典はというと未記載の為に謎。記述が詳細な為にこれを書いた管理人が無から情報を作ったとは思えない内容なのでなんかしらの出典はあると思うのですが……。wikipediaとかに書いてあれば悩む必要なかったのに。
 そもそも選挙期間中にマンガ本を焼くという行動自体が謎です。運動側からの議員への悪書追放圧力として考えられはしますが果たして効果的かというと疑問符。ただ当時の悪書追放に関して、

「悪書追放を喜ぶのは誰だ」
「次に当選する政治家さ」
「もっと喜ぶのは教育評論家だ。講演会で稼げるからさ」

という様な揶揄が存在したらしく(日本児童雑誌編集者会機関誌『鋭角』より)、編集者からしたら政治家は悪書追放賛成として映っていたというまなざしは確認できますので、選挙期間中にあっても不思議はないともいえはします。

 で。

 結論から先に書きますが当時の記事に選挙期間中にマンガ本を積んで焼いた、手塚治虫のマンガ本を焼いたどころか、そもそも「校庭で悪書マンガ本を焼いた」という記事は見当たらず、本当にあった出来事なのか不明です。「本を焼いた」という記事は存在、しかしそれは場所や対象雑誌は不特定、手塚治虫による「校庭でマンガが焼かれた」という証言はありますが、ただこれは時期が未特定であり選挙期間中かは謎です。なので、ほんと出典を知ってる方がいたら教えてくださいって感じです。

確認文献

【新聞】
読売新聞:1954~1956年記事(ヨミダス検索、地方版含む)
朝日新聞:1954~1956年記事(聞蔵Ⅱ検索、地方版含まず)
     1955年2月の全記事(縮刷版 ※全国版)
毎日新聞:1954~1956年記事(毎索検索、地方版含むはず)
日本読書新聞:1949~1951年(第9~11巻)
読書タイムズ:1954~1956年

 三大誌とされる各新聞のデータベースで「悪書追放」、「不良雑誌」、「焚書」、「不良&燃」、「俗悪」などなどの思いつくキーワードで調べましたが、選挙期間中どころか「校庭で焼いた」という記事すら見つかりません。また1955年2月の朝日新聞縮刷版を確認する事が出来たので選挙期間中の全記事を見ましたが、その様な記事は一切ありません。そもそも紙面では選挙期間中の争点として扱われてすらいません。なお産経新聞はその時期のデータベースがありませんので確認不能です。それと1955年当時の悪書関連を最も多く記事にしているのは読売となります。
 日本読書新聞は児童雑誌の表現について厳しい論調を敷いており、学校図書についての情報、小学生から感想文募集などをしていた新聞であります。今回の件ではど真ん中と思える新聞ですが、こちらに関しても悪書批判は存在しますが選挙期間中に焼かれたという記事は見当たりません。
 また読書タイムズにおいても同様に選挙期間中の話はありません。母の会が参加する座談会などもありますが、その座談会以外では焼いた話には触れていません。

【書籍】
手塚治虫『ぼくはマンガ家』 1969
手塚治虫『漫画の奥義-本編』 1992 ※ネット上の該当箇所からの確認
長岡義幸『マンガはなぜ規制されるのか 「有害」をめぐる半世紀の攻防』2010
竹内オサム『戦後マンガ50年史』1995
中河伸俊、永井良和『子どもというレトリック: 無垢の誘惑』 ※竹内オサム 「“悪書追放運動”の頃」
コミック表現の自由を守る会『誌外戦: コミック規制をめぐるバトルロイヤル』1993 ※竹内オサム担当記事
橋本健午有害図書と青少年問題』2002
うしお そうじ『手塚治虫とボク』2007
昼間たかし『コミックばかり読まないで』2015
児童読者調査研究会『児童読物の研究』1巻、2巻 1955
波多野完『児童文化』 1956
久米井束『読書のよろこび』1955
毎日新聞社『読書世論調査第9回(1955年度調査)』

 いずれの書籍でも選挙の「せ」の字もありません。手塚治虫『ぼくはマンガ家』は自身の経験に基づき存分に語っておりますが、悪書追放運動の章では時系列が前後するか、若しくは時系列の混線が起こっており少し困る内容です。『漫画の奥義-本編』の方では学校で焼かれたと取れる記述があります。学校で焼いたという記述は手塚治虫が主たる情報源であり、これが現在流布されている「校庭で焼かれた」の原型の一つかと考えられます。 その他の書籍には焚書の事実は書かれているものもありますが、「校庭で~」などの記述は皆無です。
 『児童読物の研究』、『児童文化』、『読書の喜び』、『読書世論調査』などは1955、1956年当時の出版物であり当時の雰囲気を感じられますが、悪書そのものの経緯を扱ったものではほぼほぼなくそもそも焼いたという記述はいずれもありません。ちなみに『児童読者の研究』を見ると『鉄腕アトム』の人気は断トツです。

【雑誌類】
出版ニュース』  1955年6月中旬号、6月下旬号、7月上旬号、12月中旬号
『鋭角』 1955.9.1~1956.11.24 『学校図書館』12月号 「特集 悪書追放運動をめぐって」 1963
『国民』「猥本や悪書の追放に効果をあげた母親たち」 1955
『學鐙』「惡書は良書を驅逐するか」 1955
図書館雑誌』悪書追放運動の日誌 1964

 『出版ニュース』は書評や出版関連の情報を扱う機関紙の様なものですが、何分古い資料とのために利用できる図書館では欠号も多かったですが、上半期や1年を振り返るという特集で悪書追放に触れられています。ただし、何れにおいても焚書までは扱っていません。
 『鋭角』は悪書追放運動を受けて編集者たちが集まって作られた1955年9月創刊の機関紙であり、故に悪書批判に対して強い反論を幾度となく行っておりますし、手塚治虫も参加する座談会なども開かれています。焚書に関する件もいくらか記述がありますが、選挙期間中に焼かれたという記事はありません。また悪書追放運動のピーク後に創刊となっている為に焚書がされていた時期とタイムラグが存在しているのが欠点です。あとこれは余談ですが『鋭角』はマンガ史的にも貴重な資料で、当時のマンガ界がどの様なものだったのかしれて読み物としても面白いです。値段は張りますがご興味があれば図書館などでどぞ。
 その他、悪書関連の記述がある雑誌を見ましたが、選挙関連のものはありません。ちなみに『国民』の「猥本や悪書の追放に効果をあげた母親たち」によるとやはり当時の価値観としてはワイセツ本がその対象で、後々マンガに対象が移っていったことが知れませす。

【大矢壮一文庫雑誌検索】
見当たらず

 期間指定で1955年近辺に絞って「悪書」、「不良雑誌」などなどのそれっぽいワードを使用して調べましたがその様な記事はヒットしませんでした。期間指定を外すと別の時代のがヒットするので検索の仕方が悪いわけでないと思うのですが、その時期に悪書追放記事が一つもないとは思えないで少し訝しむところもあるのですが、とりあえずないです。

【論文類】
竹内 美帆『美的陶冶としてのマンガ 美術教育、表現論、テクスト分析

【その他】
青少年条例と自主規制 - 日本書籍出版協会


1955年近辺の悪書追放運動について

 この時期の悪書追放運動のピークは竹内オサムによれば1955年4~5月とされています。4月に読売、朝日などがキャンペーン報道的な物を仕掛け、そして5月には「母の会」などによる「悪書追放大会」が開かれ運動が活発化します。また1956年になると『鋭角』などでの議論はあるものの社会的には一応の落ち着きは見せており、読売新聞は記事などで運動を盛り返そうとしているくらいです(読売新聞1956.1.16「悪書追放運動をもりかえす」/1956.1.18社説「悪書から子供を守ろう」)。
 故に「1955年2月27日投票」、 「1956年7月8日投票」というのは悪書追放運動のピークとは何れもずれています。ただ新聞記事上で確認できる雑誌が焼かれたのは1954年からですし、1956年以降もまだくすぶっている時期なので焼かれる可能性はありますが、ただしかしながら「(選挙戦で)焚書だとして大きな社会問題」は確認書籍でいずれも未記載な様に「大きな社会問題」になっているとは到底見受けられません。別に選挙戦きっかけで盛り上がった社会問題でもなければ、選挙きっかけで何か変わったとも当時の記事などからは一つも感じられません。

 なお「悪書追放運動」は当時『鋭角』において新聞が問題を先鋭化したという批判がされています。上記の読売新聞は顕著ですし、朝日新聞もある記事に対して事実誤認だと指摘したりしています。悪書追放自体、当初はエログロ雑誌が追放対象であったにもかかわらず児童雑誌へと批判対象が拡大しています。これは赤本などの時から批判対象ではあったものの、新聞上で青少年犯罪増加と児童雑誌内容に結び付けた記事などがあり、その影響は十分に考えられはします。ただ、この頃のマンガ業界自体にも粗製乱造、デッチ本*1、出版社明記がない怪しい出版物などの問題があったのは事実だったりしますが。
 またこの頃には教科書問題、新生活運動、純潔教育再軍備、青少年条例ヒロポン追放運動などなど、政府の教育や生活への介入を強めています。エログロ雑誌はワイセツ物として取り締まれますが児童雑誌は法的には無理。そこで警察との連携組織として「母の会」が動いている側面もあり、悪書追放運動は必ずしも市民の自発的なものとは言えず、行政の動きに呼応している面があります。

 何れにしても悪書追放運動には「一部の女性が」とは決して言えない背景があった事には留意が必要です。悪書批判側の論壇で声をあげていたのは主に男性でしたし、焚書については批判的な「子供を守る会」も男性が多く見受けられますし、賛助の声をあげる行政側の人間も男性です。少なくともこの運動に関して、運動主体を性別によって切り分けるのは甚だナンセンスです。そもそも男性が運動に反対しいてた女性だけの運動ならばここまでの社会問題になってないかと。


焚書、マンガ処分に関する記事について

 以下では主に焚書、マンガ処分に関する記述をあげていきます。

1)朝日新聞1954.7.17 夕刊

不良雑誌を焼く 赤坂少年母の会
子どもたちの目に触れさせる!と不良出版物を各家庭から集めて焼き捨てた母親たちのグループが、今話題になっている。東京都港区の赤坂少年母の会で、見制に園舎に悪い影響を与えるエロ、グロ雑誌を追放しようと会員三千人が結束、見ない、買わない、読まないの”三ない運動”を起し、まず私たちの身の回りからと立上がったのがさる(1954年)五月の青少年保護育成運動の期間中だった。三十五冊焼いたのが手始めだったが、以来会員たちの積極的な”供出”が続いて現在までにおよそ五百冊にのぼる雑誌、単行本が煙とともに処分された。

 おそらく新聞上で初めて悪書*2が焼かれたという記事になります。記事を見ればわかる様に1954年時点では「母の会」の標的はエログロ雑誌がメインであり、マンガではありません。ただ、例えマンガでなくともこの記事によって少なくとも1954年5月~1955年2月までに500冊焼かれている事は確認できます。これが1955年の追放運動まで続いている事は想像に難くないでしょう。
 なお「見ない、買わない、読まない」の「三ない運動」ですが、当時の住宅環境下では子ども部屋などあろうはずがなく、親と寝室を子どもと同じにする状況下で大人がエロ雑誌などを持ち込むと子どもが読んでしまうという事から、大人に対してのスローガンという側面が強いともされています。


2)読売新聞1955.5.8 夕刊

悪書五万冊ズタズタ  悪書追放
  “悪書追放”にたち上がった東京母の会連合会のお母さんたちは「きょうの私たちの日を意義ある仕事で…」と朝から都内一斉にリヤカーや荷車をひいて各家庭にしまいこんであるエロ本、あくどいマンガや少年少女雑誌類を集めて歩いた
 五十支部余り約三十五万人もの会員をもつだけに“供出”された本の数もおびただしく神田母の会、三河島母の会、小松川母の会などうす暗い午前六時ごろからタスキ、エプロン姿でとび回り正午ごろまでには各支部長宅側に約五万冊の“悪書の山”が築かれた。そのままクズ屋や古本屋に売ったのではまた売りさばかれるとお母さんたちは本が運ばれるそばから切断機で刻みコマ切れにしてからクズ屋に渡すという慎重さ。宮川母の会連合会会長も「これは母の日に子供たちに贈るお母さんたちの最大のプレゼント」とほほえんでいた。

 悪書追放運動で最大の処分数が記録された記事です。悪書追放運動ピーク期であり、読売新聞1955.5.1 朝刊「今日から”悪い本”追放運動 討論会やら戸別回収」、読売新聞1955.5.6 「”根気よくやろう” 悪書追放お母さん大会を開く」という様に読売新聞上*3で活発にその動きが見て取れます。なお、読売5月6日の記事は「悪書追放大会」の事であり、この大会には当時の都知事及び警視総監が参加しています。
 あとこれは余談ですがwikipediaでは長岡義幸「マンガななぜ規制されるのか」を参照して「約6万冊の雑誌やマンガを焚書するまでになった」と記述されていますが、当時の記事では「5万冊がコマ切れ」であって、少なくとも「焚書(焼き捨てられた)」ではありません。長岡、及びそれを引用したwikipediaの誤りです*4。「焼く」も「コマ切れ」も実質ではそんな変わりはしませんが。


 以上の二つで1955年近辺の三大新聞記事における悪書焚書/処分の記事はおしまいです。他にはコラムの中で「焚書」は如何なものかとチクリというものが1つだけ確認できますが、その程度の数しか焚書系の記事はありません。

 次からは新聞記事にはなっていない部分での焚書に触れた記述です。

3)うしおそうじ手塚治虫とボク

白昼堂々の焚書 子供漫画化への攻撃は五月になってもまたづついた。(中略、悪書追放大会、6万冊裁断の記述)、あるいはまた大阪では、母親たちが子供から取り上げた漫画雑誌や別冊漫画を、初夏の中野島公園広場に山と積み上げて火を放った。白昼堂々の「焚書」である。

 以上の様に大阪で大々的な焚書があったと記述しています。ただし、読売、毎日の全国及び地方版、朝日の全国版にはその様な記事はありません。うしおそうじ氏の記憶違いではない限り、記事になるほどの出来事ではなかった模様です。

4)『鋭角』1955.11.25

この(PTA全国)大会が終わってから、朝日新聞の「ひととき」に投書した黒沢たけさんに会って、子どもの読みものについて話した(中略)この地区(熱海)でも、例の悪書追放がやかましかった頃、母の会が悪書を集めて焼いたそうである。

 という様に「この地区でも集めて焼いた」という文面があり、焚書の様な行いが各地域で自主的に焼いていたような記述が見受けられます。新聞記事にはならないほどだが、運動盛んな時期(春から夏頃まで)に各地域の小規模な出来事として焚書が行われていたことをうかがわせます。

 以上の2つで新聞記事以外での焚書関連記述は終了です。『鋭角』の記事からもっとあった事はうかがわせますが、とはいえ新聞記事になるほどの象徴的出来事はあまりなかったように見受けられます。


焚書事件

 1955年のこの焚書騒ぎはのちに「焚書事件」として語っている場合があります。以下からは「焚書事件」について記述されている部分を抜粋します。

学校図書館「悪書追放運動の諸問題 -神崎清先生にきく-」1963

鈴木 その俗悪マンガの追放運動で、例の焚書事件というものがありましたが……
神崎 本を焼いたというのは、記録されているものとしては、赤坂と荒川区の婦人会ですが、一種の母親ヒステリーのようなもんでしょう。新聞記者に聞いたんですが、マンガと名のつくものはよいものでも-例えば竹取物語といった名作マンガまで焼いてしまったという、一種の興奮状態にあったわけです。(中略)最初は、悪書を持ち寄って焼いたりなどしましたが、だんだん思いなおして、そういう本を屑屋に売ってお金にかえ、学校図書館か何かに寄付しているということを、新聞で読みました。


『鋭角』1958.3.25

大宅壮一氏のデタラメ
(中略)全国の母親たちが漫画本を集めて焼いたことがあるとか(中略)焚書事件-というのは確かにあったが、その真相はこうである。昭和二十八、九年ごろ内閣にある青少年問題審議会で、青少年に害のある「エロ本、エロ映画麻薬」を駆逐する方針をたて、警視庁でも取締りに乗り出した。それに協力したある婦人団体が、エロほにゃエロ雑誌などを集めて、東京で焼いたことがある。中にはパンパンの情事や、犯罪を扱った漫画本もあったかもしれないがそれは大人向けのものである。漫画本を全国から集めたなどど、デタラメもほどほどにしてもらいたい

 学校図書館の方で神崎(日本子どもを守る会副会長)はマンガが主に焼かれたといっていますが、鋭角では焼かれたかもしれないが、それは主ではないと語っています。双方ともに当事者の談ではありますが、鋭角の記事を書いた指方龍一は編集者として悪書追放に手厳しい反論を書いた側の人間であり、マンガ業界側の当事者です。1958年の時点で書いている事から信ぴょう性としてはこちらの方が高いと考えます。

 いずれにしても「焚書事件」の語られ方は赤坂母の会の行動を念頭においた事件であり、全国的なものではありません。またいずれにしても選挙には一切関係ありません。
 さて、以上のことから焚書については

焚書はあったが数は少なかった
②各地で行わていたが新聞記事にするほどの事ではなかった

の何れかだとは考えますが、母の会の行動は継続的に行われていたと考えるのが自然であり、②でしょう。各地で小規模且つ、散発的に行われたと考えるのが妥当かと。故に「何が」、「どこで」焼かれたのかを探るのは困難です。ちなみに「母の会」が継続的に運動を続けている証左として、朝日新聞1963.11.7「母の会”悪書追放”の12年 回収、八万冊超える」で確認できます。なお、この「南千住母の会」は1951年から有害図書を回収、当初は焼き捨てていた(後にクズ屋へ)とあります。新聞記事にならない活動をしている団体があったという事でもあり、継続的な活動も続けていたという事です。あと1963年も焚書の時期であり、時事通信の写真であったり、埼玉県でも古本屋が県知事参加の下に悪書を焼いています(朝日新聞朝刊1963.12.1*5)。

で、結局選挙中に焼かれたの?

 始めの方に書いたように不明です。ただ少なくとも当時の雑誌や1990年代以降に書かれた書籍においても未記載の出来事なことは確かです。
 以上の事から考えられる可能性は、1955年、1956年選挙期間中に

焚書はなかった、元情報がデマ
焚書はあったが、報じられるほどの規模、ニュースバリューはなかった

の何れかだと考えられます。個人的には②ではなかいなと。報道で大々的に焚書やマンガ処分が報じられたのは2回だけですが、『鋭角』でも焚書が語られています。また1963年と後の報道ですが母の会は継続的に行動していたことは確認でき、報道にならないレベルの地道な活動をしていた可能性は高いです。散発的に、かつ継続的にマンガに限らない悪書を燃やしていのではないかと。
 ただいずれにしても元ツイートの方の言う様な「選挙期間中の焚書が大きな社会問題となった」はデマです。「悪書追放運動」が大きな社会問題なのであり、悲しいかな焚書それ自体は大きな社会問題にはなっていません。


 「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」って前に、曖昧な情報に踊らされるものも人を焼くよなー、とか思いながら、おわり。




子どもというレトリック 無垢の誘惑

子どもというレトリック 無垢の誘惑

*1:漫画家ではなく器用なものに何冊かの売れそうな見本を示してなるべく刺激を強くデッチあげさせた本

*2:当初は名称が定まらず「不良雑誌/出版」、「俗悪」などの呼び名の場合があります。読売新聞が「悪書追放」というキーワードを使ったことから以後「悪書」が定着します。

*3:朝日新聞毎日新聞は5月期の運動を記事化していません

*4:「6万冊」については、その年の別の記事に6万冊と書いてある事もあったりして、冊数については「諸説」レベルかと

*5:1963年のことについてはそこまで触れませんが、山梨県が発端、そして埼玉県のこの焚書によってさらに話題を呼びます。