電脳塵芥

四方山雑記

富山県立近代美術館(天皇コラージュ事件)について

 

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 あいちトリエンナーレについての話題は未だにくすぶっているわけであり、つまりは「天皇の写真を燃やすアート」とやらがまだ話題にあがってくるわけです。さて、とりあえずこの作品を「天皇の写真を燃やすアート」と単純明快な天皇を燃やす作品と捉えて方がいるわけですが、それはある種の傾向を持つ方々にはその様に世界が見えているから致し方ないのかもしれませんが、その世界の住人になってしまったら帰ってくることが中々にしにくいものなので、そもそもこの作品がどのようなものであったのかをば。

 

あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 第1回会議の配布資料「11 「表現の不自由展」展示禁止一覧 [PDFファイル/323KB]」ではその概要が記されており、

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作品名「遠近を抱えて」

経緯
1986年、富山県立近代美術館主催の「86 富山の美術」で展示された当該作品について、展覧会終了後、富山県議会、地元新聞での批判や右翼団体からの抗議により、同美術館は図録の在庫を焼却し、作品を非公開、その後売却した。作家が提訴した作品公開、図録公開の裁判は、作家側が敗訴。2009年、沖縄県立博物館・美術館でも展示が認められなかった。

以上の様に記されています。さらに第3回会議の配布史料「別冊資料1 データ・図表集 [PDFファイル/1.6MB]」では、月刊『創』でのった作者自身のコメントも転載されています。

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この作品説明に対する評価は個々人がすれば良いと思うのですが、単純に「天皇を燃やす」作品ではないことは確かです。天皇制とかを含めて考えると「内なる天皇」が今回も炙り出されたなとか思いますが。

 

 さて、この作品「遠近を抱えて」の問題が起こったのは1986年であり、この事件は「富山県立近代美術館事件(天皇コラージュ事件)」と呼ばれています。問題化した後にそういう解説を見ましたが、いまいち「議会や右翼の批判」とだけあって詳細な状況は漠然としています。なので事件を振り返るにはネットでなくて当時の新聞かな~、とか思っていたところ富山県議会において1995年の富山県議会でどのような事件だったのかがなんとなくわかるものがあったので、ここに紹介しておきます。

 

富山県議会 平成7年12月定例会 一般質問

※引用箇所が長くなるので、要約とします 


 ・1986年3月に「'86富山の美術」展が開催される

 ・作品出品後の定例県議会で2人の議員が批判

  ※この議事録は古い為、ネット公開は無し

 ・美術館長見解として「美術資料として保管する」との非公開措置表明

 ・知事は「慎重さを欠いた」と陳謝

 ・県立図書館は作品収録の図録の閲覧・貸し出しの中止決定

 ・右翼団体教育委員会と美術館に抗議、作品焼却と美術館長解任を要求

 ・1990年3月、市民団体や日本社会党の運動により、図書館で図録の制限つき公開決定

 ・公開初日、右翼思想を持つ神官がこの図録を破り捨てる

  ※この神官は最高裁で有罪確定

 ・県議会が「図録を破損した事件は、憲法に保障された表現の自由言論の自由を侵害する行為」との声

 ・1992年、右翼の一幹部が県庁内で知事に殴りかかるという事件発生

 ・1993年4月、美術館はこの大浦作品を個人に譲渡し、図録の残部470冊を焼却処分にしたと発表


 

 また、当時の記事の文章をアップしてる『ARAI'S ZANZIBAR,Tanzania PAGE』において、当時の議員の発言が以下の様に記されています。

既に展覧会も終った6月県議会の教育警務委員会で石沢県議(自民)がこの作品を取り上げて、「県民に親しまれている」日本の象徴である天皇を裸体や内臓と並べる「不快な」作品だ、と批判した。何故こんな不快な作品を県の機関が買ったのか、というのが石沢の批判の本旨であったようだ。この石沢の批判の尻馬に乗ったのが藤沢県議(社会)だった。藤沢は、7月の県議会本会議の社会党代表質問で再びこの問題を取り上げた。この質問で藤沢は、「作品に描かれている人物の人権をどう考えているのか」と知事に返答を迫るというア然とする様な質問(藤沢には人権概念が全くわかっていないのだ)を発した。

さらに右翼団体については、

7月下旬には右翼が全国動員(200名が街宣車に分乗してやって来た)で県教委に押しかけ、作品の焼却処分と館長の解任を要求した--と新聞に報道されているが、事実そうした要求もしたのだろうが、伝聞によると、県教委のオエラ方を日の丸の前に直立不動にさせ、“オマエラハソレデモ日本人カ!”といった精神訓話と恫喝をしたのだという--。

伝聞となり、少し根拠は薄いとはいえ「オマエラハソレデモ日本人カ」というのは昨今の電凸などを鑑みれば十分あり得た話でしょう。

 あとこの記事では触れませんが公立美術館が「表現の自由」や「知る権利」を侵害したとして裁判まで発展しています。ここ周辺の情報が詳しく知りたいならば『富山県立近代美術館事件 | 現代美術用語辞典ver.2.0』や『法学館憲法研究所』を参照すると良いかなと。

 

 オチもなくこれで記事は終わりますが、1986年と2019年、反応がまるで変わってませんね。天皇コラージュ事件が約30年ぶりにまた起こったという事であり、この部分に関しては日本人のアップデートは一切されず、下手をすればSNSで可視化された分余計に性質が悪くなったのかもなと。

 


追記

books.google.co.jp

 グーグルブックスにこの件を特集した本の中身が少し見ることができ、更には全部が見れるわけではないですが年表までついています。街宣車が50台以上連なって抗議したこと、右翼団体の抗議だけではなく市民グループが図録を公開せよという訴訟がされようとした中で図録が売却&焼却されたという事など、かなり詳細に書いてあるので問題理解にはかなり良いかなと。図録を破り捨てた神職の抗議文まで載っているのでネット上で確認できる中では随一の情報源。