電脳塵芥

四方山雑記

終戦後の天皇の食事に関する記事 雑誌『眞相』より

nou-yunyun.hatenablog.com

 という記事の補足というか、おまけ。
 上記の記事の中で引用した『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』で、その書籍中に戦後の雑誌『眞相』がネタ元の一つとして引用されてました。その記事が面白そうだったので国会図書館で遠隔複写で記事を見ようと思ったところ……、

という感じに該当記事が切り取られているという悪夢みたいな出来事があり(ツイートへの反応含めて)困惑してたところ、どうやら検索してらこの雑誌『眞相』には復刻版があるとわかったのでそちらを見てみたら他にも面白い記事が複数あったので、それについてここに別個の記事としてあげときます。

雑誌『眞相』への雑感

 まあまずこの雑誌『眞相』ですが、読んでみると左派というのかまではわかりませんが、基本は反権力反権威的なところがあってとにかく時の内閣や政治家を腐す。現代で言えば日刊ゲンダイの様なものと見るといいかもしれません。なおこの例えを誉め言葉として受け取るかどうかは個々人の判断に任せます。その他にも例えば甘粕大尉や児玉誉士夫についての記事、731部隊が話題になったときはそれに関わった人間へのインタビューをしてそれが真実であると喝破するなど今でも面白い読み物があります。そして何よりもこの雑誌、(昭和)天皇批判が多い。昭和天皇が主役の4コママンガが連載されますし、事あるごとに天皇に関する記事があり、現人神から人間になったあとの「戦後」をヒシヒシと感じます。ここらにある記事は現代ではほぼほぼ無理なレベルのものでしょう。例えばこんな記事。

【眞相 第11号より】
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天皇は箒である”という記事*1で、これは天皇が巡幸するとその周辺がきれいになる事への強烈な皮肉でしょう。天皇の顔を箒にしているのは確かに俗悪な表現とも言えますが、戦前にはなかった戦後に産まれた「表現の自由」。しかし、この戦後に産まれた表現の自由も昨今ではあいちトリエンナーレのことを思えばその当時よりもその方面の自由は劣っているかもしれません。また下の記事”珍憲法 働く者は喰うべからず”を見ると、天皇の食事の時期が不明なのは少し残念なものの、天皇家と一般庶民の食事格差があったのは歴然。ちなみに「天皇は箒」ですが、別に当時は問題視されなかったわけではなく、例えば「第1回国会衆議院司法委員会」でこの記事のことが取り上げられています。その後に眞相の方でもこの国会質疑に対する記事も書いてあったりします。
 事程左様に「こういう」雑誌です。そういう意味ではかなり主張に偏りがあるのは事実ですが、それはとりもなおさず天皇に戦争責任があるという主張をしてるからでもありましょう。

天皇の食事に関する記事

 天皇の食事に関する記事は複数回あって中には宮内省役人の覆面座談会などが行われて職員がざっくばらんに話している回まであります。この職員の話し方が現代では考えられないくらいにざっくばらんだったりして面白くもあるのですが、それは置いといて。
 まずはずばり第4号”皇族は何を喰っているか

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この記事は宮城にデモ隊が流れ込んだ記事であり、前回のブログ記事でも書いた部分です。内容を読むとこれが『原色の戦後史』の一部描写の底本になっていることがわかります。記事内容自体は各種やり取りがルポルタージュ的に書かれており、宮内省の皇族、高等官用の調理場で以下のようなやり取りがなされています。

「アッ、オハチの中にこんなに御飯がまだ残っているのに水が入れてあらァ」
 子供が先ず第一にそれを見つけた。食べ終わったオハチを洗ふべく水をいれてあるのであろが、なんと勿体ない処分よ。
「おかあちゃん。オカユが食べたいよ」
「どおれ、あっ、ほんとうだね……」
赤ん坊を背負ったおかみさんは覗き込んで驚いた。
「オカユ? おほげさだ」と一べつし、うそぶいたお役人はいった。だがお役人よ。人民の家庭では、こんなお粥すら喰うことが出来ないことをよく認識してもらひたい。
(中略)
「チョイとお役人さん。これが残飯ならせめて子供にだけでもた食べさせていただけませんでせうか、朝からまだ野草の汁以外なんにも食べていないんです。」
「お役人さん。私はロクに食べないためか、子供にふくませるお乳も出ないんです。どうかこの残飯を食べさせて下さいませ。この通り乳は出ないんですから」
(中略。冷蔵庫を開けてその食材に驚く)
「配給ですかね」
「もちろん闇ですよ」
天皇陛下が闇をなさるはづありません」
宮内省ならできるだろう」
「どういうルートで入ってくるのだろう?」

文面を読むと手を加えている感じがしなくもないですが、こういったやり取りに近いものが行われていたのはおそらくあったのでしょう。残飯については前回記事に書いたように水を切るために置いておいたものという反論もあり、本当に残飯であったのかは定かではありません。残飯と水を切るために置いてあったコメを母親たちが間違えるのか、という疑問がありますが。それと闇については後述します。なお、記事中では皇族用の献立表が書かれていますが、そちらは前回引用した新聞記事とほぼほぼ同じでしたので、そちらを参照してください。ただ前回の新聞記事などでは書かれていないやり取りとしてデモの先導者である岩田氏が以下のような発言をしています。

天皇はね」と岩田さんは語りだした。
「毎月三里塚の牧場から、バター45貫目、ブタ二頭、タマゴ1200個、ニワトリ40羽、その上に牛乳は頭の痛くなるほどきているのですよ」

この発言内容はアジテーションの気が強く、実際にどうであったかの検証は必要だとは思いますが、それでも野草の汁を飲んでいた母親たちとは全く異なる食生活をしていたのは事実でしょう。

 次の記事は第20号"夫婦漫才"。

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天皇家の食事のための家畜などを紹介していく記事で、昭和天皇と皇后が漫才形式のキャプションがつくというもので、昭和天皇の返しは大抵「アア、そう」というもの。俗悪的な表現といえますが、天皇家の食料供給状況が恵まれたものである事はわかります。なお記事の締めは「【結論】やっぱり朕はタラフク食っている」。

 最後に紹介する記事は第20号の”天皇一家の配給生活探訪記 ヒロヒト氏の市民生活・その二”これは雑誌で切り取られていた部分です。

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この記事ではある日の天皇の食事が出ています。それによると、

【昭和23年6月1日の天皇の食事】
朝:オートミール、焼きパン、玉子料理、果物、牛乳、お茶
昼:ソーセージ油揚、キャベツ、スパーゲット皿焼、ぱん、果物、牛乳、お茶
夜:お汁(赤差し豆腐)、半搗米御飯、干し鯖、粉吹き芋、浸しほうれん草、お漬物(大根)、果物、お茶

というものです。一般市民に比べれば豪華なものの新円成金に比べればご馳走ではないというレベルらしい。そして天皇家の食費について書かれていますが、それによると宮内省御用達の野菜卸一店舗に月平均2万4900円ほど。これでも戦前よりは質素になったもののの重さにすると1日平均約20貫目(75キロ)になると推定しており、かなりの量。ただあくまでも推定であるし、宮内省と御用商人とのやり取りにおいては以下のような指摘があります。

昔から宮内省の御用商人が、商品を時価やそれ以下の値段でおさめた例は一つもなく、かならず時の相場の二倍前後で納品するのが習慣。しかりしこうしてこのベラボーなマージンから生まれる特別利潤は係の宮内官吏と商人のあいだで山分けする

という商人にとってもうま味があり、食費が高くなる理由が書かれています。とはいえ、そのあと直ぐに別の商人は原価同様、時には原価を割る事さえあるということを言っており、どちらが正しいのか、もしくはどちらも正しいのかは不明。またこれらとは異なる気質の商人として天皇主義者の魚屋なども紹介されており、取引先によってはかなり付き合いは異なっていた模様です。そしてヤミ買いについては以下のように記述。

やっぱりヤミ買いする現人神
去年の秋天皇が山梨に旅行した時食べた牛肉は(中略)精肉にして七十貫タップリ、買い上げ値段は4万4千円(もちろん闇値)行幸先でこんな上等な肉を食っているせいかどうか、地方巡幸から帰るといつも三百匁ほど体重が増えるそうだ。

なおこのヤミ買いは地方巡幸の時で在京中は庶民的な牛肉で我慢しているということが書かれているのでヤミ市ではなさそうな書きぶりです。ただこれは天皇主義者の御用商がおり、購入先があるという要因もあるのでしょう。ただし、その時分の肉の公定価格百匁30円に対して150円で買っていると書かれていることからヤミで買っているようなものではあり、役人もそう思ったのか以下の記述。

ヤミ買いが世間に知れたら大変だと帳面ずらをあわせるべくマル公30円で買ったことにして二貫百匁買いました。ヤミは絶対にやっておりません、と記帳してあるそうだ(米久番頭さんの談)

まぁ、天皇もヤミ買いはしてたということ。そして農林省食糧管理局によると天皇一家は、

主食:米約八割、小麦粉約二割
   昭和21年度:145石
   昭和22年度:160石
   昭和23年度:160石
味噌:昭和23年度:185貫
砂糖:昭和22年度:1200斤

以上の配給?を受けているらしい*2。そして皇室経済会議で食品費として年150万円、1日当たり4170円。この値段はヤミ料理屋に出入りする資本家ならザラにあり得る値段とのこと。ただし天皇には献上品や公定価格の買い入れもあるのでヤミ料理屋と比べても意味はそこまでないでしょう。天皇はたらふく食っているといわれるだけの裏付けはあったということです。
 そしてこの記事に最後にはこんなことが書かれています。

寄生虫寄生虫
 天皇一家がいくら胃拡張にかかっているといっても、毎日二十貫の野菜や十日に羊豚各一頭づつも食えるはずがなく(中略)、つまり何処かで誰かが、ヒロヒト一家の胃の腑に代わって莫大な食物をパクついているのではないかという疑いが出てくるが、クサイのは宮内府の職員食堂菊葉会。ここを牛耳る元大膳課長佐野恵作(中略)近頃の食糧難もどこ吹く風との豪勢さ、金廻りも相当なもの(中略)。佐野大明神は大の日蓮信者で、池上本門寺に最近大枚5万円を寄付した。

これだけで事実はわからないものの、天皇家への豪勢な食事環境を利用して甘い汁を吸っていた人間はいたんだろうなと。

 長々と書きましたが『天皇の料理番』に端を発した終戦後の天皇の食事に関しては当時の(偏っているとはいえ)目線から見ると豪華な部類であったことは確かでしょう。それにしても昨今では「菊タブー」みたいな言葉もありますが、眞相からは微塵もそんな概念はなく、天皇に関しては戦後まもなくが一番表現の自由があったのだなと。

戦後ゼロ年 東京ブラックホール

戦後ゼロ年 東京ブラックホール

  • 作者:貴志 謙介
  • 発売日: 2018/06/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:ちなみに巻頭。すべての記事がこういったグラフィカルなわけではなく、基本はちゃんとした文章です。

*2:記事の書き方としてこれは「配給」に当たるのかがよく分かりません。