電脳塵芥

四方山雑記

『それでもボクはやってない』のモデルが再犯していたというデマについて

【追加(22日0時)】
記事のタイトルを「話について」から「デマについて」に修正しました
【追記(22日10時】
長崎満及び映画パンフレットなどの情報から取材などの時系列を一部修正、加筆しました。


 冤罪事件を扱った映画『それでもボクはやってない』(ワードとしては『それでも僕はやってない』と漢字表記が多いが、「ボク」が正しい模様なのでそれに準じる)のモデルが後に再犯していた、という投稿がここ1,2年ほどよく見るようになって消える気配があまりなく、その様な事実は少なくとも現時点では存在しないのでここに記しておく。まずこの件に関しては2024年に「しお@sodium」によって拡散され、当時にデマである事がまとめられている。『それでもボクはやってない』という映画は実際の複数の事件をモデルとしている。その一つである2000年12月の西武新宿線高田馬場駅における矢田部孝司が容疑者となった事件で一審は有罪だが、二審で無罪となる。矢田部は後に娘と『お父さんはやってない』という書籍を出し、また「冤罪犠牲者の会」という会にも入っているが、当然ながら再犯の報道は一切ない。そして二つ目のモデルが2000年5月の京浜急行電車内で女子高生のスカートの中に手を入れたとして逮捕された小泉知樹となる。小泉は冤罪を訴えるも懲役1年6月の刑を受け服役、2004年に出所し、その後に『彼女は嘘をついている』という本で冤罪を訴えている。そして小泉は2015年に再審請求をするのだが、この再審請求がどうなったかの続報もないし、当然再犯の報道もない。また映画公開時に紹介された記事では2003年の西武鉄道新宿線における事件も扱われており、それもモデルの人であろう。こちらは2004年に無罪判決となっており、前二者の様に活動などをしておらず無罪判決のために名前を伏せられた形だが、該当人物による再犯報道と思われるものはない。当然、痴漢犯罪がすべて報道されるわけではないが、とはいえ現状のところ「報道ベース」で「モデルが再犯した」という情報は存在しない。
 そしてこのモデル再犯説の初出だが、これ自体はいつ生まれたのかは不明だ。ただ少なくとも2019年の5chの書き込みで類似の言説の存在を確認出来る。


出典:【朗報】JKに1カ月痴漢をした痴漢犯(30代デブ)、逝く 足かけおじさん大勝利へ!!!

ただ上記は「再犯」とまでは言っていないことから今の「モデル再犯説」とはやや異なる。また小泉が懲役刑を受けたことそのものは事実なのでそれを受けての書き込みの可能性は存在する。そして明確な「モデル再犯説」がでているのが、2020年の以下の書き込みだ。


出典:正義マンの嫁が悲痛ツイート「世の中いいことをしても報われない。涙が止まらない」

この再犯説が何をソースとしているのかは全く不明だが、2020年時点のTwitter上では類似言説を検索してもヒットせず、今現在は消えただけの可能性もあるがまだ言説そのものは流布していないことがわかる。2021年には再犯説ではないが5chで「痴漢冤罪映画「それでも僕はやってない」、主人公のモデルが実際に痴漢して懲役食らっていた※リンクはまとめサイト」というスレッドが建っており、しかしソースは2015年の小泉による再審請求の記事であり「実際に痴漢した」という記事ではない。ただこういったスレッドなどから「それでもボクはやってない」の「モデルが実際には痴漢をしていた」という言説の流布が強まっている事がわかる。そしてこの認識が5chを飛び出て広がったと思えるのが2023年1月の次のTwitter上での投稿となる。

ソースを求めるリプライに対しても無反応なのものあって「お肉ちゃん@NIKU_no_aburami」が何をソースとしてこの発言をしているかは不明となる。事件内容そのものは小泉の事件と同一だが小泉は無罪判決は受けておらず、繰り返すが矢田部もそのような再犯報道はない。ただ書きぶりからして2015年の再審請求を受けての発言なように思える。この投稿がなされた2023年1月以降に類似の投稿が複数見られ*1、また2023年9月には5chに「【悲報】痴漢冤罪映画「それでも僕はやってない」→後にモデルの男性が痴漢で服役」というスレッドまで立っている。しかしこのスレッドの1は次の様に2015年における再審請求をソースとしており、これは「再犯」ではない。

それがそのまま流布して今年4月の「しお@sodium」へと繋がっていくのだろう。つまり、この「モデル再犯説」の形成過程として考えられるのは、2015年における小泉の再審請求報道をその数年後に質の悪い情報源から見聞きする事によって、「再審請求」ではなく「再犯」報道だと誤認した/させた人間によって生まれたデマだと考えられる。
 ただしまたこれとは別にもう一つの「モデル再犯説」が存在し、「無罪(冤罪)後に再犯」はこちらからの由来も強いと思われる。


https://x.com/yuijack/status/1847417559064465425

この「🍎@yuijack」の言説は今までとは別の「モデル再犯説」を述べている。それが2024年8月に「月島さくら✿@sakuratsukisima」によって示された長崎満の事件だ。この月島の投稿以前にも2019年に人物名は出さずとも同内容と言える投稿が一つ確認できるが、当時は全く拡散されておらず、「拡散」という意味では月島の投稿がきっかけの可能性は高い。

この長崎満だが1997年に痴漢で逮捕され冤罪を主張、しかし2000年の判決で有罪となるものの、その後に無罪を勝ち取ったようで(追記:2002年に最高裁への上告が棄却され一審、二審における5万円の罰金の判決が確定(読売朝刊 2003.7.16))岩波新書の『裁判官はなぜ誤るのか』においても扱われた「冤罪」事件の当事者だ。そして彼は「痴漢えん罪被害者救済ネットワーク」の代表者となっており文字通り痴漢冤罪に関する団体だったが、2003年7月その運動の帰り中に盗撮をし、そして記事がネット上にないので5chの過去の書き込みに頼るが、それを見る限り2004年2月に東京地裁によって懲役6月執行猶予4年の有罪判決を受けた(読売朝刊 2004.2.4)、というものだ。長崎がその後控訴したのか不明だが続報がない事を見るとしなかったのだろう。ただ、この長崎満が『それでもボクはやってない』の「モデルの一人」とまで言えるかというと甚だ微妙だ。例えば周防正行は2021年のインタビューでは次の様に応えている。

何人ぐらいの法曹を取材されたのでしょうか。
分からないですね。最初は痴漢冤罪事件の取材から始まって、「痴漢えん罪被害者救済ネットワーク」に関わっていた法学者や全国痴漢冤罪弁護団会議に出席して話を聞きました。
不快な思いで映画館を出てもらう必要があった 周防正行監督インタビュー 完全版Vol.1  

周防が行ったのは「痴漢えん罪被害者救済ネットワーク」に関わっていた法学者への取材だ。ただそこには長崎満事件に関しての取材も含んではいただろうし、その中に本人への取材があった可能性そのものは否定できない。ただそれをもってして「モデル」とするのは性急だろう。時系列的に言うならば『それでもボクはやってない』(2007年公開)の製作きっかけは「東京高裁での痴漢事件の逆転無罪判決の記事」と書かれており、また映画パンフレットにおいては直接的に矢田部の事件であると記述されている。そしてその日付は2002年12月、取材を開始したのが2002年末ごろとして3年の取材期間中に長崎の事件が発生が有罪判決に至るまで含まれており*2、この最中に「痴漢えん罪被害者救済ネットワーク」は取材したであろうことは間違いない。故にそれらを考えれば長崎満の事件が何らかの形で作品にフィードバックされてはいるで可能性はあろうが、それがイコール「長崎満が『それでもボクはやってない』のモデルの一人」といって良いかは、取材の最中で有罪判決を受けているだけに微妙といえる。実際のところ周防正行が長崎満事件に関してどの様な考えを持って作品に反映させたのか、させていないのかは不明だ。
 以上のことから事実としていえることは「映画の明確なモデルとされている人物に「再犯」の事実はない」、と「取材対象となった団体の人間が盗撮をして有罪判決を受けた。そしてそれは冤罪ではないであろう」という事になるだろう。「モデル再犯説」そのものは長崎満という「取材対象者(団体)」の「冤罪主張→再犯」という事実と、小泉の再審請求情報が幾度かネット上に出ることによって長崎満の情報と合わさって再浮上して拡散した「説」だと考えられる。

投げ銭用ページ
note.com

*1:例えばhttps://x.com/mtmoymr/status/1658748733117575171https://x.com/0k0m3_/status/1668900096455630848など

*2:周防正行それでもボクはやってない 日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』においては3年半、200回を超える膨張とあり、これが「3年間」の取材なのだと思われる。