電脳塵芥

四方山雑記

和多志、弥栄、氣、神運字……、スピリチュアル言霊(漢字)運動について

【(4月8日)記事を分かりやすく整頓しました。以前のバージョンはこちらから。】


・「私」という漢字はかつては「和多志」であったのにGHQによって「私」になった
・「乾杯」という言葉はかつては「弥栄」で、GHQは「弥栄」の言霊をおそれて「完敗」を想起させる「乾杯」になった
・「気」は本来は「氣」であり、エネルギーが広がる「米」だったのに「〆る」にGHQによって替えられた
・「漢字」は「神運字」だった

などなど、これらは一部で流布しているスピリチュアルな言霊信仰ともいえる漢字や単語に対する認識の一例で、GHQという外敵によって本来あったであろう日本や日本人が歪められたという疑似的な「かつての日本」の復古運動の流れともいえるでしょう。で、この運動というか、ネット上で使用する人が近年見る頻度が高くなったと思われ、それ自体はSNSなどによる可視性、拡散性と似非知識によるバズ狙い、また反ワクチンなどの別の陰謀論やスピリチュアルなどとも接続してその拡散に寄与していると考えられます。ただこれらの(デマ)運動自体は漢字や単語についての話なので簡単に否定はできるもので、例えば最近ツイッターでバズった以下の弥栄ツイート。


https://twitter.com/Daisuke_F369/status/1629413655740833794

この「弥栄ツイート」はバズフィード「「乾杯は戦後につくられた言葉」SNSで拡散の情報は誤り。「戦前までは“弥栄“と言っていた」との説も… 実際は?」だったり、日本ファクトチェックセンター「「"乾杯"は戦後に作られた言葉。意味は完全に負けること」は誤り。戦前から使用例あり。」などでデマであると指摘されています。また「和多志」に関しては変な運動があるという文脈でのまとめであるtogetter「「私」は「和多志」だったのにGHQの強制で「私」になったから元に戻そう、という活動がある→調べてみて震え上がる人々」などで、その内容がデマ、偽史であることは紹介されています。なのでこの記事ではこれらがデマであることは大前提としてデマであることの説明自体は省きますが、もう一つの前提として旧字体新字体になったことによる発想(例えば「氣」から「気」)があるので、当用漢字(後の常用漢字)やその際に煩雑な旧字体新字体にとなった事だけは認識しておいてください。なおこの当用漢字によって漢字のいくつかが略字(新字体)となり、それが行われたのは戦後ですし、時期的にGHQの関わりがないとは言えませんが、この略字化については戦前からある流れで煩雑な漢字を覚えるコストを下げるための施策でもあるのでただただGHQを悪魔化するのはおかしい。
 ではこれらをデマという前提であるならばこの記事は何を探っていくかと言えば、これらがどのように、そして「誰」が広めたかについての話、淵源は何か、という事です。この点に限って言えば上記に紹介した記事はそこにはほぼ迫っておらず、正直片手落ち感が拭えません。この記事ではそこに迫っていきます。

 ということで本題……、に行く前になのですが上記に紹介した「弥栄」ツイートをしたダイスケ氏の流れはこれらの運動を考える際にとても分かりやすい流れが形成されているので、もう少しだけ引っ張ります。ダイスケ氏の「弥栄」使用は上記のツイートが初めてだったのですが*1、次のようにバズり後は一気に使用頻度が高くなります。


https://twitter.com/search?q=from%3ADaisuke_F369%20%E5%BC%A5%E6%A0%84&src=typed_query&f=top

これらはデマではないかというツイート後の事であり、またデマ指摘に対してとも思える以下の様なツイートをしています。


https://twitter.com/Daisuke_F369/status/1632123003894112256

つまりこのアカウントはデマである事を厭わずに使用し、この単語使用を流布していると言って差し支えないでしょう。この行動は「弥栄」が一部の人間にウケたことをデマである事よりも優先し、自身の影響力拡大の為に使用していると考えられます。そもそもこのアカウントは塩5㎏を約1万円で販売していたりするネット上の健康食品販売業者と思われ、「弥栄」を信じる相手に商売をした方が断然良いと判断したのでしょう。「弥栄」一つで商売に結び付くかどうかまではわかりませんが、言葉というフックで人を呼び、囲っていくという手法は今から見ていく流れと似ていると言えます。

「和多志」を発案した中里博泰

 まず「和多志」ですが、もともとの「和多志」という漢字表現は伊予国風土記に記されている「和多志大神」で使用された表現です。この和多志大神大山祇神社の祭神であり、別名として大山積大神などがある神です*2。この「和多志」という漢字表現自体はおそらくここがネタ元であるとは考えられますが、しかし当然ながら「和多志大神=私」と解釈するのはあまりにも苦しいと言わざるを得ません。
 では「和多志大神」としての「和多志」ではなく「和多志=私」と初めに使ったのはいつかというと、遡れた限りではインターネットアーカイブで2004年8月に保存されたcrystal heart projectによる以下の文面です。

「わたし」はね「和多志」と書くのですが判りますか?
「みんな」のことは「わたしたち」「私絶ち」をしなくては「和多志」にはなれません。
インターネットアーカイブのリンクはこちら
注)アクセスするとMIDIがダウンロードされます

このcrystal heart projectから2003年5月10日にナカノサトによる『ねえクリスタルハート ボクはダレ「ワタシとはナニ」』という書籍を出版していたりと個人HP以上の活動なのが伺えます。書籍の中身に関しては上記の「和多志」についての文章を見ても察せられるようにスピリチュアル系統のものであり、実物に関しても30ページほどの小さい絵本で和多志は使用されているものの正直書籍だけでは「和多志」が何なのかはわかりません。

ではこのcrystal heart projectは結局何なのかでありますが、これは「ワールド・ピース・ヒロシマ」という団体のプロジェクトです。この団体は9.11を機として2001年10月18日に当時20~30代によって結成された平和を志向する団体ですが、傾向としてはスピリチュアル志向が強いといえるでしょう。そして和多志については以下の様な説明がなされています。

自ら (和多志) が分かれたものが 自分 (私達) であり、 和多志 (平和への意志) を完成させるためには、私達の “私絶ち” が必要である、と説かれる 中里 博泰 先生。
http://www.ousamaosamu.com/wphiroshima/tukurikata.htm

HP上にある「和多志」に対する説明は以上の様なものですが、「絶対平和論:“起源意識”の邦くにづくり Making of Uni-Earth」ではさらに詳しく説明がなされています。

「起源意識」は本来、「名」と「物」以前であるため「名前」にすら出来ませんが、それでは話になりませんので、「起源意識」という名前を命名しました。しかし元来「起源意識」の名前として最も相応しいのは、「わたし」です。「私(わたくし)」ではなくて、「和多志」が相応しく、多くの志が和したものです。(集合的融合有意識)然るに「和多志(わたし)」が無ければ何も存在しない事に成ります。宇宙を創造する志(意図)である多くのエネルギー体(自分)が、和(融合)したという意味です

以上の説明は後述する片岡徹也と同様の解釈となり、片岡はこちらから情報を入手して発表した可能性が高いです。上記の文章を見ればわかる様に御多分に漏れずスピリチュアル系であり、この概念を作ったと思われる中里博泰(国際地球環境大学教授*3)は後に「◆ 「日本新生・宇宙維新」◆ -救世主は現れるのか-」という講演を開くなどをしており、スピリチュアル系にしてもかなり濃い部類でしょう。中里は2015年に亡くなっていることが確認できますが、紹介されている記事の文面を読む限りは生前の最後までその道の人であったことはうかがえます。そして2006年12月にこのワールド・ピース・ヒロシマのHPに後述する蔵本天外との写真が存在*4しており、つまり今に続く和多志の発案者は中里博泰と言えます。ただこの時点ではGHQについての記述や「かつて私は和多志」であったという類の記述もないことからこの部分は片岡の創作でしょう。
 なお余談的にですが、2006年大みそかに書かれたという以下の文章を読むと、代表の前島修の「和多志」についての文章を読むとあまりにも極まったスピリチュアル過ぎてこれでは広まらないなと感じさせます。

私達は“起源意識=和多志”なのです。起源意識として大いなる宇宙と常に一体です。“宇宙とは意識そのもの”といっても過言ではありません。約137億年前の大爆発ビッグバンによって自ら(=和多志)が分かれた存在としての自分は、和多志の分身としての私(わたくし)=自分=宇宙なのです。私とあなたの差が無くなる“差取り=悟り”による <融合=和わ多た志しの完成> が人類の目指す平和であり、世界平和とは地球全体が悟る=融合することです。起源意識は宇宙を創造する前の“宇宙の源泉”ですから、「起源意識Ωオメガ」が「自己αアルファ=宇宙=意識」を、それこそシャボン玉のように次々と生み出し、それぞれが再び「起源意識Ωオメガ」に戻るサイクルが「意識の無限活動∞」(無量寿)として表現されるのです。生死、輪廻転生の仕組みです。
宇宙のハーモニー 平和の鐘の音ねに込めた祈り

「和多志」が流布されるきっかけ蔵本天外

 上記に追記で記したように「和多志」の発案者は中里博泰ですが、しかし中里らによるこの単語の流布は発生していないと考えられます。例えば本の出版年は2003年5月であるにもかかわらず2008年以前では「和多志=私」という認識は管見の限り後述する例外を除きほぼ見受けられません。これは個人HPや掲示板などの消失とも関連しているでしょうが、ただ2006年からあるツイッターで「私」としての「和多志」が確認できるのは2010年からであり、ブログなどでも2009年ごろから確認できます。では、誰がこの「和多志=私」を広めたか。それが蔵本天外(本名:蔵本徹也)です。

2006年11月02日
「私から 和多志へ」
人間は永い間自我の基本でもある我己=私という考え方にしばられて来ました。その結果、孤独、病気、争い、自殺等、生命に必要ではない現象を繰り返し作り出して来たのです。次の時代を担う子供達には、このような事のない素晴らしい我己を拝した貢献する意識体である和多志の確立をし、共に仲良く幸福な地球を作りましょう。
 
さぁ、意味を認識して、発話しましょう。  
「私から 和多志へ」
フィジカルサイコロジー総合共育サイト

上記ブログは2006年11月に投稿されたものであり、crystal heart projectやワールド・ピース・ヒロシマ後に確認できる次に古いものだと考えられます。ここでは「和多志」の意味、語源の様なものが語られていないのでその思考、論理はよくわかりませんが、このブログ主である「和多志=蔵本天外*5」が投稿から少し時期を置いた2008年ごろに「和多志」を広めていきます。ただこの2006年時点だと基本の一人称は「わたし」です。この蔵本天外はメンタルトレーナー、物理性心理学研究者、米国公益法人バイオメディカルアカデミー学長etcなどの数々の経歴を持った人物であり各地で講演などをしてきた人物です。2005年には恒文社より『意識が変われば世界が変わる』という彼の講演をまとめた自己啓発系と言える書籍を出版していますが、ただこの時点の書籍上では「私」は「私」と表現されており、「和多志」は使用されていません*6。それが変わるのが上記のブログ投稿の2006年であり、そして明確にその使用と流布の意志を感じさせるのが2008年10月にシンビインターナショナルから出版された書籍『自分に正直に生きる : 銀河系と生命』です。この書籍では何の説明もなしに「和多志」が使用されており*7、そして続く2009年9月に同じくシンビインターナショナルから出版された『新書・人類革命』、『真書・自己革命』、『進書・生命革命』の3冊でも同様に何の説明もなしに「和多志」が使用されています。そして2009年では書籍以外の場所、つまりネット上で「私」の意味での「和多志」の使用が一気に増えます。一例をあげれば、


【2009年から「和多志」を使用したブログとその開設時期】
2009年2月開設
LECOM STYLE Sand Glass サロン砂時計

2009年3月開設
Up-space
ようこそ!コンヴィンサークリニックへ
かすみの大丈夫!
追伸~ 藏本天外からのメッセージ
あさり日和

2009年4月開設
ナースともちゃんが行く!

2009年5月開設
調和と恵みがあらんことを。

2009年10月開設
プリュウと共に...

2009年12月開設
創意新報
※大抵のブログは1年程度で更新が途絶える


以上の様になります。これらの特徴としてはJUGEMブログの利用、蔵本天外を先生などと敬う、そして天外の書籍をリンクに貼っていることです。これらの共通点や3月などの集中を鑑みると仕掛けている面はあるでしょう。ブログを書いている人物を見ているとシンビインターナショナル(2005年に蔵本天外が立ち上げ)の関係者と思われる人物もいることから、実際に講演を受けた一般人よりも内部の人間による「布教」と考えてもそうは外れではないでしょう。また天外自身がブログをリニューアルしたのか、「藏本天外からのメッセージ」を2010年12月8日から開始しています。こちらのブログでは以前の「フィジカルサイコロジー総合共育サイト」では「わたし」だった一人称が「和多志」となっていることが確認できます。以上の様に「和多志」という表記の増加、そして定着が見られるのですが、書籍を読んだ肌感覚として新書・真書・進書の革命シリーズはかなり宗教性を帯びている様に見えます。ブログを確認してもそれは伺え、例えば2009年12月に開設された創意新報では以下の様にとても宗教的に見えます。

今年は「命導の年」と銘打たれ、1年間、藏本天外先生より
ライフリーディング、催眠を通して、
潜在意識的な考え方を学び、実践し、多くの気付きがありましたね。
(略)
2010年は、「真我合一」の年。
そして、この共育が世界に広がっていく幕開けの年。
ワクワクしますね~!
そんな事を考えると、現状の大変さや、ストレスなんて、
気にならないですね!
 
和多志達、創意塾生は、天外先生と共に生きる誇りを胸に、
生命や潜在意識の役に立つ考えを持って、人類革命の実現に向かって、来年も更なる飛躍の年にして参りましょう!
創意塾 2009.12.31*8

これらを見ると「和多志」というのはスピリチュアル的な要素と共に宗教的な閉鎖的コミュニティ内で自分たちの共通性や信仰の強化、意識向上するための符号の様な機能も持っていたのかもしれません。
 そして2010年2月1日にツイッターでも「和多志」用法が確認でき、それ以降から少数アカウントが使用を繰り返していることせいでもありますが、使用の増加が確認できます*9。2009年からの活動が2010年にはツイッターにも広がっているという事であり、徐々に膾炙して言っていることが伺えます。ただこれらの「和多志」使用アカウントの多くはやはり天外信者と思われ*10、この時点では信者内の内輪の言葉に過ぎなかった可能性は高いです。ちなみにこの2010年2月28日にスピリチュアル系フランス人ジョナサンというアカウントから以下の様にGHQによって「私」は「和多志」になったというデマが初めて確認できます。


https://twitter.com/02222STUDIO/status/9758023497

このGHQデマをスピリチュアル系フランス人ジョナサンこと釘丸欣也*11が流布していますが、釘丸はツイッターを確認できる限り「天外先生」という様な表現をしているように蔵本天外の影響を受けた人物と言えます。では蔵本天外がGHQと和多志を繋げた人物かというと他の天外信者による発信がないことから釘本の創作の可能性の方が高いです*12。ただし。上記ブログの創意塾が中心となって出来た九志美会という団体はHPアメリカ遠征という前提はあるものの「大和の志を世界へ」という文言があるように、彼らの中に大和ナショナリズムがあることはうかがえます。
 さて、このように蔵本天外により「和多志」の使用法が増えたことは確認できましたが、2011年8月に東邦出版から刊行された天外の著書『奇跡はポケットの中に入っている : 自分を好きになると奇跡が起こる』、2012年12月に実業之日本社で刊行された『2万人をカウンセリングした成功のメンタリズム : ゴール達成力があなたを変える』では「和多志」表記は使用していません。出版社を自社といえるシンビインターナショナルから変えたためか、一般向けだからかまではわかりませんが蔵本天外自体が「和多志」表記をやめています。ただ蔵本天外は2012年2月に一般社団法人 日本メンタリスト協会現在サイト閉鎖)を立ち上げて会長になったり*13、自分を主役にした映画『メンタリスト響翔*14』、『メンタリスト響翔 II 〜心からの生還〜』を作成したりと「メンタリスト蔵本天外」としてより一般的と思われる若干の路線変更が見受けられます。メンタリスト協会会長としての一人称も「私」。では、なぜこの路線変更が起きたのかそれ自体は正直不明ですが、蔵本天外のレギュラーとしてのメディア出演は2010年から2012年までFM愛知FM岩手、FM佐久平オキラジ(沖縄)と2010年代初頭に多く見られます*15。全く「和多志」が消えたかというと、例外として日本メンタリスト協会の基本概念の提供探究研究機関として設立された知的生命可能性科学研究所では「和多志」が使用されていて統一はされていないものの、とはいえ「和多志」は影を潜めたとは言えます。この流れの推測としては、宗教的に深く濃く囲い込むよりもより広く自身をプロデュースしていく方向性を取るために、違和感を持たれそうな「和多志」表記などは控えたのかもしれません。ただこの路線はそこまで当たっている様には見えず、youtubeでは蔵本天外チャンネルなどの彼が出る動画はあまり振るわず、2015年にはTENGUYとして「Respect 〜すべての祝福されたSoulたち〜」という歌まで出していたりとしていますが、傍から見ても10年代初頭の勢いは感じられません。

■蔵本天外のその後やその影響
 以上見てきたように「和多志」は蔵本天外によって宗教性を帯びた形で流布されたものと見なして良いでしょう。ただし天外本人はその後に「わたし」表記などに戻しており、最後までこれに付き合う気はなかった模様です。なお、蔵本天外に関しては5chの「蔵本天外 先生」で2009年時点で詐欺という書き込みや、

BIT 2日間のトレーニング〔専用テキスト・CD2枚付) 262,500円
BIC 2日間のトレーニング(月1回、専用テキスト・DVD1枚付〕11:00~19:00 420,000円
ESP 7ヶ月のトレーニング(月1回、専用アプローチテキスト付)735,000円
https://academy6.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1208076147/42

というその高額性が伺える書き込みが存在します*16。また2016年のブログ「【過去記事転載】マル秘天外の裏教えちゃいます。」では告発と受け取れる内容も存在。影響は少ないでしょうが2010年のブログ「真実の扉」では蔵本天外の相談内容をウォッチするという事をごく短期間ですがしており、なぜそんなことをしているかというと天外の記述内容が他者が書いたものの無断引用(なお「私」を「和多志」に変換している)だったからです。このブログはリンクが間違っているものの、例えば2010.09.29の記事で紹介されている蔵本天外の投稿内容は原裕輝というカウンセラーの内容のコピペです*17。新聞データベースでは特に詐欺で記事になったという様なのは見受けられませんでしたが、これらのせいか徐々に影響力は落ちていき、おそらく関係者によって書かれたと思われる参考文献一切なしのシンビインターナショナルのwikipediaでは会社は清算され*18、天外も2021年10月に他界という情報があります。ただしその側近などは今も別分野で活動しており、「脳科学、可能性を学んだ結果」というブログ記事では側近がメンタルトレーニングの会社を立ち上げたとあります。これはおそらく株式会社和多志の事でしょう。こちらの記事では天外を師匠として紹介されたことが伺えますし、今もその残滓は生き残っている様です。
 天外の話はこれでほぼ終わりですが、最後に天外は「弥栄」についても使用しています。

弥栄(いやさか)とは、「益々栄えよ」という意味です。「お疲れ様」などの単なる挨拶ではなく本当に相手の事を思いやれる素敵な言葉です。(主に一層、栄えるの意。他には感謝、ねぎらいなど多種多様な意味を持つ。日本のボーイスカウトでは「弥栄」をイエールとして使っており、「弥栄三唱(いやさかさんしょう)」という儀礼がある。)
https://web.archive.org/web/20110214161637/http://tenguy.com/intro.html

また、信者のあいさつとして、

弥榮です。
何かめちゃくちゃ、間違った事が書かれているなぁ。
この学問を数年学習しているけど、かなり役に立つ内容だけどな。
その辺の自己啓発と全然違うけど。
5chスレッド 蔵本天外 先生

という表現も確認でき、蔵本天外周辺のあいさつとして「弥栄です」という単語が存在します。ただし、この際の弥栄は上記の天外などの使用法を見れば今流布している「乾杯」などではなく「おつかれさま」的なあいさつとしての機能となり、これが今の「乾杯ではなく弥栄」にはつながらず、ネタ元は後述する様に他にあります。ただし一つ言えるのはスピリチュアル界隈の「弥栄」の親和性は高いという事でしょう。

「和多志」の意味付け片岡徹也

 この「和多志」の流れに乗って、それをさらに発展させて「奪われた漢字」という認識を付与したとも思われる人物が片岡徹也です。片岡徹也は彼が所長を務める「ヘルスルネサンス研究所」のブログがあるのですが現存するブログは2019年以前の記事はすべて削除されており、ご多分に漏れず大抵の記事が確認困難な状況になっています。ただツイッターの方は現在も稼働しており(今現在はNPO法人こうのさと代表)、初期の2010年頃を見ていくと別のブログ「不動産投資でもはじめるか☆ ~岡山で不動産投資を考えるの巻~」を運営しており、スピリチュアルとは無縁そうな内容といえます。それが2011年3月から「イクメン看護師の国際交流とドリームライフプランニング」というブログを新たに始めましたが、こちらもスピリチュアルなどの動きはほぼ見受けられません。この流れを変えたのがヘルスルネサンス研究所というのを立ち上げ、健康を扱うようになってからのブログで、そして2013年9月5日に次のようなツイートをしています。


https://twitter.com/tetetetetsuya/status/375460831867047936 toiu

そのタイトルは「『言霊(言葉に宿る魂)とそのエネルギー、『気』と『氣』の違いとGHQによって変えられた『わたし』』」。そしておそらくこの2013年9月に「言霊」と「氣」、そして「和多志」が結びつき、そして言葉の意味が与えられて流布した瞬間だと考えられます。この記事は現在、インターネットアーカイブにも残っていない記事ですがひとつだけこの記事について書かれたブログ、そして「和多志」の部分を転載したるいネットが存在します。まず和多志については

GHQの占領後から使われ始めた文字があります。それが、『私』(わたし) です。広辞苑を調べてみると分かりますが、この『私』という字は閉じ込めるというイメージがあります。この字によっても、わたし達日本人は、意図的に分離させられ個人主義を強く進められてきました。わたし、の本来の文字は『和多志』、です。多くの志を和す。全体の中の一部であり、この世界の中の1人の和多志です。個があって全体があるのではなく、全体があっての個がある。ちょっとした意識の違いだけなのですが、これが意識の根元にあるのとないのとでは、表現される世界は180度違うものになるでしょう。『和多志』これが、本来のわたしだったのです。 わたし、という音を聞くとき、文字を見た時は、ぜひ『和多志』と変換してインプットしましょう。それだけで、一人ひとりの人生が変わり、結果として表れているこの世界も変わっていきます。
るいネット「「私」は個人主義を浸透させるために戦後GHQによって与えられた⇒本来は「和多志」」 15/10/24

以上の様なもので、読めばわかる様に個人主義について疑念を抱きつつ、「和多志」にかつて中里がした意味付けを発掘しての「意味付け(言霊化)」、そしてGHQによって「奪われた漢字」という認識が含まれた記事であることが伺えます。なお片岡については中里や蔵本との関係性は不明で、彼らの教えを受けたのか、それともスピリチュアル界隈で使われ続けた「和多志」を調べて利用しようかと判断したのかまでは謎です。ただ彼のツイートで「和多志」が使われ始めたのが2013年7月22日から。


https://twitter.com/search?q=from%3Atetetetetsuya%20%E5%92%8C%E5%A4%9A%E5%BF%97%E3%80%80until%3A2013-9-30&src=typed_query&f=live

これ以前は「わたし」、「私」、「僕」などの使用であり、常日頃から「和多志」を使っていたわけではなく、また2016年を「和多志」を最後に使用していません。実際にはその時期の投稿は記事の再投稿のbot的内容なので彼が意図的に使った期間はそこまで長くも多くもないように見受けられます。2013年ごろの蔵本天外の活動を考えれば、そこから「和多志」が伝播したことをは考えづらく、おそらくネットの中の「和多志」使いに影響を受けて記事を書いた可能性の方が高いでしょう。そしてこのブログのタイトルを見ればわかる様に片岡は「氣」についてもツイートしており、ツイッター上で確認する限り、「氣」が「気」になったのはGHQのせいだというデマ説は片岡によるものです


https://twitter.com/tetetetetsuya/status/353154745403326465

ちなみに片岡がこの種の話をし出したのがこの「氣」の漢字についてのツイートからなので、片岡の思想の経緯や接近していたであろうネタ元は不明です。推測としては健康系からのスピリチュアルへの接近だとは思われますが断言まではできません。そしてこの「氣」については片岡は以下の様な論理付けをしています。

気 ⇒ 部首のきがまえの中が〆という字。〆(しめ)てしまっています。漢字はもともと象形文字であり、その形からイメージを生みます。しめてしまえば、エネルギーが縮こまり、広く発することができなくなってしまいます。
氣 ⇒ きがまえの中は『米』なのです。『米』は八方に広がる字。エネルギーを存分に発揮し、広がるイメージになります。
氣にいったところだけ、速攻で取り入れる☆

ただこの部分に関してはネタ元と言える本が存在しています。それが1990年に刊行された武術家の藤平光一による『氣の威力』です。

なぜ「気」を「氣」と書くのか
(略)「米」の形をよく見ていただければ、中心から八方に広がっている状態を表しているのがすぐおわかりだろう。つまり、天体のように八方に無限に広がって出て行くもの、これが「氣」という意味であり、氣とは出すものなのである。
 ところが、常用漢字では、なかに「メ」を使って「気」と書く。「メ」とは締めるという意味だ。これでは、氣を内側に閉じ込めてしまう意味になってしまう。古くから中国では、「氣」が一方に出れば、他方が少なくなる、と考えた。だから、できるだけ氣を自分の方に引っぱって、出口を締めておいたほうがいいということになる。したがって、「メ」という字を使った。「氣」という字を「気」と書くのは、そうした中国の考え方に影響を受けたためである。
p.25-26

ここで語られている論理は片岡が使用している論理とかなりの類似性を持っています。ただ一つ違うのは藤平が漢字の違いを中国の影響としていたところを片岡はGHQの影響としているところです。藤平の論理が果たしてどこまで広まっているかまでは不明であり、またもっとさかのぼれる可能性はありますが、とはいえやはり「和多志」とは異なり「氣」についての片岡の論理は借り物と考えてよいでしょう。
 以上見てきたように片岡が展開した論理構成が今に受け継がれていると考えて良いでしょうが、この言説の流布については片岡ではなく、また別の人物の寄与が考えられます。

奪われた漢字としての流布 「神運字」の登場と廣瀬仁

 片岡の論理をベースにしながらもスピリチュアル(言霊)としての漢字の意味付けを強めたのが意識を変えるメンター 廣瀬仁(本名:本図仁)です。現在、彼のブログ記事の多くは削除されていますが、その活動は2010年10月の「愛と調和 -意識の覚醒について-」というブログで確認できます。このブログは2012年12月まで続けられ、その傾向としてはスピリチュアルの流れを含む自己啓発系のブログといえるでしょう。ただこの時点では「和多志」も出てこず、藤本天外の名前も出てこない為に関係性はわかりません。Facebookでは2010年に人生の師とあったとありますが、これが誰かは不明です*19。そして藤本天外や片岡徹也には薄く、廣瀬仁の特徴としていえるのが陰謀論との近さです。例えば2011年8月27日の以下の記述。

特に陰謀論やマスコミの情報操作に関しては、太平洋戦後のGHQの占領政策 や、ロスチャイルドによる明治維新の金融支配体制 から話さないといけないので、まったく知らない人に話したら意味不明な言語にしか聞こえないでしょう。わたしもブログで断片的に言葉の爆弾を投げていますが、はっきり言ってブログだけでまとめられる内容ではないので、リンク先を貼るなど工夫するしかないのが現状です。
vol.169 なぜかヒートアップ?一体、なにをしてるんだ…。

であったり、2012年7月5日の記述。

また言霊も、ロシア語とドイツ語は周波数が高く、日本語も無限の可能性を秘めたエネルギーであるのに対して、英語は一番周波数が低く、覚醒出来ない言語であるとの情報まである。他にも覚醒させないために遺伝子組み換えやワクチン、獣肉や白砂糖、農薬や添加物、化学物質など様々なものが世の中には氾濫している。日本人は元々は五次元レベルの民族なので、GHQの占領政策により徹底的に民族レベルを劣化させられ、覚醒出来ないようにされた。
vol.241 覚醒させない陰謀と、覚醒する手段

典型的な陰謀論者の書き方であり、これらにはGHQに対しての敵意や日本のナショナリズム、言霊信仰などが伺えます。そして漢字については「vol.165 東洋の神秘を学び、世の成り立ちを知る」で

漢字が東洋の神秘と言われるのも、成り立ちを知ると納得出来ます。

とあり、漢字に特別な意味を見出し始めていることが理解できます。ただし、このブログ「愛と調和」では素地は見えるものの未だに今のスピリチュアル漢字にまでは行き着いていません。それが変わるのが2013年から本格的に動き出し、現在削除されているブログ「未來の地球の調和のために ~宇宙、地球、環境、動物、健康の神理~」や*20、もうひとつの彼のブログ「宇宙の真実と調和の未来へ」やフェイスブックです*21
 廣瀬については片岡より追いやすかったので前段階の説明が長くなりましが、調べていた所感としては片岡よりも陰謀論への傾倒具合が強いように見受けられることと、また文章が長く、更新もそれなりに多そうであるという事です。そして2014年3月、片岡の「和多志」の投稿に影響を受けて(おそらくフェイスブックに)「漢字」に関する記事を投稿します。彼のフェイスブックはほぼ消えていますが、その記事はいくつかのブログに転載されており、それは以下の様なものです。

日本語は50音訓すべてに意味があり、世界で一番周波数の高い言語である。一番低い周波数の言語は英語であり、だから闇の権力者が英語を世界共通言語にして人類の意識レベルを下げるように持っていっている。特に日本民族はやっかいな存在であり、どうしても日本人に目覚めてほしくないアメリカは、「保健所」「教育委員会」「大学病院」を買収し、日本人の強靭な肉体と精神力は食事、出産体系、麻の文化にあると知り、すべてを破壊しにかかる。
(略)
また、マスコミのタブーはかなりあるが、その中に日本人の心を象徴する「言霊」「音霊」「数霊」「色霊」「形霊」がある。そして、言霊の破壊をGHQはマスコミを使って成功させていく。特に戦後の漢字の変化も日本人の弱体化を狙ったものだという事実は怖いものがある。最初に「氣」について言及するが、氣の上の气という部分は天地を表している。气の中にある米は、八方に開いている姿をかたどったものであり、天地の八方に生命エネルギーを放出していく状態を表わしている。米から生命エネルギーをいただくから「氣」という意味もあるが、本来の意味はこうした意味がある。これに氣づいたアメリカは、GHQの占領政策の際に「氣→気」に変えて日本人の精神性を劣化させた。气にメというのは、天地のエネルギーを閉じ込める意味があり、人間に備わった潜在能力の封印という意味もある。漢字は東洋の神秘といわれ、的確にすべてを表している。
(略)
『体』の本来の漢字は『體』であり、漢字の簡略化による日本人の肉体の弱体化を狙った曰く付きの漢字
(略)
アメリカの作戦通りに個人主義の利己的な日本人が増えたが、私という漢字も一役買っているだろう。本来は『わたし→和多志』であり、多くの想いを調和する意味がわたしにはあるが、私というのは平たく言えば個人主義に走らせる漢字であり、個人的に好きではない。知らない人からすれば、わたし→和多志も不自然ではあるので、せめて私という漢字を使うのをやめて、わたしと平仮名にするだけでも意味が変わってくるだろう。日本人は和合の精神が本来の姿なので、ここも意識してみてほしい。
あと、最後に言及したいのがバカである。「馬鹿」とあるが、馬と鹿は頭が悪いのだろうか?霊長類を卑下する漢字に意図的に変えられているが、バカは「莫迦」が本来の漢字である。そんな漢字を使っていれば、知らず知らずに動物たちを卑下する思考にも繋がる。人間のほうが動物よりよっぽどバカだと思う。
色々なところで、意味も理解せずに漢字を使っているのだろうが、漢字には言霊というエネルギーが宿り、知らず知らずの内にそうした意味に引っ張られて生活をすることになる
2014年03月17日 漢字の力*22

以上のように片岡以上の熱量で漢字を語り、そして最終的に言霊と繋がるような締めがされており、よりスピリチュアルとナショナリズムGHQの悪魔化が強まっていることが伺えます。ちなみに廣瀬の和多志の論理はその中身から片岡の論理を借りているでしょうが、そもそもこの二人は当時から知り合いだった可能性があります。二人の接点は片岡のツイッターから2014年8月時点で二人のコラボセミナーが開催されることが予告されており、その後にもう一回していることがわかります。時期的には廣瀬が記事を書いた後に知り合ったのか、それとも以前から知り合いだったのかまではわかりませんが、すくなくとも思想的に近しいものがあったことは確かでしょう。
 そして廣瀬はこの後もいくつか和多志についての記事を書いており、2014年6月ごろ*23には「私ではなく和多志」という記事をアメブロに書いています。その記事の転載は以下の様なものですが、

そして、もう1つ、GHQの占領後から使われ始めた文字があります。それが、『私』(わたし) です。(略)わたし、の本来の文字は『和多志』です。多くの志を和す。全体の中の一部であり、この世界の中の1人の和多志です。個があって全体があるのではなく、全体があっての個がある。(略)『和多志』これが、本来のわたしだったのです。わたし、という音を聞くとき、文字を見た時は、ぜひ『和多志』と変換してインプットしましょう。
2015年9月 「私」から「和多志(わたし)」へ

さて、読んでいて違和感を覚えるかもしれませんが、この廣瀬による記事は片岡の記事のコピペ記事となっています。2014年3月に借り物とはいえ自分の言葉で書いていただけに違和感はありますが(実際、何時ごろに書かれた記事か不明の為に片岡の記事がそう遠くない時期の記事の可能性はあり)、それはともかくとして片岡を含め、これらの記事によって「和多志」が流布されていったと思われます。
 そして廣瀬は「和多志」などの流布以外にもう一つの概念を作りだします。それが「神運字(漢字)」です。おそらく2014年11月22日*24に廣瀬は『漢字の本当の文字は「神運字」である』 という記事を投稿します。現在、この記事はアーカイブにもなく確認はできませんが、2015年3月に投稿された「神秘の神運字(かんじ)、その意味と力」でその内容は類推できます。

漢字は元々、神運字(かんじ)と呼ばれるものでした。言靈と音靈などは比較的有名であり、意識している人は多くいます。しかし、普段使う文字を意識している人は非常に少ないというのが事實です。しかし、これは體や精神にも影響を与えるものであり、文字のエネルギーは自分自身の人生を左右するものです。量子力學で見れば、この世界は『原子』『中性子』『電子』の『振動』で出來ているとされます。すべてのものは振動しており、これに例外はありません。物質も靈もバイブレーションがあり、それを數や色で表すことが可能でもあります。

漢字は本来「神運字」という、○○はもともとメソッドを使用したものです。このブログ記事を長くは紹介しませんが、一見してわかる様によりスピリチュアルの度合いが高まっていることがわかります。この「神運字」についてはまだツイッターなどでそこまでの流布は見受けらえませんが、例えば言靈傳導師要蓮によるブログ記事「日本民族のアイデンティティと神運字(かんじ)について」や靈止channelによる「神祕の舊神運字」、TOKYO HAZE「日本の失われた神運字(かんじ)」では廣瀬の論の影響を見受けられます。そこまで流布していないとはいえ、「和多志」の事を考えれば「神運字」も広まる可能性がないとは言い切れません。
 なお廣瀬のブログは大抵は消えているものの2015年末から2016年のブログ終了時期まではこちらで確認でき、廣瀬の陰謀論やスピリチュアルなどへの傾倒具合が伺えます。2016年2月7日の「無意識を操られないために、文字を意識する」では、

神運字(かんじ)は東洋の神秘と言われます。“水と振動による物質化現象”を的確に表しているものであり、靈力が込められていると言っても過言ではありません。わたしが洗腦から抜けられた理由は色々トータル的に實踐しているからです。そして神運字(かんじ)もその一つです。人が洗腦される一番怖い部分は『無意識』の部分です。超低周波、國際標準音、食、水、言靈、電磁波、放射能、様々なものが無意識を支配します。普段の日常生活での無意識は90%以上です。その部分を支配層に巧みにコントロールされるように仕向けられていたらどう思いますか? だから意識して神運字(かんじ)を旧字體に戻し、本來の靈性を發揮できるようにしているのです。特に繪文字は絶対に使いません。

2016年10月の「周波數という世界の深遠と文字」では、

その中でもカタカムナ文字、神運字(かんじ)は森羅万象、宇宙、神と繋がる神聖なる文字です。古代文字を少しだけ出しましたが、これらは先ほど言ったように、すべてが惑星を始めとした星々の周波數を形として表現したものです。それらの集合体が神運字(かんじ)であり、日本民族の精神性などにも密接に影響しています。それらを故意に劣化されたせいで、我々は知らぬ知らぬの内に洗腦を色濃く受けているのです。

などなど、常人には理解不能な域に達しているといえるでしょう。さて、そんな廣瀬仁ですが、彼は音叉ヒーリングという事をやっており、ジミー宮下と組んで全国ツアーなどもしていたことが確認できます。これらの活動も彼の言説を広めることに役立っていたと考えますが、彼の活動は廣瀬仁のツイッターなどを確認する限り2016年11月で途絶えます。最後に公開した『ご報告について』は読めない為に何故活動が終了したのかはわかりませんが、おそらくその周辺時期にフェイスブック盗みや強姦の告発、そして音叉ヒーリングでは他人の名を語って活動をしていたことによる注意喚起が行われたことによるものだと考えられます。これらが原因のためか「廣瀬仁」という名前での活動はこれでとどめを刺さされたと考えられます。ただし今現在はJHINとして活動をしてる模様で、既に更新は途絶えていますが「意識の變容 ~靈的進化への道~」というブログを2021年に短期間ですが運営していたことが確認できます。内容は以前のブログよりも薄いですがスピリチュアル系といって間違いではないでしょう。現在はパートナーである魂のヒーラーEHKOと共に自己表現プロジェクトなどを共に行っている模様ですが当人は表にあまり出ないようで、活動そのものは目に見えにくくなっているとはいえるかもしれません。

 以上見てきたように「和多志」、「氣」などの今現在のスピリチュアルを伴う漢字運動は中里博泰によって原型が作られ、蔵本天外により分かりやすく簡素化して流布され、片岡徹也によって当初の意味づけの再発見と広めるための論理が形成され、廣瀬仁によってさらなるスピリチュアルな肉付けがされ、そして今に至ると考えて良いでしょう。今ではこの「和多志」当初の一人称としての域を超えており、2021年には「東京 多次元意識交流 和多志繪」というのが開かれ、


※文字はホツマ文字とのこと

上記の様な和多志繪というものがつく会も開かれています*25。また今の時代柄というか流布の影響しては都市伝説ユーチューバーの存在も無視できません。


https://www.youtube.com/watch?v=JEb7ckEVKvQ&ab_channel=%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%83%85%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA

26万回再生となり、下手したらこの動画一つで過去のブログ記事などに匹敵する影響力があったかもしれません。そして最早ここまで進むとスピリチュアルでの地位を確立したと言ってよく、もうなくなることはほぼあり得ないでしょう。こんなものまで企業のHPにあったりしますし……。


https://taiyoko-no1.com/wp/wp-content/uploads/2018/12/e440c17373feb453c5fd6b7f0f67ad42.pdf

弥栄=乾杯の流布

 さて、長々と書いてきました以上の流れとは別にあるのが「弥栄」です。まず弥栄がGHQと結びついた時期はおそらくかなり最近であり、ツイッターで確認できる限りだと2021年6月28日が初のツイートとなります。


https://twitter.com/yukinoHzerolce/status/1409307170529714176

この★YUKINO★なるアカウントはツイートで「アンドロメダ系宇宙人さん」と言っていることから他者の存在が前提にありますが、だがしかしこのアンドロメダ系宇宙人さんはかなり謎で誰かは不明です。そもそもこのアカウントは宇宙人に関するツイートが多くて、別の意味で厄介……*26


【3月17日追記】
2019年5月に「彌榮 (いやさか) という強力な言霊」というブログ記事で戦勝国連合によって「変えさせられたとか」という記述があるとの情報を頂きました。詳しい情報源は不明なものの下記の「戦争に負けてから」の発展形と言えるかもしれません。


ちなみに冒頭のダイスケ以前に少しだけバズったのが以下のツイート。


https://twitter.com/JOEMONTANA_OGSH/status/1555368646121496577

とはいえ、ダイスケ以前のツイートも少なく*27、弥栄とGHQとの結びつきが出来たのは2020年以降と考えてもそう間違いではないでしょう。では「弥栄」と「乾杯」での繋がりはというと、2021年4月に小名木善行(ねずさん)が「「やさか」と「いやさか」」という記事で以下のように記述しています。

乾杯するときなどに、よく使われる言葉が「カンパイ」。言葉はたいせつなものです。 戦後はもっぱら「カンパイ」ばかりが用いられますが、「乾杯(カンパイ)」は「完敗(カンパイ)」と同じ発声です。ですから昔の武家や帝国軍人の間では、代わりに「弥栄(やさか、いやさか)」と発声しました。

ここにGHQがくっつけばほぼ今のデマと同じものです。さらにさかのぼって2018年には「戦争で負けてから乾杯(完敗)になった」という以下のツイートも。


https://twitter.com/pinoyunyun/status/1030402618424680449

この弥生時代から使っていた言葉というのは2010年の確かなる時間の実現というブログの「弥栄(いやさか)と乾杯の違い」がネタ元と考えられます。ではこのブログのネタ元はというと……、の前に。そもそもこの弥栄、保守的な価値観と相性が良い。


https://twitter.com/search?q=%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%BC%A5%E6%A0%84%E3%80%80min_retweets%3A100&src=typed_query&f=top

ここで言われる「天皇弥栄(すめらぎいやさか)」は天皇がますます栄えますように的な意味あい、わかりやすくいってしまえば天皇万歳、という事と言えます。ただこれだと「乾杯」といよりも「万歳」の類似語になってしまうのですが、1998年刊行の『古神道入門』を書いた小林美元が「弥栄」を「乾杯」の意味で使用する運動に携わっていたことが確認できます。

第1章 宇宙生命の根源を尋ねるから一部抜粋。(引用者注:p.34)
(略) 神道ではパーティや宴会などで乾杯するとき,「弥栄」と発声します。すべてに栄えあれという意味ですが,それは太陽のようにすべての生命を平等に慈しむ心を現わしています。すなわち神の性を自覚した人間の言葉です。「清く明らか」というのが古神道の道ですが,イヤサカという明るい言葉の波動にもそれが反映されているわけです。
古神道入門 神ながらの伝統 1

この神道関係者は乾杯ではなく弥栄を使用するというのはp.172でも使用されており、

宴会やパーティなどで「乾杯」という言葉をよく使いますが、そんなときも神道では「イヤサカ」といって酒盃を揚げます。「皆さんの健康と幸せと繁栄を」という意味合いがこの一言に集約されています。

ただこの書籍内では「乾杯=完敗」という認識は吐露されていませんし、GHQなどの他者の存在は見えません。ただそれはおそらく書籍内で弁えただけと思われ、その証拠として2007年2月の佐藤一彦一日一語での「「弥栄を唱える会」(いやさか)を全国展開し、復活しましょう!」という記事では次のようなエピソードが紹介されています。

わが尊敬する神道の小林美元師匠は、「古神道」の教えの中でいつも言われた。「弥栄」(イヤサカ)と日本人は、誇りを持ち高らかに叫ぼう!中国人の真似をして「完敗」などと言わずに
(略)
私が、「それでは皆さんカンパイをお願いします」というと・・わが尊敬する小林美元先生は「佐藤君まだ警察の癖が直りませんね・・イヤサカでしょう」と度々たしなめられた。「弥栄」(イヤサカ)とは「全ての人々に栄えあれ!」と言う意味。日本の国では、昔から、祝の席では、「イヤサカ」と言ってきた。イヤサカ」と唱和すると、神々が喜んだという。いつ頃から「中国人」の真似をして「乾杯」(カンパイ)などと言う様になったのだろうか?中華思想に媚びたのだろうか?このままだと、国力も戦力も、中国に「完敗」してしまうのに。神道での会合や宴会では、祝杯の始まりや中締めでは「イヤサカ」と発声します。それは太陽のように全ての生命を平等に「慈しむ心」を現しています。
(略)
そのためにも、すべての日本人が「弥栄」(イヤサカ)の精神に帰ることを神々も望んでいます。日本から「弥栄」(イヤサカ)の言霊を消してはいけない。日本人だったら、中国の「カンパイ」や韓国の「マンセイ」などと言わずに「イヤサカ」と正々堂々と大声で叫ぼうよ。日本人が、日本人本来の美徳を重んじ「日本の誇り」を大切にして、日本の宴会やコンパから「イヤサカ」運動を展開し・・・日本人の「合言葉」は「イヤサカ」と高らかに唱えようではありませんか。

ここではGHQではなく中国を念頭に置いてあることが今の流布している話とは異なりますが、他者とその比較としてのナショナリズム高揚としても意味付けされた弥栄が見て取れます。そしてこのブログ記事の最後には「イヤサカを唱える会」や「弥栄を唱える全国協議会」の紹介をしています。これらの会が実際に活動していたのかは不明ですし、神道関係者が乾杯ではなく弥栄と本当にしているかは不明です。ただこの弥栄運動の成果なのか2013年のツイートには「KYOTOGRAPHIE 国際写真フェスティバル特別レセプション」において日本酒条例のある京都で「乾杯の際の発声は"乾杯!"ではなく"弥栄(いやさか)!」に法定したいというツイートが存在します*28
 これらから見えてくるのは一部の神道では90年代末ごろには乾杯の代わりに弥栄を使用していたであろう事、00年代ごろには乾杯の代わりに弥栄を唱える運動が行われていた可能性が指摘できます。そしてこれらの流れの中で「弥栄」という言葉にナショナリズムを見出していることです。そこに加えて、単純なダジャレとはいえ「乾杯」は「完敗」と書けること自体は可能というか普通に存在していて、例えば笑い話として残っている2004年の民主党決起集会の時に菅直人が放った「乾杯と言うと完敗だから、完勝と言おう! カンパーイ!」のようなものもあります。縁起を担ぐという意味では「完敗」は避けたいという感情はあるでしょうから、代わりとしての「弥栄」をしようという感情の動きもあると考えられます。「弥栄」に関しては、神道関係者の弥栄運動などが地道に展開されていた可能性やもともとのダジャレ(語呂)との近さによって「弥栄」の使用が膾炙し始め、そしてそれがナショナリズムの敵としての「GHQ」とくっついて冒頭のダイスケによるGHQが隠してきた言葉、そこには言霊的な意味合いを含めた珍説に繋がったと考えられます。GHQを付加したのが「誰」であるかまでは現状分かりませんが、流れは以上のようなもので、そしてこの「弥栄」についても「和多志」ほどにトンチキでもない為に、今後もはびこる可能性はそのナショナリズム性から考えても十分あり得ると考えられます。

 長々書いたけれど、日本語勉強してよ。ただ陰謀論やスピリチュアルという感情は常識が敵なので無理かも。一番悪いのは、これで儲ける人たち。



■お布施用ページ

note.com

*1:https://twitter.com/search?q=from%3ADaisuke_F369%20%E5%BC%A5%E6%A0%84%E3%80%80until%3A2023-02-25_19%3A00%3A10_JST&src=typed_query&f=live

*2:((大山祇神社公式HP

*3:住所は「和歌山県田辺市新庄町1800-7」とあり、これはただの民家の様に見える。非営利法人との説明があるが大学の名を冠した架空の組織と思われる。HPは現在削除済みだがアーカイブには存在

*4:国際地球環境大学の公開講座であり、このイベントの共催が蔵本天外の会社と言えるシンビインターナショナル。

*5:講演内容[BIT中継in福岡]などから本人と判断

*6:隅から隅まで読んだわけではないので見落とした可能性はあります。

*7:「わたし」など、表記ゆれがそれなりに存在するが基本的には「和多志」で表現される。革命シリーズはほぼ「和多志」で表現されていたように見受けられた。

*8:ちなみにこのブログ記事を書いた加賀夏子氏はのちに一般社団法人Bio Trustを立ち上げている。ツイッターでは2010年に和多志の使用が見られるが、今は「私」に落ち着いている。

*9:例として2010年12月31日までのツイッター内での「和多志」検索結果

*10:例えば和多志の使用が多く見える「 Sumiko Matayoshi」や 諏訪田茂は「天外」で検索すると天外信者であることが伺える。

*11:ツイッター内のリンクのインスタグラムによると釘丸欣也が本名で自称フランス人でしょう。

*12:2015年に状況は変わるが、それ以前の2014年12月31日までに「GHQ 和多志」で検索する限り自称フランス人のツイートしか存在しない。

*13:メンタリストDaiGoとの商標問題で少しだけニュースになったこともある模様。

*14:プロモはこちら

*15:番組はシンビインターナショナルのHPから確認

*16:詐欺的な話では2008年のこちらのスレッドでは蔵本天外の過去のHPやブログのリンクが貼ってあるものの、大抵はインターネットアーカイブでもほぼ内容が確認できない。スレッドとしてはほかに「物理性心理学 蔵本天外」や「物理性心理学 蔵本天外2」などが確認できる。

*17:原裕輝の相談内容の日時は2014年となっているが、真実の扉の記事は2010年9月なので何らかの更新などで日時変更が行われていると考えられる。

*18:これに伴ってか藏本天外事務所、TGWI Japan株式会社、日本フィジカルサイコロジー高等学院、日本メンタリスト協会、九志美会なども閉鎖。

*19:ブログでも師匠の存在を匂わせてはいるが、それが誰かは不明。

*20:このブログのURLは「http://ameblo.jp/mirai-harmony」だが、現在は魂のヒーラーEHKO(エーコ)のブログとなっている。この人物はインスタグラムで音叉ヒーリングとの関連を見いだせ、またスピリチュアルの流れもあることから廣瀬と何らかのつながりはあったと考えられる。【以下、3月23日追記】魂のヒーラー EHKOはこちらのブログ記事の写真や夫婦というキャプションを見ると廣瀬仁と結婚したパートナーだと思われる。

*21:なぜここまで発表の場を複数持っているのかは不明。当時の重点の置き方はわからず、ひとついえることはフェイスブックでは長文を書き、後にブログでの転載もあるので、主軸はフェイスブックだったと思われる。

*22:時期的には3月14日に「ウコッピーいっぺこっぺ奮闘記」に転載されており早いが、こちらは廣瀬仁がソースとはされていない。

*23:日時の判断はhttps://twitter.com/10setsuLalala/status/477906118920785920から。

*24:ツイッターによる反応での確認

*25:製作者のLuminousのインスタグラム

*26:アカウントを「宇宙人」で検索した結果

*27:2022年以前のツイート検索

*28:レセプションについてはhttps://twitter.com/DeguchiEiC/status/329627169720512513を参照。ちなみに京都市の門川市長は乾杯ではなく弥栄で音頭を取っている情報が存在する。