電脳塵芥

四方山雑記

2005年にあったジェンダーバッシングについて

政府関係や国会で使われている「行き過ぎた個人主義」について - 電脳塵芥

 っていう記事の中でジェンダーフリー教育バッシングがあったと書きましたが、ちょっとそれについてでも。

 2000年代初頭に「過激な性教育」というものが話題になり、これはメディア等でも扱う一種の社会問題的なものとして扱われたと記憶しています。後に問題を振り返る中でこのバッシングによって日本の性教育は遅れたままになったと振り返っている方も見かけましたし、後々への影響は大きかったと考えます*1
 なおジェンダーフリーバッシングというか、それに類するバッシング自体はそれ以前から存在しています。たとえば1996年民法改正要綱案の選択的夫婦別姓制度*2。これに対して「家族の一体感を壊す」ものとして反発が起こっています。選択的夫婦別姓制度に関しては現在においても同様の理由での反発者がいますが、この論法は20年以上前から同じような理屈で反発が存在しているわけです。

 閑話休題さて本題。
 2005年の国会にて「ラブ&ボディBOOK」という教材を発端として性教育ジェンダーフリー教育に対してにわかにこの話題が盛り上がり、衆議院総選挙もあってから自民党では「過激な性教育ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」というものが立ち上がっていきます。今の自民党HPにはもう存在しない*3ですが、たとえはこういう特設ページがあったくらいにその活動に熱心でした。

過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト
アーカイブ

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といった文句と共に構成されています。尚、リンク先では性教育の実例が少しだけ紹介されているのでご興味があれば。基本的には当時の民主党との比較であり、やはり選挙を意識したものです。ちなみにこのプロジェクトチームの座長が

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安倍晋三です。若い。この当時の安倍晋三座長の写真の横に「不適切事例を郵送・FAXでお寄せ下さい」とある様に当時に不適切事例の密告制度的なものを行い、で、それが報告されたのが「◆過激な性教育・ジェンダーフリー教育の調査結果◆アーカイブ」です。なお、そもそも「過激な性教育」が行われているという文句がなされているページにおいて事例を集めるというのは、調査としては甚だ誘導的であり調査段階でバイアスがかかっています。
 このページには合計3500件ほどの報告が寄せられ、ページ内にも数々の例が挙げられています。中には人によってはおかしいと思うであろう教育というか状況もあれば、「コンドームの付け方を習った」程度のものまであります。「射精についての教科書の説明に対してオナニーを学校で教えるのか」、「男女混合の組体操で男の上に女が乗ったり云々」など、正直いちゃもんと思えるレベルまで。寄せられた中には過去の性教育の嫌な思い出も交じっていたりしますし、これを教育に反映させると性教育が後退するなというのは素人の私でも分かります。あと読んでて以下のようなコメントがあったのですが、

○ 山谷議員が国会で取り上げた「ラブ&ボディBOOK」の製作者の一人です。ただ、この本を読んで信じられないことです。しかし、帰国子女の私はこれを小学校のときに体験させられて、男として本当にいやでした。小学校からこのようなことが無いようにしてください。

ラブ&ボディBOOKの製作者の一人という方が情報を寄せていますが、性教育が嫌だった人間が製作者になるかという疑問や微妙に怪しい日本語であったりして、誰かの騙りによる嘘情報なのではと疑いたくなるものまであります。密告的な制度であると共に数を多く見せるための組織票や一部ネットの悪ノリ的投稿があったと邪推してもそこまでバチはあたらないのではないかなと。たとえば2004年と少し時期はずれますが2ちゃんねるの過去ログには「【政治】"ジェンダーフリー、自虐史観"…「まるで社会党」 自民、民主の左翼的路線を批判」というものがあります。これらで活動していた人間が投稿を自作したかどうかまでは分かりませんが、投稿を促したとしてもおかしくありません。ちなみにこの2ちゃんの話題提供元は産経新聞です。

 それと上記の事例調査には以下の様な批判がなされています。

「バッシングの対象である社会的実践」としてあげる行為と、「バッシングの対象になっている人」との間に、全く関連性が無い場合が、極めて多いのである。
(中略)
つまり私たちは、批判の対象である社会的行為と、特定の個人や組織の間に、事実的関連性が存在するはずだと仮定してその批判を聞くのである。
(中略)
ジェンダージェンダーフリーという言葉の使用者として挙げられた例と「過激な性教育」の例として攻撃された人々の間には、明確な関連性はない。先述した「男女同室着替え」の例で見ても、「学校における男女同室着替えの強要」という社会的行為が批判の対象になっておりGFBはこの社会的実践を「ジェンダーフリー派」教員が行なったことであるかのように、批判の矛先を向けている。しかし、既に新聞記事や日教組の調査などで明らかになっているように、このような「男女同室着替え」は現にあるけれども、教室の都合などによるものであり、ジェンダーフリー教育とは何の関係もない。
江原由美子
※GFB=ジェンダーフリーバッシング

情報収集時点でバイアスがすでにかかっていますが、その情報の利用も稚拙と言われても仕方ありません。これらの情報を実際にどこまで政策などに使用したかまではわかりませんが、「自民党過激な性教育ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム会合」は2005年の「第12回男女共同参画基本計画に関する専門調査会議事録」で資料を出しています。これは性教育限定ではなく男女共同参画*4ですが、以下の様なまとめがなされています。

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2枚目の右側には「■全てにおいて「女性」が誇張されすぎている」とありますが、象徴できな文言かなと。それと脇道ですが、左下に「2020年までに、社会のあらゆる分野において女性の指導的地位が占める割合を30%となるように期待」とありますが、2020年現在の我々からすると見事にその期待は叶わずでしたと思わざる負えません。


 ここで例に挙げたジェンダーフリーバッシングは2005年です。それから15年経つわけで、あと私は現在の性教育事情は良く知らないのですが、現在はどうなんでしょうね。現代性教育研究ジャーナル(2018年6月15日発行)の「わが国の性教育の現状と課題」では、

田代は「過激な性教育バッシングが激化するなかで、性交やコンドーム、避妊などの科学的な知識を扱う性教育が過激な性教育とされ、現在でも文科省性教育を積極的に推進する姿勢は示していない。」と述べ、日本は東アジア諸国の中でも遅れていると指摘している。


わが国の性教育の根本的な原因は、学校教育の中に性教育が位置付けられていないことである。学習指導要領に必ず付されている歯止め規定があり、コンドームの教育は家族を作るという前提での教育であり、子どもたちの知りたいことや必要なことはベールに隠された情報となり、理解されないまま安易な性交を迎え、その結果妊娠や性感染症、暴力的な性に結びついている。

とあまり変わっていないように見受けられますが。そうなると悪い意味でいまだにあまり変わっていると言えない状況なのかな、と。

“性教育のタブー“に踏み込んだ都立中学のモデル授業 15歳までに知りたい性のこと | ハフポスト

こういう動きもありますが、とはいえ国としてはあんまり動いてない感じですしね。


【参考文献】
江原由美子ジェンダー・フリー・バッシングとその影響
若松孝司『ジェンダーフリー・バッシングに関する一考察

ジェンダーフリー・性教育バッシング―ここが知りたい50のQ&A

ジェンダーフリー・性教育バッシング―ここが知りたい50のQ&A

Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング

Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明石書店
  • 発売日: 2006/06/05
  • メディア: 単行本

*1:今回は2005年のジェンダーバッシングの一例のみですが、2003年の七生養護学校事件などは有名ですし、東京においてバックラッシュが起こっています。ここでもその筋では有名な自民党の都議が精力的に動いたりしていました。なおバックラッシュ自体は東京に限らず各地で起こっています。参考文献に挙げた江原由美子の論文である程度の概要がうかがえます。

*2:日弁連のHPhttps://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1996/1996_2.htmlに当時の声明が確認できます。

*3:http://women.jimin.jp/news/2005/104447.htmlの様に山谷えり子の活動でその残滓が残ってはいます。

*4:脇道ですが「男女平等」ではなく「男女共同参画」という事にも留意してください。「平等」と「共同参画」では意味合いが違います。