電脳塵芥

四方山雑記

共通言語としての「やさしい日本語」



 って本を読んだのでそれに合わせた「やさしい日本語」の話でも。もともと本自体には興味はあったのですが、



というツイートに対して色々と意見があって、その中に「英語でやれ」、「多言語でやれ」の様な批判的文言が見られたのを受けて今読んだ次第です。

 やさしい日本語とは発信者である弘前大学社会言語学研究室によれば、

「やさしい日本語」とは、普通の日本語よりも簡単で、外国人もわかりやすい日本語のことです。これは、地震などの災害が起こったときに有効なことばです。
弘前大学人文学部社会言語学研究室』より
※上記ホームページは2020年1月17日閉鎖予定

というものです。阪神・淡路大震災の外国人被災者への言語対応の反省から生まれた「言葉」であり、それが今や災害時にはNHKアカウントや一部自治体が使用するほどに認知度のある、主に在日外国人の為の言葉です。ただ本を読んでその災害用という言語が一つの側面に過ぎず、もっと多面的なものであることが分かります。

 勿論、災害時には日本語を全く知らない外国人も存在し、特に昨今増加する観光客に対して「やさしい日本語」の効果は薄いものでしょう。彼らの為の英語、中国語、韓国語など多言語対応は可能な限りすべきです。全言語対応が可能ならばそれに越したことはありません。ですがそれは現実的には難しいでしょう。なぜなら、

日本には195カ国・地域からの外国人が在留しており、もし100の言語を母語としている人たちがいるとして、全員が分かる言語に平等に翻訳しようとしたら、たいへんな時間と労力が必要となります。
西村美保やさしい日本語とは?

とある様に日本には様々な国から外国人が在留しており、言語も同様です。英語、中国語、韓国語などの日本におけるメジャーな言語ならばともかく、話者が少ないマイナー言語は必然的に翻訳者も少なくなります。では、それらの日本におけるマイナー言語話者を無視して良いかといえば、そんなわけはないことはいわずもがなです。

 在日外国人の言語状況は、2008年調査の独立行政法人国立国語研究所「生活のための日本語:全国調査」結果報告<速報版>』 によれば、

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「生活のための日本語:全国調査」結果報告<速報版> p.3

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「生活のための日本語:全国調査」結果報告<速報版> p.4

以上の様になります。「1.6 日常生活に困らない言語」の説明文章にある様に回答者の多くが日本語教室などの学びや交流の意思がある人々である為に数値は上振れしている可能性はあります。とはいえ、在日外国人は「日本語」がポピュラーな言語である事には違いありません。また「日本語の理解力」ですが、

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「生活のための日本語:全国調査」結果報告<速報版> p.6

「読む」に限定した場合、以上の様に「ひらがなとカタカナが読める」、「やさしい漢字が読める」で4割強ほどとなっています。これは2008年調査であり、その後の技能実習制度などによる外国人移入を考えればこの割合は変化している可能性が高いですが、いずれにせよその場合に考えられる変化は日本語が過不足なく読める外国人の増加よりも、やさしい漢字が読めるなどの外国人の増加の方が妥当性があるでしょう。
 ちなみに日本への国地域別外国人数の推移は法務省の「平成30年末現在における在留外国人数について」>「【平成30年末】公表資料」にある「国籍・地域別在留外国人数の推移」から確認可能です。2008年時点では214万人だった在留外国人は2018年では273万人となり、大幅に増加しています。近年ベトナム人が急激に増加していますが、これは技能実習生と考えるのが妥当かなと。

 長々と書きましたがこれで「やさしい日本語」が必要な背景は何となく理解できるかと思います。日本にいる外国人は巧拙の差はあれど「日本語」への理解度が一番高く、また現実的には不可能な全言語対応よりも「やさしい日本語」という日本語の方が多くの人のためのセーフティーネットになりえます。

 さて、ここからは庵功雄『やさしい日本語――多文化共生社会へ 』(岩波新書)を読んでの感想(?)です。私の中で「やさしい日本語」って外国人の為の言語っていう認識があったんですよ。災害用だったり、「NEWS WEB EASY - NHK」の様な外国人が日本の情報を得る為の言葉という感じで。それは間違いではないのですが、今回の反応を受け手の記事などは「災害」という面から強調していた言説が多いと思います。ただ、庵功雄『やさしい日本語』を読むとそれ以外の機能が有る事が知れます。というよりも庵功雄の書籍は災害用の言語としての話はかなり少ないです。

1)初期日本語教育の公的保証

 当然ですが外国人が日本で生活する為には「日本語」が必要で、これは揺るぎようのない事実でしょう。その為に外国人に対する日本語教育をする必要がある訳ですが、その際に「やさしい日本語」が活用できるといいます。やさしい日本語はその名前が表す通り「易しい」ものであり、言語初心者に対しての教育に使用できるのは容易に想像できるかと思います。書籍内では従来の教育、例えば小学校低学年が覚える言語教育を日本語初心者の外国人に教えるよりも、もっと日常に使用される単語を中心に教える方が効率的である事を明らかにしています。留学生の様な日本語を学業の最中で学ぶ学生ならば話は別ですが、仕事の為に来た外国人は留学生の様に言語の為の学習時間にそこまで費やせません。そこで短時間で学べ、体系化している「やさしい日本語」が活かせるわけです。
 また外国人の中には一緒に来た子どもや日本で生活する中で生まれてくる子どもがいます。彼らが日本の学校で学ぶ際にネックとなるのが日本語能力です。基本的に日本人は日本語を母語とする家庭環境で育つために日本語能力を母語として会得していきますが、彼らの家庭環境は両親の何れかが日本人でなければその様な環境は難しいでしょう。この学校入学前の環境による日本語能力の差は後々に響いてくるのは想像に難くありません。そして外国人の子どもが日本で育った場合、日本で働く可能性が高い事を考えるならば(低かったら無視していいわけでもありません)彼らにも十分な日本語教育をすべきであり、日本人と同等の競争環境を可能な限り公平にする様な仕組みを用意すべきです。
 何よりも働きに来た外国人、その子どもも共に日本社会で生きる社会を構成する人々に変わりありません。彼らの日常をスムーズにする為、また高度な日本語教育の為にも「やさしい日本語」という橋渡しの言葉の必要が出て来るという事です。

2)地域社会の共通言語

 私は義務教育やその後の英語教育の甲斐もなく英語はしゃべれません。正直、ほんとダメです。中国語も韓国語も出来ません。それこそ文献などは自動翻訳に頼るしかありません。でも自動翻訳は文章にしかできず、会話時には活かせるものではありません。昨今では会話用の自動翻訳機もあるようですが一般化されているかといえばまだまだです。多分、世の中にはそういう人々が最も多いかと思いますが、そういった日本語しか話せない我々が外国人、特に定住外国人と話す時に話す言葉は日本語になる可能性が高いでしょう。ですが、その日本語は日本人への日本語と同等のものでは相手側に十分な理解を得られるかといえば恐らく難しいでしょう。そこで「やさしい日本語」となる訳です。
 日本語話母語者と非日本語母語話者との間との共通言語としてのやさしい日本語。これには我々日本語母語話者の意識変革が必要にはなるでしょう。通常の日本語とやさしい日本語はやはり少々勝手が違います。しかし言葉によるコミュニケーションは定住外国人の居場所を創る事にも貢献し、地域住民としての彼らを受け入れる事が可能になります。また現実として彼らは社会に暮らしています。故にその為のアナウンスが必要になります。なお行政対応として横浜市がやさしい日本語で情報を発信しており、これもまた共通言語的な対応といえるでしょう。

3)日本語母語者の論理能力形成のため

 日本語に限らないでしょうけれど母語話者が話す母語、読む母語には本当に必要な情報以外の修飾や脇道が結構あります。この記事もそうです。それをなるべく必要な情報のみを伝えるやさしい日本語へと変える事は母語話者にとってもメリットのある事だと庵功雄は語っています。そもそも我々日本語母語者は日本語がかなり自在に使えると言っても、別にそれは相手の説得や論理形成能力とはまた別の話です。覚えている語彙が多くても文章能力には必ずしも直結しません。そこで必要な情報を取捨選択するやさしい日本語へと変換するという作業は母語話者にとって、何が必要でありどのように表現するかの訓練にもなり、相手を説得する能力向上に役立つと書かれています。実際に誰しもが「日本語」から「やさしい日本語へ」の変換作業をするわけではないでしょうが、しかし母語話者にとってもメリットがあるという指摘は私も間違っていないと考えます。

4)ろう者、知的障碍者などの為のバリアフリーのため

 この部分の話がもっともこの書籍で気づかされた事です。ろう者の母語は「日本手話」という方が多数でしょうが、日本手話と日本語とはまた別の言語体系です。日本語の「話し言葉」と「書き言葉」はイコールで結ばれますが、日本式手話の「話し言葉」と日本語の「書き言葉」はイコールではありません。書籍中では大学を卒業したろう者の方が文字を書いたところ些細な文法上の間違いで本当に大卒かと叱責されたというエピソードの記事が紹介されています。ここから言える事はろう者にとって日本語の書き言葉は第二言語に相当するものであるという事です。この問題は外国にルーツを持つ子供の話と同じく、彼らの母語は(口語の)「日本語」ではないのであり、その為に日本語母語話者と教育のスタート時点が異なります。このスタート時点でのハンデを身の丈にあったものとして放置するのはよろしくないのは言うまでもありません。
 そして書籍の最後には知的障碍者の文が2ページ半に渡って載せられていますが、これを読むとき私たちが使っている日本語が特定の層への「バリア」となっている事が思い知らされます。私たちが普段使い読んでいる「日本語」というものがその言語特性故に不可視となっている層がいる。現在は障がい者差別解消法があり、合理的配慮をするようにという社会へとなっています。全ての言語をやさしい日本語にすべき、とまでは流石に無理でしょうし言いません。この記事も「優しい」とはあまり言えません。しかしながら普段使っている言語が特定の層にはバリアになっているという認識を持ち、公共の場などの必要に応じて「やさしい日本語」を使う等の「情報のバリアフリー化」という考えは必要な時代になってきているのだと考えます。


 この書籍の副題は「多文化共生社会へ」です。我々が今住む日本国は望む望まずにかかわらず、現実として様々な文化・言語的バックボーンを持つ方々が多く生活をしています。その中で「やさしい日本語」というのはその多文化共生社会の中で必要となってくる有用な道具となりえるでしょう。そして現実にやさしい日本語は災害時などで有効活用されています。
 だから我々は「やさしい日本語」を見て批判や笑うなどせず、また外国人が発する拙い言語の揚げ足などをとるのではなく、それらの日本語(言語)への寛容さを持つべきではないかなと。

 何にせよ『やさしい日本語――多文化共生社会へ 』は面白かったのでオススメです。言語学的アプローチとかは専門外なので割とちんぷんかんぷんなところありましたしたが、なぜ「やさしい日本語」が必要なのかを新書ならではの軽さでさらさらと読めますから。