電脳塵芥

四方山雑記

相対化の誘惑。『戦争記憶の政治学』を読んで

 

 

 ライダイハンの記事を書いた際に参考にさせてもらったものの一つに上記の書評があったのですが、ちゃんと買わないとね、と思って買って読みました。で、読み進めていく内にこの本の内容の質的なものはとても勉強になり、自身の知識の為になったと思うけれど、反面勉強ができるからこそ問題になりそうなだなと思ったりしました。4章を読むまでは、ですが。

 

 この本は大きく分ければ4章構成で、第1章では韓国におけるベトナム加害の「発見」、第2章ではベトナムにおける韓国被害の語られ方、第3章では韓国における「発見」からの揺り戻しが語られている。第4章は改めて後述する。第1章では韓国ではベトナム戦争を(加害の記憶で)語ることがタブー視されており、この問題を発見したク・スジョン(学生運動を行った386世代、韓国人)はベトナムベトナム史を研究している最中にベトナム共産党ベトナム戦争における韓国軍の加害資料を発見する。この際、ク・スジョンは韓国における他国に迷惑をかけたことがないという「神話」への衝撃や日本の嫌韓右翼に利用されることを恐れて公表を避け、韓国NGOベトナムを訪れるまで2年間その資料を表に出さなかったという。そう、この本の第1章~第3章までの内容は嫌韓右翼による利用が懸念される内容を多分に含む。

 例えばそのようなカッコつきの「攻撃」に使用できてしまうのが、第2章で触れられるハミ村の話だ。ここではハミ村の犠牲者を祀るため、元韓国軍兵士の寄付もあって建てられた追悼碑(※)に書かれた詩文が韓国軍の虐殺に触れたものだとして政治問題化し、圧力がかけられる事態に進み、その末に駐ベトナム韓国大使館の人間は以下のようなことを言ったと回顧する。

「私たちはみなさんの友人です。ところが、この村の追悼碑は友人である韓国人への憎悪心を長く忘れずに記憶せよ、と教えている。友人への憎悪心を子孫にまで伝えて何をどうしようというのか。過去の事件を否定するのではない。しかし、私たちの間でこれ以上の憎悪心はよくない。この中で、まだ韓国人への憎悪心を残している人がいるならば、この場で私たちに鬱憤晴らしをしなさい。そして過去を忘れなさい」

p.107

 

終盤はきれいな様なことを言っているが、前半から中盤は自らの加害を矮小化しようとしている。韓国兵士から資金を得ているといっても被害にあった村人、そして最後まで反対していた3人は実際の被害者だった。その方々を侮辱したにも等しい発言だろう。加害者が憎悪心はよくない、などとは言う資格はない。しかし、この碑の詩文は最終的に文字通りの「蓋」をされて隠されるにいたる。

 以上の他にも虐殺の地域を回った筆者のインタビューでは韓国軍の加害の記憶があぶりだされる。それらの地域には韓国のNGOが和解活動をして実際に心を開いた人もいれば、筆者は日本人だからと話す人間がいるほどに韓国人への感情を割り切れない人間も当然ながら存在する。なお、ネット上の嫌韓を患った人が良く言う「ライダイハン」についてはこの本では一切触れられていない。これは虐殺をメインに据えていることや、規模としてはやはり虐殺的な問題の方が多かったからだろう。

 ベトナムでの加害の他にも第3章での韓国内での揺り戻しである一部参戦兵士による「加害の記憶」の否定的な動きやベトナム戦争を肯定的文脈で語られるという現状も勉強にはなるが、暗澹とさせられるものがある。問題を「発見」したク・スジョンに対して韓国では国賊扱いする声や自宅のパソコン襲撃などもあり、カナダに渡ったなどは韓国におけるこの話題の「タブー」さをまざまざと見せつけられる。

 

 以上の様にこの本は日本人にとって相対化の誘惑にかられる。お前たちも加害に向き合ってないと言えてしまう内容がここには載っている。相対化が責任を軽減させなくても、つい心では思ってしまう。それくらいに人間は「お前だって」に弱い。しかし、この本では第4章3節でそれに対するカウンターともいうべき内容を記している。日本の戦争責任に対する話を取り上げているからだ。ここで語られる内容は当然ながらその戦争責任を日本がしかと負っていないという内容だ。日本における歴史修正主義の台頭、この本が世に出た2013年を受けての安倍晋三橋下徹などにも触れられており、嫌韓右翼がこの本を好んで読むかといえばたぶんないだろうが、それでもそういう心で読めばカウンターになっている内容が詰め込まれている。ベトナムにおける200万人餓死の問題も取り上げるなど、ベトナムと日本との目線もある。事程左様に相対化の誘惑に駆られていた場合、それを恥じさせる仕組みが備えられている。

 

 そもそも罪や責任は相対化できない。そういう誘惑は問題を一切解決しないどころかこじれるだけの話だ。そんな相対化には誘惑されず、きっぱりと断りましょう。

※本当に相対化したとしても日本の罪なんて大きすぎて、天秤にかけても日本の天秤は1ミリも動きそうにないでしょうが。

 

 なお、これは完全な余談だが日本人研究者とベトナム人研究者の合作で「2010年度科学技術に関する国家賞」を受賞した『ベトナム1945年の飢餓』がベトナムでは出版されたという。日本人が執筆にかかわっていながら日本では翻訳されてないのでどこかの出版社さん、出してくれませんか。