電脳塵芥

四方山雑記

『千の丘ラジオ』を2019年夏の終わりに思い出す

こちら『千の丘ラジオ』
君のあなたのオレたちのラジオだ

マリファナ吸ってもりあがろうぜ
ゴキブリどもを血祭りにあげよう

心配ない ラジオが味方だ
だから武器を取って家を出よう

ルワンダ虐殺の被害者映像と煽動者たち - YouTube

 

この放送を聞いているすべてのゴキブリたちにお知らせ。

ルワンダは、この国を真に守る者たちのもの。

おまえたちゴキブリは、ルワンダ人ではない。

すべてのも者がゴキブリたちと闘うために立ち上がりました。

軍隊、若者、老人、そして女性たちさえも。

ゴキブリたちはもう逃げられない。

幸いなことに、ツチ人は多くない。

人口の10%に相当すると言われてましたが、もう8%もいないでしょう。

 

友よ、喜ぼう

ゴキブリは駆除された

友よ、喜ぼう

神は決して不公正ではない

我々がゴキブリをしっかり駆除しても世界の誰も我々を裁かないだろう

 

千の丘自由ラジオのヘイトスピーチ Hate-speech excerpt from RTLM - Radio Télévision Libre des Mille Collines (1994) - YouTube

  

 千の丘ラジオについては多言を要す必要はないと思う。引用した様な「言葉」を発するラジオ局であり、人々の思考を蝕み、一つの破局に加担した。その破局にはラジオだけが主要因ではなく、またそのようなラジオ局が出来た背景を考慮せねばならないが、しかし、このラジオがルワンダでの虐殺へのトリガーの一つとなった事は変えようもない。

 

 ゴゴスマというワイドショーにおいて、韓国に旅行した日本人女性旅行者が暴行を受けたニュースを受けて武田邦彦は「韓国女性が入ってきたら暴行しにゃいかない」と言った。その発言の前には韓国への事実に基づかない偏見を垂れ流し、韓国は反日感情を煽っているのを咎める様な趣旨の発言をしているのだから、自身が暴力を煽る発言をしているのは著しい倫理的な矛盾だ。「目には目を」の発生の警句ならば人間の理性を馬鹿にし過ぎだ。日本人の理性がその程度に暴力に躊躇がないと思うならば話は別だが。これらは公共の電波に出る資格を失っても問題のない発言だろう。仮にこれが被差別部落ならばどうなったか。それは長谷川豊の経緯を見れば理解できるはずだ。それが韓国という他者、それも対立し、(国にとって)「嫌悪」の共有を育む相手だとそれが許容されている現状がある。そしてこの放送から時を置かずして今度は東国原が韓国人への嫌悪を露わにして醜態をさらす。おっさん的な声と我のデカい醜態、冷静さなど見えないとても感情的な声を。

 今の時代、彼らも「殺せ」とまでは言わないだろう。言ったならばその後の責任問題になる故に。「井戸に毒」に類する事を公共の電波や新聞で発信される可能性も低いだろう。しかしもっと巧みに、粗野に、雑に、無知と馬鹿を装い、日常的に積み重ね暴力への萌芽を育てる。公共の電波で、ネットの災害がある度にSNSで、何もない時にさえ。相手を見下し、劣等の位置へと押し込もうとする。そしてそれを育む彼らは何かあった時の責任など一切取らないだろう。8月30日現在、件の武田発言について番組冒頭での謝罪はなされたが武田邦彦が未だに番組出るというのだから、それは一つの証左だ。実際に暴力事件が発生すれば千の丘ラジオでは関係者が逃げた様に、彼らは自らの口をつぐむかそ知らぬふりをするはずだ。特段の恥知らずならば加害への追及をするかもしれない。しかし、そもそも加害への責任感を知り、若しくはそれを恐れているならばそんな発言などしない。

 

 関東大震災からもうすぐ96年だ。恥知らずと忘却への加速によって、恐怖感だけが募っていく。

 

 

ちょっと追記。

 武田邦彦発言の記事を改めて読んだけれど、女性に対する暴力を語る際に日本男性は我慢云々というのに今回の加害者が男性だからとはいえ、男性本位的な考えがにじみ出てて。それと併せて女性が暴力を受けること前提であり、男性には暴力を振るわなそうな感じなところにミソジニーを感じた。今回の関係をそのままトレースしたのではない、地の考えであるのだろうなと。また東国原も果たして男性ならば声を荒げたのだろうかと思ったり。

 

 

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