電脳塵芥

四方山雑記

「ライダイハン」についての覚書

 ライダイハンについて書こうと思ったら、ライダイハンそのものよりも韓国とベトナムとのベトナム戦争をめぐる虐殺の話になってダラダラと長くなってます。かなり長いですが、ライダイハン、というか韓国とベトナムの和解状況を巡る周辺状況は分かるかなと……。「ライダイハン」そのものについては3割も書いてないとおもいます。

 

【追記】

長くなったので要約をここに書いておきます。

◆「ライダイハン」そのものは韓国人とベトナム人との間で生まれた子の事で、日本メディアで主に問題として捉えられている強姦被害による子は少なく、民間人による事実婚が多い

 ※強姦被害が少ないから問題でないとはならないし、また民間人親であっても認知の問題などもある事には注意

◆「ライダイハン」はそのものが二国間で問題になる事もあるようだが、主に問題になっているのはベトナム戦争における「虐殺」などの方が大きい

◆ライダイハンについての救援策は職業訓練校などがあるが、韓国政府ではなく民間団体が主導の様だ

◆韓国は大統領が謝罪(虐殺、強姦など)の言葉を述べているが、「公式謝罪」はしていない

 ※公式謝罪をしていない=政府による真相究明と賠償などはしていない

 ※「経済協力」という名の下で支援をしているという認識があるかもしれない

 ※韓国の強姦被害について調査が行われてない様だ

◆韓国の市民団体や進歩派の人は積極的にこの問題にコミットし、問題を「発見」した

 ※「ライダイハン」そのものより虐殺などの諸問題の「発見」

◆逆に保守派はこれらの問題に対して時に苛烈な攻撃をしている

◆これらの攻撃は韓国におけるベトナム戦争の正当性や物語性に起因する

ベトナムは「過去にフタをし、未来へ向かおう」というスローガンを掲げ、積極的に問題を提起しない。これは経済格差などを背景に韓国財界を不機嫌にさせないためである

◆碑の詩文を削除させたりと韓国の圧力もあるがベトナム政府が自ら問題化を避けている

◆最近ベトナムや世界で問題提起に対して若干の潮流が生まれている

◆そもそも慰安婦とライダイハンは問題の位相が全く異なるので、比較すべき問題ではないよ

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 あいちトリエンナーレの少女像に端を発した、というよりも慰安婦の話題がなる度にそれへのカウンターとして「ライダイハン」を出す人間はインターネット上に散見される。それこそ雨が降った後の筍が如くに。私としてはそのカウンターへのカウンター、韓国の団体はライダイハンについての批判もしているという言葉に妥当性を感じてはいるものの、とはいえ内容の実は知らない。私はライダイハンについて詳しくは知らないのであり、そのうろ覚えな知識はインターネットの知識すねかじりだ。ということで、この記事は私の為の知識という自己満足的なモノではあるのだけれど、すねをかじられる側になってみたいと思いここに記す。とはいえ、結局はインターネットにあるもののすねかじりなので、実は変わらんのだけど。

 

◆ライダイハンとは

 大枠としてはベトナム戦争に派兵された韓国人兵士と現地ベトナム人女性の間に生まれた子供のことだ。「ライ=混血」「ダイハン=韓国」でライダイハン。1500人から最大3万人いるとされている(李 恵慶 不純な“野合”──『ライダイハン』にみるジェンダー・表象・文化の政治学)。ちなみにウィキペディアの情報の中では産経新聞が500万人いると推測しているが、さすがに他の媒体とかけ離れすぎており、また現実離れした数字としてしか考えられずこれは流石に過ちだろう。引用者か、新聞社の間違いかまでは分からないが。

 この「ライダイハン」の日本における取り扱われ方は、「韓国軍兵士が地元の女性を強姦及び虐殺」したという論調に用いられる。性的暴行によって生まれた子供も相当数いるとされ、慰安婦問題のカウンターとして持ち出す人間はそのことに着目しているのだろう。しかしベトナムに赴いた韓国人は軍人のみならず、労働者も共に赴いている。労働者が「現地妻*1」を作って、その子どもが取り残されたという事情も勘案しなければならない。すべての「ライダイハン」が軍人による性的暴行被害の果ての子であるという認識は過ちだ。ベトナムの混血児専用職業専門学校では9割が韓国人労働者であったという話もあ)野村進『コリアン世界の旅』)。これらは実際に調査が行われていない為に断言できるものではないが、労働者との子どもが多いという方が事実に近いと考える。なお、韓国のライダイハンのウィキ(注:ペディアじゃないよ)には強姦被害「説」という項目があり、自動翻訳の誤りでなければ、これはこれで韓国における温度感が感じられる。

 

 またライダイハンとして生まれてきた子供は混血による差別や教育、社会保障による境遇の差も有り、ベトナム社会における差別にもさらされている (ベトナム戦争当時、韓国軍が民間人に犯したこと「敵血筋ライタイハン」韓国軍性的暴行の被害者のスカーレットレター ※共にグーグル翻訳による韓国サイトなのに留意してください)。韓国だけの問題ではなくベトナム社会における差別性の問題も横たわっている。

 

◆問題の告発(大半は「ライダイハン」ではなく「戦争加害」の告発)

 ライダイハン自体は1992年のTVドキュメンタリー『ライダイハンの涙』で一般的に知られるようになったという。その後にもいくつかのドキュメンタリーが放映され、さらに1994年には映画『ライダイハン』が上映されるている。しかしこの頃は今でいうほどの問題にまでは発展していないという(李 恵慶)。問題へと発展したのは1999年ごろ、ハンギョレ21の連載からだ。 

 本書が扱う韓国軍のベトナム民間人虐殺もまた、ベトナム派兵を「自由の十字軍」による「正義の戦争」と意味づける公定記憶からは隠蔽・忘却すべき記憶だった。この出来事は、80 年代以降の韓国民主化闘争の中で「発見」された。真相の掘り起こしに中心的な役割をはたしたのは 66 年生まれの具秀姃という女性。そして具が現地で集めた証言を『ハンギョレ 21』に連載し、2000 年以降、ベトナムへの謝罪運動である「ベトナムキャンペーン」を展開したのは 67 年生まれの高暻兌記者である。

真鍋祐子 書評:伊藤正子著『戦争記憶の政治学韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』

  書評からの引用で申し訳ないが、そもそも事の発端は韓国人自らが「発見」した問題である。引用にもある具秀姃はベトナムの大学で研究を始め、民間人虐殺の聞き取りを行っており、それがハンギョレ21の連載の元となっている。慰安婦が日本で「発見*2」されなかったと考えるならば、誰が問題を直視したのかという問題は考えなければいけない。

 引用にもあるがベトナム戦争は多くの韓国軍人が参加し、韓国社会において正当化された戦争だという。また「ベトナム特需」や派兵による援助など、経済発展の為の礎になっている側面がある。しかしそれらは「発見」されることによって加害の歴史としての戦争を振り返る事を余儀なくされる。本邦においてもよく見る光景ではあるが、「記憶の闘争」(書評から引用)が韓国においても行われている。

 上記に付け加えていえば、この問題の「発見」は、以下の様に米軍の責任を問うために自らの問題にも向き合う必要性もあった側面もある。

同時期韓国では,朝鮮戦争時の米軍による民間人虐殺事件である老斤里(ノグンリ)問題7)が発覚し,米軍の責任を問うなら,自分たちが起こしたベトナムでの民間人虐殺にも向き合わねばならないと考える人々も多く,『ハンギョレ21』には多くの賛同の反応が寄せられた。

伊藤正子2010『韓国軍のベトナム派兵をめぐる記憶の比較研究』

 

 なお、この「闘争」には物理的な暴力にもつながる事例は残念ながら存在する。

ベトナムに送られ,命がけで戦った当時の旧兵士たちの間には反発がひろがった。『ハンギョレ21』のキャンペーン*3は,亡くなった戦友や自分たちの栄誉を冒涜するものに映ったからである。「枯葉剤後遺症戦友会」のメンバー2,400人が迷彩服姿で,ハンギョレ新聞社を襲撃して占拠し破壊するという事件が2000年6月に起こった。(伊藤正子2010)。

 

実行団体の会員は、

枯葉剤戦友会の会員らは「孫がベトナム戦の英雄と思っていたおじいさんが、良民を虐殺して来たのだという話を聞いたらどう思うだろうか」

ベトナム戦被害者の行事に反発し「枯葉剤戦友会」がデモ

以上の様な発言をしている。これは日本でも往々にして聞く論法だ。彼らは価値観や積み重ねた自己の歴史の転換が出来ないのだろう。日本の場合はもう当事者が少なくなっており、その派生として「先祖が云々」という言葉を聞くが、先祖の英雄性が果たして本当に英雄だったのか、英雄とは相対するものにとっては悪魔であったかもしれない事を認識すべきだろう。なお当然ながら参戦兵士は一枚岩ではなく、反共主義で上記のような実力行使をする強硬派、報道は許容できないが過激な運動はしない派、真摯に反省する派の3つに分かれる。当然ともいうべきか、数は最後の真摯に反省する派が一番少ないという(伊藤正子2017 『韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題』)。

 ちなみに慰安婦問題を提起した人物は性犯罪の文脈でこの問題にもコミットしている。韓国が日本に要求した事項をそのままベトナムにもと言っており、そこに二重基準はない(「ベトナム性犯罪を謝罪しよう」 ※自動翻訳記事)。

 

ベトナムにおける動き (「ライダイハン」よりも、加害と被害の話)

 ベトナムは「過去にフタをし、未来へ向かおう」というスローガンを掲げているという。これはベトナムに被害を及ぼした国に対して賠償を求めず、「未来志向」でいくというものだそうだ。その為に当初はベトナム外務省も反韓感情の高まりを恐れ、民間人虐殺に対して困惑をしていたいという(伊藤正子2010)。

 先ほどの真鍋の書評から引用する。(本来ならば本を購入すべきであるが、ご容赦ください)

ベトナムが「過去にフタをして未来へ向かおう」という方針のもと、戦争の記憶の語り方を管理・統制(略)ハンギョレ新聞社と共同で「韓国軍民間人虐殺助け合い」キャンペーンを提案した現地紙の試みは、韓国との外交的・経済的利害関係に悪影響の及ぶことを懸念した政府によって妨害(略)世界への配信もベトナム外交部の圧力で阻止された。それでも 2000 年代前半までは『ハンギョレ 21』やナワウリの活動に感銘を受け、賛同を表明するベトナム人が増加した。

以上の様にハンギョレ新聞社が動くことで賛同するベトナム人が増加し、引用はしていないが当時の外相からも活動を称賛する親書を送られるまでに至っている。しかしながら金大中大統領がベトナムへの「謝罪」に対して反発した参戦兵士が「ベトナム参戦碑」を建立*4、2000年代後半に韓国が保守政権へと政権交代、外交・経済関係の優先などによってベトナム、韓国双方からこの運動は阻害されるに至る。

 

 

 特筆すべき悪しき例と言えるのは憎悪碑の詩文削除だ。ベトナムに建てられた韓国軍人の援助によって建立されたハミ村の憎悪碑が碑に刻まれた詩の内容に対して、残虐行為がリアルに記されているからと援助した韓国軍人が非難し、ベトナム政府は韓国政府側の発言を「圧力」と受け取り、金銭的な支援などの不均衡な状態のなか村人と交渉する。このハミ村の詩の削除に関しては村人に「虐殺」という単語を削った穏健な文にするか、全文削除するかの強制二択を強いた末に村人は「歴史を歪曲して記録するよりは,むしろ記録しない方がよい」という結論に至っている(伊藤正子2010)。韓国の歴史修正主義が結実してしまった悪しき例だろう。ちなみにこのハミ村の虐殺に関してはベトナム民間人虐殺市民平和法廷が開かれ、最終的に政府の責任を問うている。

 当然ながら悪い例だけがあるわけではない。「ナワウリ」というNGOピースボードが主催する船旅に参加し、ベトナムにおける韓国軍がしたことを知る。ナワウリはベトナムでの活動を始め、現地の人と協力して慰霊碑を立てるなどの活動をして受け入れられ、心象の転化に寄与。うらむ気持ちがなくなったと語る人もいる。ただし、韓国においてはそれらの活動を「売国奴」と呼ぶ声もある(伊藤正子2010)。自国の負の蓋を開ける人間を「愛国者」は「売国奴」と呼ぶのは万国共通なのだろう。

 

◆平和博物館について

 韓国でのハンギョレ21報道後、14のNGOが「ベトナム戦争真実委員会」という組織を結成する。この組織はベトナムに謝罪と和解への道の模索をするというものであり、ベトナムについての平和歴史館を作るという運動をしたが、ベトナム政府による許可が得られずに終わる。「過去にフタ」をするベトナムにとって韓国のNGOの方が問題と思われている節があり、NGOの出した企画をベトナム外務省まで上がり問題化するなど、NGOの動きは政府によって阻止されている。なお、このベトナムに建てようとした平和歴史館を韓国に持ってきて平和博物館になったという(伊藤正子2017)。

 

ベトナムの反感について

 なお、「過去にフタ」をするベトナムで表立って発言する時がある。ハンギョレ21の報道から10年が経過した2009年にベトナム政府が韓国への批判を生じる。ベトナム戦争参戦兵士らの運動もあり、ベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現する案改正の趣旨説明文書がでる。それに対してベトナムは「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と述べ、「ベトナム政府は「侵略者は『未来志向』といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と指摘するに至る(朝日新聞 2010年1月6日)。「未来志向」という言葉をよく使う日本もこの言葉は噛み締めなければならない。付言すればベトナムが過去の日本の所業に対して多くを言わないのも「過去にフタ」をしているという事だろう。ちなみに上記の発言はベトナムでは報道されずに、故にベトナム人の反発はなかったという(伊藤正子2017)。

 

◆韓国との運動の連帯

 韓国で慰安婦を問題視している団体はライダイハンについても連帯を心がけている様に見える。

韓国挺身隊問題対策協議会は毎週水曜日、ソウル鍾路区中学洞の駐韓日本大使館前で水曜集会を開く。この日は150人余りの参加者が集まった。ロンさんとタンさんは写真展観覧を終えた後、(略)タンさんは「お婆さんたちと韓国の友達にご挨拶します。私の名前はウンウイェンティ・タン、韓国軍による民間人虐殺の生存者です。虐殺があった時は8歳でした」と語りかけた。([ルポ] 訪韓したベトナム戦争虐殺生存者と過ごした一週間(2)

元「慰安婦」女性がベトナムの被害者の為に自身が政府から受けた補償金を寄付するという事例も有り(先ほどの書評から)、慰安婦の問題を取り上げている人たちは何が問題であるかとしかと認識している。また他の記事(1)(2)においても韓国内でベトナムの惨状への告発は行われた。これらは見習うべき自省だろう。

 上記の記事はいずれもハンギョレ新聞であり、リベラル派とされている新聞だ。またこれらの反面、反対運動が根強くあるのもまた事実だ。反対運動によって集会が中止になった例も有り、状況は必ずしも喜ぶべき事だけではない。むしろカウンターとしてライダイハンを上げる人間はこれらの反対運動の根強さをもって二重基準だと非難するのだろう。そして実際に二重基準の人間はいるだろう。

 歴史と領土を歪曲した日本の中学校教科書検定結果をめぐり韓国社会が騒然とした6日、その韓国社会の一部の二重の歴史認識が露わになったとも指摘される。

パク・テギュン ソウル大国際大学院教授は「私たちがベトナム戦問題を解決できなければ、日本との過去の歴史問題も解決できない。ベトナムの被害者の話を聞くのは参戦軍人の犠牲を否定するものではない。彼らも犠牲者と認められるよう国家の謝罪を要求する」と述べた。

訪韓したベトナム戦虐殺被害者の参加行事が参戦者団体の圧力で中止

 しかしライダイハンの問題を告発する側はその問題を認識している。彼らのうねりが韓国社会において如何ほどに大きいものなのか、それとも小さいものなのかは私には図りかねるが、問題の告発者たちは指摘されるまでもなく問題を認識している。加害の忘却や蔑みの道具として浅はかに冷笑して何になろうか。冷笑の果ては、はらわたを腐らせるだけだ。

 ただし運動があるからと言ってそれを過大視し、どぶ川の中の花にだけ救いを見出すのもまた問題の把握を阻害すると考える。どの様なバランス感をもってそれに当たればいいのかは私自身にも分かりかねるが、しかし暴力者をピックアップして見下しても発展性は薄い。

 

◆ライダイハンについての問題解決策

 虐殺などの抗議の問題ではなく、「ライダイハン」そのものについての解決策としては次のような施策が行われている。以下は韓国のライダイハンのウィキウィキペディアではない)に記されていた解決策から要約(グーグル翻訳)。

 

・民間団体のキリスト教団体の支援によって職業訓練学校などの支援施設が設立。2世、3世のため無償職業訓練と韓国語教育を支援するなどの活動が行われている

・ライダイハンの方が裁判を通して韓国国籍を取得した事がある。ただし国籍などについては政府の体系的な支援はまだない

 

以上の様になり、政府による解決策は現状積極的とは言えないだろう。また直接の解決策というわけではないが、韓国の雇用許可制においてソ連時代に中央アジア強制移住させられた朝鮮民族に対して率先的に韓国への出稼ぎを促す動きが存在する事から、ベトナムのライダイハンや2世、3世に対して同じような韓国への出稼ぎをしやすい状況は想像に難くない。特に民間団体による韓国語教育支援などはそれを促す役割を担っているのだろう。雇用許可制によるベトナム人の韓国への出稼ぎは増加傾向でもあり、それを後押ししている可能性はある。なお雇用許可による問題もあるのだけど、ここでは突っ込まない事とする。日本の実習制度を鑑みるとどの口がという感じでもあるし。

 これは脇道だけど、ベトナムは韓国文化が盛んで韓国ドラマにもベトナム要素が入る事があるらしいが、その際にライダイハンの要素が入ったりもするらしい。

 

◆2016年以降の動き

ベトナムピエタ

 2016年、韓国軍の虐殺から50年に際して謝罪と慰霊の活動の為に韓越平和財団建設推進委員会はピエタ像を作る計画を立てる。「平和の少女像」を作った夫妻が慰安婦のおばあさんの寄付をもとにしたお金でベトナムを訪問し像を作っている。

ピエタ像(正式名:ベトナムピエタベトナム語名:Lời ru cuối cùng, 最後の子守歌)(略)まだ名前もつけないうちに亡くなった赤ん坊とそれを抱きしめる母を彫ったもので、虐殺の犠牲者の霊を慰めることと、ベトナム戦争の問題に対し韓国政府が責任ある態度をとるように呼びかけることを目的としている(伊藤正子2017)

しかしながら当初の予定の村には設置許可は降りなかったが、問題を熱心に扱う博物館が受け入れを決める。

 

・トゥイチュー誌による報道

 ハンギョレの高暻兌記者へのインタビュー記事を皮切りに7日間連続して報道。韓国軍による虐殺の生き残りの人たちを大きなカラー写真とともに取り上げる(伊藤正子2017)

 

ベトナム人ジャーナリストによる韓国批判

 韓国ドラマ「太陽の末裔」がベトナムでヒットする。これは韓国軍人が主役のドラマであり、祖国愛や犠牲が歌いあがられるドラマだったという。これに対してジャーナリストのティがフェイスブックで痛烈に批判し、拡散されている。

ティはベトナム人自身の歴史への向き合い方を考え直すべきではないかと問いかけ、「ベトナムのテレビで韓国軍の宣伝画像が流れるなどというのは汚辱以外の何ものでもない」とも書いた。韓国の民間団体や進歩的な知識人たちの一部が、毎年のように虐殺事件が起こった地域を訪問して慰霊・謝罪を行っていることを評価したうえで、「しかし、かれらは実際に虐殺を起こした退役軍人でもないし、韓国政府の代表でもない」とし、「韓国政府は一度たりとも、正式に認めたことも、謝罪したこともない。(韓国政府の態度は)かれらが日本人にされていることと何ら変わらない」と批判している。(伊藤正子2017)

上記の発言はベトナム、さらには韓国まで波及しており、最終的にはベトナム政府がティに対して注意をするにまで至っている。

 

 以上の様に2016年以降はまた新たな動きが出てきており、ライダイハン像がロンドンで建てられたりと世界的な動きになっている。なおロンドン像の記事は産経のものだが、記事中に”「紛争下で性暴力被害者となり生き残られた方々を記念するこの彫刻を見てほしい」”と書かれている。産経新聞もこの意味を反芻して、別の記事に活かすべきだろう。その他にもUN人権委員会で語られたり、「ライダイハンのための正義」という市民団体(8/14追記:ただこれ系の市民団体の背景は少々怪しさが付きまとうのだけれど)が出来たりと以前よりもうねりが出来てきたのは確かだ。

 

◆韓国大統領府への請願

 韓国語は読めないのだけど、文明の利器であるグーグル翻訳を使ったら割と訳せている感じなので紹介する。ところどころ変ではあるが文意は伝わる、と思う。

金大中盧武鉉政府は、ベトナム戦争と関連遺憾の意を明らかにしたています。 ムン・ジェイン大統領はまた、2018年3月23日、ベトナム側に謝罪を表したが、大統領府はこれについて、「公式謝罪ではない」と明らかにした。

日本軍慰安婦問題に対する日本の態度には憤慨しながらも、いざ私たちのベトナムの民間人強姦問題は無視しています。 人には当たり前のこと私には寛容な基準となるものです。 このような二重性を脱ぐことが、日本のも堂々とリンゴを受けることができる第一歩になります。

ベトナム戦争当時、韓国軍の民間人虐殺と強姦の事実を認めて公式謝罪せよ

 上記HPに関連としてリンクが張られている記事や、上記請願にも書かれていいるが文大統領は謝罪はしたが「公式謝罪*5」ではないと明らかにする事から、まだまだ問題解決は難しい事が伺える。また、調べた限りでは政府による詳細な調査は行っていないようである。

 

 

◆脇道

 色々と著述を呼んでる中で韓国内の運動を評価しつつも以下の文があった。

韓国側の動きに対して違和感を抱くようになった。韓国のNGO関係者、知識人、活動家たちが、ベトナムに対する自国民や韓国政府の反省・謝罪に言及する際、「慰安婦の問題について日本に謝罪させるためにも」謝罪が必要であると、形容詞付きで述べることが多くなったからである。(伊藤正子2017)

誰かに謝罪させるために別の謝罪をするのは本質からずれる。これ自体は引用はしていないが伊藤も言っている様に韓国社会の説得の面があるとは思う。日本における謝罪をしたくないから別の問題を指摘して自分たちの責任をうやむやにするよりは些かはマシではあろうが。

 ここからまた脇道にそれるが韓国のライダイハンのウィキには日本の極右と嫌韓勢力が慰安婦記事でよく言及する事について書かれている。グーグル翻訳ではあるが以下の様に記されていた。

ライタイハンはあくまでも韓国人と南ベトナム人の間に生まれた2世たちを呼んだ名称であり、 これらが、ベトナムで苦しむ差別と韓国人の父の責任というテーマと、日本軍慰安婦問題に対する日本の謝罪と責任というテーマは全く異なる別個の事案

https://namu.wiki/w/%EB%9D%BC%EC%9D%B4%EB%94%B0%EC%9D%B4%ED%95%9C

 

 ◆おわりにみたいなもの

 韓国社会のなかで問題があり、また公式謝罪にまでは至っていない政府の問題も含まれているように感じる。ただし、だからと言って韓国社会そのものがライダイハン、というよりも虐殺や強姦などの問題を無視している状態とは決して言えず、それこそライダイハンという非をもって慰安婦と言う非を抑圧する事は不可能だ。そもそもライダイハンの非を声高に追求するならば、その意識に基づき慰安婦に対しても非の声を声高に上げなければそれこそ二重基準であり、同じ口で慰安婦を馬鹿にするのは矛盾だ。同様に慰安婦という性的搾取、要は人権の問題にも向き合わねばならないはずだ。女性の人権、性暴力被害への告発である慰安婦問題に対して同様の人権、性暴力被害の話を持ってくるのは連帯の意志でもない限り、ライダイハンについて言及する意味はない。

 少女像や元慰安婦の方々に対して口汚く罵って続けざまにライダイハンについてはというなど恥知らずも良いとこで、人倫にもとる。相手の非をつけば自己の非が雲散霧消するわけではない。得をするのはその責を負う国家であり、しかしその国家からは倫理が失われる。

 

他の参考文献

戦争・記憶・喪──韓国のベトナム戦争記念物と忘却のポリティックス──

韓国におけるベトナム戦争の受容の仕方、ナショナルヒストリーに組み込まれているのを読める。反対の声を上げる参戦兵士の考え方と言うのを少しは把握できるかと。「ベトナム参戦勇士の交流の場」には韓国におけるベトナム戦争の「物語」を感じざる負えない。

 

■お布施用ページ

note.com

 

戦争の記憶 記憶の戦争―韓国人のベトナム戦争

戦争の記憶 記憶の戦争―韓国人のベトナム戦争

 

*1:現地妻のすべてが自由恋愛であったのかなどは留意すべきことだが資料が見当たらないのでここでは置いておく。ベトナム女性を卑下する言葉があったともあり、必ずしもすべてが当人間の自由意志とは言えない。

*2:「ライダイハン」の問題ではなく、加害全体の「発見」かなと。

*3:「ごめんなさいベトナムキャンペーン」。1年間続いたキャンペーンで寄付金を集める。紆余曲折ありながら最終的に韓越平和公園を作られる。しかし韓国財界の機嫌を損ねかねないと考えるベトナム政府と、負の歴史とその癒しの場所としようとする寄付者たちとの間の齟齬の結果もあってか、整備はおろそかになっているらしい

*4:韓国の「ベトナム参戦碑」は韓国に100余り、逆にベトナムにおける「憎悪碑(韓国軍民間人虐殺慰霊碑)」は60余りとされる([ルポ] 訪韓したベトナム戦争虐殺生存者と過ごした一週間(1)

*5:公式謝罪をしていない=政府による真相究明と賠償などはしていない